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| 2007年12月26日(水) |
| 栃木県宇都宮市の紹介 |
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宇都宮市は私の出身地である。高校生までの約18年お世話になり、大学からこの地を離れているが、親がいるので毎年訪れていました。今回もお祝い事でこの地に来ました(左上は宇都宮駅、右上は宇都宮駅前の通りの光景です)。宇都宮は蝦夷平定のため、はじめてこの地に足を踏み入れた豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が開祖といわれており、これを祀った二荒山神社(右下)の門前町として栄えました。「宇都宮」の地名は、藤原宗円が二荒山神社の社号「宇都宮」を氏とし、鎌倉幕府の中枢にあって、治政をあげたことに由来するといわれています。江戸時代には城下町として栄え、参勤交代や日光東照宮の造営などにより往来も多く、「小江戸」と呼ばれるほど繁栄しました。明治17年に栃木県庁が置かれ、同29年に市制が施行されました。現在人口は約51万人、市の花は「さつき」、市の木は「イチョウ」です。宇都宮駅の裏口に「餃子像」(左下)がある。宇都宮市は一世帯当たりの餃子消費量「日本一」の座を守り続けており、それを記念して造られたようである。餃子の皮に包まれたビーナスをモチーフに地元の大谷石を使い製作されたものです。現在住んでいる滋賀県には約45年もおり、第一の故郷になっていますが、生まれた地である「宇都宮」が心の上ではやはり第一の故郷になっています。私が小さい時に魚取りなどで遊んだ所は、今では「コジマ電気」の本社があり、時代の流れを感じています。 |
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| 2007年12月18日(火) |
| 地震災害避難訓練 |
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鳩が森町内会では、昨年から草津市の指導を受け自衛消防隊から自主防災隊に組織を変更しました。消火活動を主体とした活動からあらゆる災害に対処出来る組織にしたことになる。特に留意する災害として地震災害を挙げている。大津市から高島市に広がる「琵琶湖西岸断層帯」では、発生する地震はマグニチュード7.8程度、今後30年以内の地震発生確率は0.09%から9%と発表されています。この確率は全国で5〜6番目に高い確率となっており、いつ地震が起きても不思議でないことになっています。今回、町内会として初めての防災訓練をしました。まず「自主防災隊の地震災害時の活動要綱」と「地震避難訓練時の自主防災隊の活動マニュアル」を作成し討議してまとめ上げました。町内全戸に回覧し、避難訓練に参加していただける方を確認し、各班ごとに安否確認をお願いしました。訓練前に役員全員が記念撮影(左上)、救護班は避難できずにいる人を担架で救出(左下)し、消火班は初期消火の後、消火栓での消火に移りました(右上)。避難・誘導班は地震発生後町内全域にハンドマイクで避難を呼びかけるとともに、避難出来ずにいる方・火が出ていないかをチェックして回りました。また、広域避難所への安全確認も行っています。情報・連絡班も町内の被災状況を調査するとともに、草津市・消防署などとの連絡にあたっています。町内の多くの方が参加してくれました。訓練後、集会所で2本のビデオを見て頂き(右下)、非常食もサンプルとして支給しました。ビデオは「震度7・阪神大震災の教訓ドキュメント・神戸72時間の記録」、「これだけは守りたい家庭の地震対策」でしたが、多くの町内の方が地震災害に対する認識を深めてくれたと思っています。町内に「地震対策委員会」も設置しましたので、種々の検討を進め、対策を実行して行きたいと思っています。 |
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| 2007年12月8日(土) |
| 滋賀県高島市針江生水の郷の紹介 |
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滋賀県高島市針江地区は湧水が豊富なことで有名である。パイプを約20mほど打ち込むと自然に地下水が湧き出てくる。この地区では約170世帯の内、107ケ所に地下水が湧き出る箇所がある。町の人はこの水を生水(しょうず)と呼び昔から大切に利用してきました。各家庭の元池から湧き出た生水は一番綺麗な水が溜まる壷池に入ります。壺池の水は生活に活用しており、洗顔、お料理や野菜などを洗ったりしていますが、この水は端池(はたいけ)に流れます。端池にはたくさんの鯉が飼われています。鯉は料理の野菜くず、鍋釜の米粒などを食べて浄化してくれます。水は家の前の小川に入り、琵琶湖に流れて行きます。このシステムを「川端(かばた)」と呼んでいます(左下)。川での洗濯には合成洗剤は使わず、環境にやさしい石鹸(ここでは廃油などから石鹸を作っており、私も購入してきました。)を使っている。ここの川は比良山系からの水と各家庭から流れ出す地下水で構成されており綺麗なので驚きました(左上)。この川にも梅花藻やながもが群生していました(右上)。滋賀県では米原市の醒井地区の地蔵川の梅花藻群生が有名ですが、梅花藻は綺麗な水の所でないと生えないので、ここの川も綺麗でした。醒井地区の醒井養鰻場は豊富な地下水を活用して養鰻しています。今回は老上学区自治連合会の環境研修の一環として行きましたが、この地区のボランティア組織「生水の郷委員会」の方が案内、説明(右下)して下さいました。毎日のように、国内各地から見学に来られるようですが、韓国やドイツからも見学に見えたようです。この活動で、住民の意識が変わり、ゴミがあれば拾って、この町を綺麗にしようという行動に変わり、私が見てもゴミ一つ落ちていませんでした。この伏流水は数百年かかってここに湧き出ているようで、自然の大切さを再認識しました。 |
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| 2007年11月20日(火) |
| 「第18回ふるさと老上まつり」の紹介 |
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草津市老上学区の「第18回ふるさと老上まつり」が自治連合会主催で11月10日・11日の2日間で行われました。老上小学校開校120周年記念も兼ねて盛大に行われました。早くから企画・運営に力を入れ、実行委員117名が何回も打ち合わせこの日に備えました。参加団体も48を数え、昨年より多い約4500人の方が来て下さったようです。開会式(左上)での開会セレモニーにはバンド演奏で優勝した「県立大津商業高等学校吹奏学部マーチングバンド」が出演して下さり(右上)、花を添えて下さいました。今回は老上小学校開校120周年記念行事も兼ねていますので、120年の歩みの歴史年表・アルバムや古い時代の農機具なども展示されました。また、「老上の今と昔」の映像を編集し上映もしました。老上小学校・中学校・幼稚園などの発表会も行われ、幅広い年代の方がかかわった素晴らしい祭りになりました。公民館では大津絵・絵画・創作人形・書道・写真・俳句・俳画・生花等の展示が、体育館では各種サークルの発表会が行われました(左下)。ヨガ・手話・社交ダンス・フォークダンス・3B体操・民謡・民踊・カラオケ・空手など多彩な発表でした。おいかみ市場では多く模擬店が開かれ(右下)、12時頃は通路から人が溢れるほどの賑わいでした。これも天候に恵まれたからと思っています。グラウンドでは「遊びの広場」が設けられ、ペタンク・スリッパ飛ばしゴルフ・グラウンドゴルフなどが行われ、子供達がはしゃいでいました。スタンプラリーも250枚用意されほぼ利用されました。お昼時間の「ビンゴゲーム」は300枚用意され、またたくまになくなり人気がある事がわかりました。学区の人々の「ふれあい」を大切に考えている行事ですが、これからもさらに充実させて行ければと思っています。 |
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| 2007年11月7日(水) |
| 「秋のふれあい広場」の紹介 |
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鳩が森町内会では社会福祉関連の行事として「秋のふれあい広場」を実施している。町内会の社会福祉委員が主体となり、町内のボランティアGなどの協力を得て実施しているが、この趣旨は高齢者から子供までが集い、お互いにふれあいを深めて頂くことである。以前は文化祭の形で、作品展示が主体でしたが、現在は「作品展示」(左上)の他、模擬店(左下)を開き、おでん・たこ焼き・焼き鳥・綿菓子などを作り無料で食べて頂いている(右上)。コーヒーも無料にしているが、ビールのみ100円を頂いている。祭礼などの時にお供えとして出されたお酒はキープしておいたので、お酒は無料で楽しんで頂いている。子供には草津市から「ワンツーシュート」(玉入れに近い競技)(右下)を借りてきたのと、ボランティアGが竹ポックリを作ったり、私が「割りばし鉄砲」作り・紙飛行機作りを指導したりするとともに、民芸遊びとしてコマ廻し、ケン玉、お手玉、おはじき、ビーダマなどの遊びを楽しんで頂きました。今回はかなりの方が見えましたので、食材も途中から追加仕入れに奔走しました。近くの町内会長や草津市の社会福祉推進課、我々の学区の老上公民館長にも招待状を出しました。都合がついた町内会長と老上公民館長が来て下さいました。コーヒー・おでん・焼き鳥・タコ焼きなどを賞味して頂き話しも弾みました。最後に「福引き」を全戸対象に行いました。この会場に来られない高齢者には、自宅まで「おでん」などを運び、喜んでいただきました。これからさらに高齢化が進みますので、それに対応したこのような催しも良いのではと思っています。 |
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| 2007年10月27日(土) |
| 老上学区「ふれあいスポーツ大会」について |
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老上学区自治連合会主催の「第16回老上ふれあいスポーツ大会」が開かれました。矢橋帰帆島グラウンドには約1000人が集い、スポーツの秋を堪能しました。種目には競技種目とオープン種目とありますが、競技種目では16町が順位を競いました。私の町内からも多くの方が出場して下さいました。体育委員が指導的役割を演じてくれますが、町内会長として全般に気を配りますので楽しんでばかりいるわけには行きません。草津市長も来て下さり挨拶(左上)して頂きました。学区の各種団体の責任者も全員出席されました。競技種目は玉入れ(右上)、水運びリレー、騎馬戦、長縄跳び、むかで競争、グラウンドゴルフ、男女混合リレー、綱引き(左下)で、各種目の得点の総得点で順位が決まります。この大会は「学区の住民が相互にふれあい、学区の融和を図る」のが目的ですから順位に拘ることなく、出場したい方を優先させました。お陰で三世代交流も図れたと喜んでいます。オープン種目は幼児レース、幼児くぐってとんでゴールイン、メドレーリレー、借り物競走、ラムネ飲み競争です。幅広い年齢層の方に出場チャンスがあるように配慮されています。閉会式後、ビンゴゲームを行います。多くの賞品も準備していますので、これを目当てにしている方もいるようです。昼休みの後には「応援合戦」も行われ、楽しい一日となりました。私の町内では以前には町内会として運動会を行っていましたが、高齢化のせいもあり、学区のスポーツ大会で楽しむようになりました(右下はリレーで応援している「鳩が森町内会」の方々)。これからも皆と住み良い町づくりに努めて行きたいと思っています。 |
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| 2007年10月20日(土) |
| 千日回峰行で星野師堂入り |
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「千日回峰行」は天台僧の相応和尚(831〜918)が創始。現在の回峰行は室町時代に確立されたものである。回峰行は「法華経」の常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の行から生まれたようである。一期7年の内、一千日の行で満行(地球一周にあたる4万kmを歩く)とする。始めの3年は素足に草鞋ばきで三塔(東塔、西塔、横川)と坂本の日吉大社(約30km)を300日、300日を過ぎると檜笠と白足袋が許される。550日目になると白帯袈裟が授与され「白帯行者」と呼ばれ、御杖が許される。5年目の700日目に「千日回峰行」で最大の難関の「堂入り」があり(左上は「斎食」の受付の様子で、招待された僧侶、一般、報道人にわかれて受け付けていた)、大津市の比叡山・無動寺谷の明王堂(左下)に9日間こもり、水と食事を断って、眠ることも横たわる事も許されない中で、不動明王の真言を10万回唱え続ける。「堂入り」した行者は6年ぶりで、戦後12人目。大乗院(右下)の星野圓道住職(32)はこの日白装束姿で、堂入り前最後の食事となる「斎食」の後、半田考淳座主(右上写真は半田座主が坂本ケーブル駅から明王堂まで天井輿で移動する所)や先に満行した阿闍梨ら約60人に先導され、無言のまま明王堂に入った。堂の前では約300人が一心に手を合わせ、命がけの荒行に臨む星野師を見送りました。「堂入り」後(堂入りを終えると「当行満阿闍梨」となる)、6年目に入ると「赤山苦行」が100日あり、さらに7年目に入ると「大廻り」といって、京都の社寺を廻り、1000日で満行。満行を迎えると「大行満阿闍梨」となり、不動明王の化身として信仰の対象となる。「堂入り」は10月13日。この日、私はたまたま延暦寺の写真の取材に行っていて、この「堂入り」に出くわしました。運が良いのかもしれません。身の引き締まる貴重な体験をしました。 |
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| 2007年10月13日(土) |
| 地球温暖化防止フェアinびわこ・くさつ |
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「地球温暖化防止フェアinびわこ・くさつ」が10月5日〜7日に草津市烏丸半島芝生広場で行われました(左上)。この広場にはテーマ(導入・交通・新エネ・家庭・廃棄物・緑と水・総合的)ごとに多くの企業・自治体・NPOなどが出展していました。最終日の7日は日曜日でしたので、家族連れ(子供連れ)が多く見受けられました。このイベントの呼び物として、南極の氷が出展され(右上)人気を得ていました。会場には3R(reduce,reuse,recycle)推進近畿ブロック大会、リサイクルフェア(左下)、フードコーナー、ステージ(右下)もあり、ステージでは滋賀県出身で関西のライブハウスを中心にライブを行っている「佐合井マリ子」さんのライブが楽しめました。佐合井さんはこのフェアのテーマソング「南極の氷」の作詞・作曲も行っているようです。CDも出しています。また、ステージではキャラクターショーとして「ウルトラマンコスモス」が行われ、子供達が喜んでいました。環境面では地球温暖化による弊害のPR、廃油の燃料化、燃料電池・天然ガス・ソーラー・水素・ハイブリッド自動車、ソーラー発電、風力発電、携帯用水力発電、小型風力発電、菜の花プロジェクト、剪定後の枝・葉チップの堆肥化、医療廃棄物の分解装置、ゴーヤーカーテンの効果、省エネタイプエアコン、省エネ家電、ヨシの働きやヨシ笛作り、水質・透視度検査の体験など多岐に渡っていました。地球の温暖化はかなりの速度で進んでいますので、これから先我々がどう取り組むかが求められていると感じました。
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| 2007年10月3日(水) |
| 第60回大津市文化祭 |
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第60回大津市文化祭が平成19年9月29日に大津市生涯学習センターで開かれました。友人の勧めと友人が出演されるので観賞に行きました。戦後、駐留軍が公民館を造るよう指導された時、全国で初めて大津市に公民館が出来ました(今も浜大津の所で活用されている)。公民館での活動の一つとして「文化の復興」を目指したのが今まで継続されて来ているようです。「明日の文化を語る」というパネルディスカッションがありましたが(右上)、各地域の文化協会の代表と大津管弦楽団の代表が現状の活躍状況と問題点、明日への取り組みについて熱く語っていました。各地域とも共通点も多いのですが、地域の特色を活かした活動をされているとの印象を受けました。瀬田東文化振興会では「源内峠古代製鉄炉復元」なども行っています。大津市も古代からわが国の歴史と深い関わりを持っていますので、歴史と結びつけて文化活動を推進して行くようです。大津市と姉妹提携を結んでいる韓国の亀尾(くみ)市から舞踊団(左上)も来て下さり「扇子踊り」を披露して下さいました。会場では「いけばな」「絵画」、「加盟団体の活動紹介」などもあり(右下)、お茶席も設けられていました。舞台では歌劇「カルメン」が上演された(左下)他、膳所石鹿太鼓、謡曲、新舞踊、日本舞踊、女性合唱、「詩吟」と「剣舞」と「詩舞」が発表され、大きな拍手を得ていました。面白い企画と思ったのはコラボレーション発表です。「詩吟」と「書道」と「いけばな」、次に「管弦楽演奏」と「日本舞踊」との共演です。上手くマッチングされ、良い出来だと思いました。この文化祭の印象は、大津市は文化面では素晴らしい活動をされている。若い人が今後も引き継いでいってくれたらと思いました。 |
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| 2007年9月28日(金) |
| 近江歴史回廊大学講座からの紹介 |
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近江歴史回廊大学の閉講式の様子は前回の日記で紹介しましたが、閉講式の前に講座があり、その時のことも記述しておきたいと思います。1時限目は関西国際大学客員教授高梨敬一郎さん(左上、右上)の「話法講座」でした。「話し上手は聞き上手」と言いますが、聞き上手で話しベタはいないようです。話し上手の方は人によって話題を上手く変えられるようです。意味のつながり通りにしゃべれば話しにも説得力がついてきます。話し始めると、よどみなく話される方がいますが、相手に聞いてもらえるように話すと、その人のストレス解消にもなりますが、ただ話しているだけではストレス解消にはならないようです。高梨さんはNHKのアナウンサーを長年やっていましたが、NHKのアナウンサーは長寿の方が多い。それは声を出して読む訓練が、頭の活性化になっているようです。高梨さんが、先輩などから指導され、今も続けていることに「情報をストックする」(ノートに書きとめておく、枕元にも置いておく)ことが大切で、後で見直した時に必要な情報は書き直しておく。3回書き直すと記憶に残り、話しの種に使えるようです。約1.5時間を、興味を持たせながら話したのでさすがと感心しました。2時限目は京都橘大学教授織田直文さん(左下、右下)の「歴史を活かしたまちづくり講座」でした。滋賀県は歴史全般に関わっているのでモザイク状になり売り出しにくいようです。しかし、歴史を今に活かす視点で、その時代の新しさを加味すると良い発信が出来るようです。長浜市の「黒壁」などがその例です。高齢者・若者にも受ける「歴史を活かしたまちづくり」について、色々と考える材料を頂きました。 |
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| 2007年9月18日(火) |
| 近江歴史回廊大学閉講式 |
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第9回近江歴史回廊大学の閉講式が行われた。昨年10月8日に開講式があってから14回の授業がありました。第9回は「近江戦国の道」、「比叡山と湖西湖辺の道」、「実践クラス」の3クラスがありましたが、私は「近江戦国の道」を受講しました。滋賀県(近江)は歴史の宝庫と言われていますが、これは古代・中世・近世・近代ともに歴史的に重要な事柄と深く関係しているからです。従って、授業を受けていても身近に思えるので、興味深く聞くことが出来、この「日記」にも何回となく紹介させていただきました。14回の授業の内、6回は現地研修でしたが、これはすごく楽しいものでした。現地研修の中でも「賤ヶ岳古戦場」は一番印象深く感じました。柴田勝家と豊臣秀吉の戦いは秀吉が勝利しますが、その勝因は何か、現地を見ながら考えるのは楽しいものです。この時の現地研修の様子はこのホームページにも載せました。さて、閉講式ですが、修了証書授与式で「戦国の道」では皆出席のスポレク27期生山長さんが代表で証書を受けられました(左上)。この大学のOBの有志約150人で活動している「近江歴史回廊倶楽部」会長が来賓で挨拶され(左下)卒業したら入会するよう勧めていました。受講生代表挨拶で、「戦国の道」では石山昌憲さん(右上)が挨拶され、大変有意義だったと述べていました。最後に記念撮影をしましたが、右下が「戦国の道」クラスの卒業生です。私は多忙で、皆出席とは行きませんでしたが、授業の内容は噛み砕いて、子供達に伝えていければと思っています。。 |
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| 2007年9月11日(火) |
| 「防災講習」(地震についての知識と対策)開催 |
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9月1日は防災の日で、全国的に防災訓練が行われた。日本は昔から地震国で、大きな地震が発生し、その度に大きな被害が発生した。今年も能登半島地震、中越沖地震などで大きな被害が発生している。私達の近くには、大津市から高島市マキノ町までの全長59kmに及ぶ「琵琶湖西岸断層帯」があり、今後30年以内の地震発生確率は9%とかなり高い。その規模はマグニチュード7.8と「阪神・淡路大震災」を大きく上回ると予想されています。私達の町内会でも、地震に対してどのような対応を取るか真剣に話し合い、対応を進めていく必要がある。その観点から、町内会主催の「防災講習」(地震に絞って)を企画した。講師には老上学区で「防災防犯」について研究を進めていて、造詣の深い「自主防災防犯研究会」(左上:今回のメンバー)(会長:小寺實(右上)、副会長:今川光明(右下))にお願いしました。「琵琶湖西岸断層帯」には膳所断層、堅田断層、花折断層、高島断層など多くの断層帯を抱え、これらをまとめての総称となっており、どの断層帯が震源になるかによって被害の程度は変わってくる。滋賀県が纏めた震度予測図によると、草津市の大半は震度6強となる。地盤は洪積層で、液状化現象も懸念される。10月1日から気象庁の緊急地震速報が始まるが、我々の所は震源地が近いため、P波とS波の時間が接近するため役に立ちそうにない。「防災講習」では、地震の基礎知識、地震対策と対応(防災マップづくり、自主防災組織、救出活動、災害弱者対応、個別の震災対応、防災グッズなど)について、幅広く教えて頂いた。今後、町内会としてどう対応するか検討を進めて行きたい。 |
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| 2007年8月28日(火) |
| 地蔵盆・夏祭り |
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私達の町内会では、地蔵盆・夏祭りはビッグイベントである。私達の町内会「鳩が森町」と隣接している「よし池町」との合同行事でもある。両町合わせて370世帯の方が参加します。地蔵尊の回向に来て頂いた庵主さんのお祈り(左上)の後、講話をして頂きました。地蔵尊は「香食神(こうじきしん)」で、香りを大切にしています。人間は「生食神(しょうじきしん)」で、生きているものを食べて生きています。食べる前に、手を合わせるのは「生きるもの(野菜も肉も)」への感謝のためです。常に感謝の気持ちを大切にしましょうと、話して下さいました。回向が終えると、子供達のために準備した「金魚すくい」(右上)、「風船釣り」、「射的」、「輪投げ」をやって頂き、賞品を出すと共に、全員にプレゼントの菓子を渡します。同時に、中学生主体のお店が開店し、「フランクフルト」、「ミニカステラ」、「たこ焼き」、「かき氷」、「ジュース」を始めます。事前に注文を取っているので、円滑に運びます。夕方からは、中学生に代わって、ボランティアグループが「焼きそば」、「かき氷」を始めます。夕食に格好です。暗くなる頃からアルコールなどのサービスが始まり、盆踊りとして、江州音頭(左下)を約1時間踊ります。私も子供達に教えながら、1時間踊り、汗びっしょりになりました。最後は、全世帯対象の福引き(右下)を行い、1等〜5等の方に景品を渡しますが、外れた方にも全員に景品を渡します。毎年、多くの方からお供えやご芳志を頂きます。お供えは全世帯に均等に分けて、お渡しします。多くの方に支えられて成り立つこのイベントを大切にして行きたいと思っています。 |
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| 2007年8月8日(水) |
| 朝のラジオ体操 |
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今年も小中学校の夏休みが7月23日(月)からスタートしました。この日から小学校地域委員のリードで、早速ラジオ体操が午前7時から集会所で始まりました(左上)。このラジオ体操にはボランテイアグループや老人会の「悠鳩会」の会員も積極的に参加している(右上)。ラジオ体操の初日である23日には安全講和などを実施し、子供達が安全に過ごせるように指導している。今回は老上西警察駐在所の警察官に来て頂き「安全についての話(防犯面から見た夏休みの安全な過ごし方)」をして頂きました(左下)。その後、地域委員の方による安全講習が開かれました(右下)。自動車の4方向に人形などを置いて、自動車からみた死角を説明し、実際に運転席に乗せて確認してもらいました。また、後部座席の人形がシートベルトをしている時としていない時で人形がどのようになるかを急停車させて見てもらいました。子供達に、自動車の後部座席に乗る時もシートベルトをするように指導していました。ラジオ体操はお盆の期間を除いて、平日に行われますが、子供達と高齢者が一緒に行動できる良い機会になっています。三世代交流の福祉バス旅行や子供達とのグラウンドゴルフ大会などで、子供たちとも交流を深めて行きたいと思っています。、 |
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| 2007年7月25日(水) |
| 近江歴史回廊大学ー佐和山城から彦根城へ |
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今回のテーマは「佐和山城から彦根城へ」で、彦根市教育委員会文化財課の谷口 徹先生(左上写真)の講義と現地研修である。佐和山城といえば石田三成の城の印象が強いが、この城は鎌倉時代初期に佐々木定綱の六男時綱が館を設けたことに始まる。その後、近江の北を統治した京極氏と南を統治した六角氏(いずれも佐々木家の出)などの奪い合いになるが、織田信長の時代になり一変する。関ヶ原の戦い後、井伊直政が城主になるが、佐和山城は山城のため、彦根藩では徳川家康の許可を得て、彦根山に平城・山城折衷の彦根城をつくるに際し、佐和山城から石垣や城の建材一式を流用し佐和山城は廃城になった。天守は大津城(大津市)を移築したもので、その他周辺の古寺・旧城から資材を集めて完成しました。中世の城は土塁と櫓で出来た城が大半ですが、近世の城の特徴は3点ある。@天守があるA石垣が主体B城の入り口の形が「枡形虎口」になっている。午後は彦根城(右下)の現地研修で、天秤櫓の所で石垣の積み方を説明(右上)して下さり、ここでは「牛蒡積み」(江戸時代初期)と「落し積み」(幕末)が使われているが、「牛蒡積み」の方が耐久性は優れているようです。天守の所で、彦根城の説明(左下)がありました。この城は戦いには使われずに、平和な時代になったので甲冑などの置場として使われており、藩主は天守には来た事がないようです。天守を活用したのは、織田信長と豊臣秀吉ぐらいとのことです。彦根藩主としての井伊家は幕府に重用され、14代の内大老職に就いた藩主が5人もいます。彦根城は今、400年祭ですので、この機会にもう一度行き、ゆっくり見学したいと思っています。 |
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| 2007年7月11日(水) |
| 自治連合会の研修旅行 |
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私は今年4月に町内会長に推されてから忙しく過ごしている。私が所属しているいくつかのクラブに1年間の休養をお願いして、町内行政に力を入れている。今回、各町内会長からなる草津市老上学区の自治連合会の研修旅行に参加しました。主目的は小松防災センターで研修し、その成果を地域の防災に役立てていこうとするものです。小松防災センターは小松消防署の建屋に設置されている。玄関前で記念撮影をする(左上)。今年3月に発生した「能登半島地震」の際に、小松消防署も応援に駆けつけましたが、その時の様子や防災についての考え方をお聞きしました(右上)。能登半島で地震が発生する確率は低かったのですが、静岡沖地震より早く発生しました。幸い、早朝にかかわらず住民の多くは畑仕事などに行っていましたので、死者は1人ですみました。また、防災訓練などもあまり行われていませんでしたが、近所付き合いが行われていますので、安否確認も円滑に行われたようです。ここでも最近建てられた家は耐震性に優れているので、1件も被害にあっていませんが、昔の家は壁の補強も劣っているので多く倒壊したようです。このセンターで「煙体験」といって、煙の中でどのように行動できるかを体験しました(左下)。ここでは落ち着いて出来ましたが、いざとなると、あわててしまい的確に行動できるかな?消火訓練も行い、消火液のかけ方を勉強しました(右下、火もとへかける)。今回の研修成果を町内にも反映させて行きたいと思っています。 |
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| 2007年6月27日(水) |
| 近江歴史回廊大学”近江戦国の城” |
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今回の講義は”近江戦国の城”と題して、米原市教育委員会の中井 均さんがよどみなく話して下さいました。城とは軍事的防御施設であるので、天守閣より、石垣や配置などに興味が行くとのことである。中世の城は土からなるもので、石垣は使っていない。天主(守)閣は織田信長の安土城から以降出てきたもので、それまでは簡単な櫓を組み立てる程度であった。日本には3〜4万の城跡がある。滋賀県は近江一国で1,300ほどあり、全国でも最大級である。。広島県には1,500ほどあるが、安芸と備後の2国合わせてである。甲賀郡の城跡は中惣、同名中といって仲間意識が強く、どの城を見ても、小さく(一辺が50mほど)、ほぼ方形で単郭である。この甲賀以外は山の地形を活かして作っているので、同じものはない。近江は中世時代は湖北を京極、浅井が、湖南を六角が支配していたので、城跡にもその影響が出ている。六角氏の本城である「観音寺城」は日本最大級の山城である。廓が1,000ぐらいある。ここでは中世時代であるが、石工がいたのか、石垣が使われている。ここだけで、如何に勢力が強かったか推測できる。浅井氏の本城「小谷城」も3段構えで大きい。京極氏の本城である「上平寺城」も規模が大きい。彦根城は今400年祭で賑わっているが、国宝の天守閣より、石垣の配置の仕方、防御の手段に工夫を凝らしており、そこをじっくり見てほしい。大変有意義な講義でした。 |
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| 2007年6月15日(金) |
| 近江歴史回廊大学の野外研修 |
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第9回近江歴史回廊大学の戦国の道クラス現地研修「賤ヶ岳古戦場他」に参加した。米原駅西口に集合し、バスで余呉町柳ヶ瀬に到着し、そこから玄蕃尾城まで約4kmの山道を歩く。今回の講師は長浜城歴史博物館の太田浩司さんで、若いのでせっせと歩く。この山道は明治時代頃の敦賀から木之本までの主要道路で、その当時の電柱が残っている。玄蕃尾城は賤ヶ岳合戦の時に、柴田勝家が築いた山城ですが、土塁や空堀など堅固に作られており(右上)、その当時の築城技術に驚きました。平成11年に15万平方メートルが国指定史跡に指定されています。城跡で太田先生と写す(左上)。賤ヶ岳の山頂からの余呉湖の眺めは素晴らしい(左下)。ここで天下分け目の賤ヶ岳合戦が行われたとは・・。山頂には戦いに勝利した武将の銅像がある。勝ったとはいえ、虚しさが表現されている(右下)。柴田勝家軍は山城などに陣を置き、秀吉軍とにらみ合っていたが、秀吉が再度挙兵した織田信孝・滝川一益軍の制圧のため美濃に入って制圧し、大垣城にいるのを好機とみた勝家は佐久間盛政に命じ、大岩山の中川清秀を奇襲させ勝利する。勝家は盛政に撤退を命じるが応じなかったのが、後の敗戦につながる。秀吉は大垣城から52kmを7時間で大岩山まで引き返し、盛政軍を撤退させる。結局、秀吉の大軍に抗しきれず勝家は素晴らしい玄蕃尾城などの山城を使うことなく北ノ庄城に逃れ、秀吉軍に包囲され自害する。この賤ヶ岳合戦の戦いで勝利した秀吉は天下取りに成功する。秀吉が当時歩いた大岩山への道など、余呉町まで約5kmも歩き、太田先生の説明を聞きながら、合戦の様子に思いをはせることが出来ました。 |
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| 2007年6月5日(火) |
| 交通安全高齢者師範学校開校式 |
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私が所属している悠鳩会から参加を要請されたので、快く引き受けました。今日(5月31日)は開校式で(開講式の様子は左上)、これから毎月1回の講習があり11月17日の閉校式までに5回の講習会がある。今回が20期とのことで、かなり前から行われていたようである。この主催者は草津市と栗東市で、草津市長が師範学校長(右上)で栗東市長が副校長(左下)で、両市長のあいさつがありました。この学校の開設趣旨は「めまぐるしく変化する現代の車社会の中で、高齢者の交通安全についての意識向上を図ることを目的に、地域でのリーダーを養成するため交通安全高齢者師範学校を開設する」とのことである。滋賀県での交通事故死者のうち、高齢者が約40%を占めてあり、その高齢者の方々の内、歩行中に事故にあわれた方が約半数を占めています。体調の変化を感じたら無理は禁物で、どうしても注意力も低下しますので、ゆとりのある運転をするか、早めの休憩を心がけるか、運転を止める勇気が必要です。事故の大半は自宅近くで発生してるようです。油断しないことも大切です。今日の開講式では入校生代表誓いのことば(右下)を草津市と栗東市の代表が述べ、最後に全員で交通安全の誓いを唱和しました。これからも安全運転を心がけたいと思っています。 |
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| 2007年5月29日(火) |
| レイカデイア大学同窓会本部総会 |
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平成19年度滋賀県レイカディア大学同窓会本部総会が5月26日(土)に野洲市の野洲文化小劇場で開かれた(左上は受付の様子)。約250人の会員が出席しました(右上は会場の様子)。開会の言葉の後、物故者への黙祷、レイカディア讃歌(校歌)を斉唱してから奥村会長の挨拶(左下)、同窓会の進展に寄与された9人の方の功労者表彰、28名の方の長寿者慶祝(明治41年〜大正9年)、来賓祝辞の後、議長を選出し議題に移る。平成18年度事業報告・会計報告・監査報告の後、平成19年度事業計画・予算について審議し、原案通り認められました。総会終了後、児童文学者の今関信子さんが「みんな みんな つながって」の演題で講演されました(右下)。現在希薄になっている人と人とのつながりなどが如何に大切かを、実例をあげて話し、つながりをつなげるには「きっかけ」をつくり対応することである。「持ちつ持たれつ」という言葉やその意味することも大切にしたいですね。と、今関さんの児童童話を見せながら丁寧に話して下さいました。レイカディア大学同窓会の会員は現在約2,000人ですが、これからさらなる進展を期待したいと思っています。 |
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| 2007年5月15日(火) |
| 近江歴史回廊大学後期授業 |
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近江歴史回廊大学の後期授業がはじまった。講師は滋賀県教育委員会文化財保護課建造物担当主幹の池野 保先生(左)である。今回は「寺と社」について講演して頂いた。滋賀県は国指定文化財建造物では、京都、奈良に次いで第3位であるが、重要文化財まで拡げると東京に国立博物館がある関係で、第4位となる。しかし京都、奈良、滋賀県で約33%を占めるので、滋賀県も文化財の宝庫といえる。建築の時代区分は4区分、古代(飛鳥・奈良・平安)、中世(鎌倉・室町)、近世(桃山・江戸)、近代(明治・大正・昭和)であるが、社寺建築では奈良は古代、京都は桃山、滋賀県は中世の建築が圧倒的に多い。神社本殿の様式には流造・入母屋造・日吉造・春日造・切妻造・権現造があるが、滋賀県では圧倒的に「流造(ながれづくり)」が多い。また、拝殿は滋賀県では正方形に近いものが多いが、全国的には長方形が多い。重要伝統的建造物群保存地区(町や市が保存の主体となるが、国の選定を受けた物)は全国で79地区あるが、滋賀県は3地区(坂本、八幡、五個荘)。登録有形文化財(外観は保存されるが、内部は自由に改造できる)は滋賀県は232件で全国で第6位である。滋賀県の第1号は長浜市の「黒壁」である。寺院建築の様式は4様式(和様、禅宗様、大仏様、折衷様)があるが、宗派により間取りが変わってくる。滋賀県は大津付近は天台宗、甲賀付近は浄土宗、湖北は圧倒的に真宗、高島付近は禅宗が多い。紙面の都合で割愛するが多くのことを教えていただきました。 |
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| 2007年5月6日(日) |
| 私の町内の祭礼ーお神輿巡行 |
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私が住んでいる町内(鳩が森町内会)は約170世帯の町内であるが、今年度は町内会長に選出された。例年5月3日に行っている祭礼は最初の大きな行事である。最初に鞭崎神社本社の宮司さんに来て頂き、私たち町内の守り神である鞭崎神社分社で式典を行う。神主祝辞、玉串奉納、神輿のお祓い(左上)などの式典が終了した後、子供が主役の神輿(樽神輿)巡行に移る(右上)。町内を隈なく巡行するが、途中3か所で休憩を入れる。休憩所では子供達などにジュースや菓子が配られ、子供達も英気を養う。今回から私たち町内の老人会である「悠鳩会」も全面的に参加して下さり、樽神輿の組み立て、祭礼の「献進物」の整え方などで協力して下さり、今回の神輿巡行にも参加して下さいました(左下)。豊富な知識を活かして下さるのはありがたいことです。巡行(右下)中、子供達も「わっしょい」と大きな声で応えてくれるので、私たち役員・参加者は大いに盛り上がります。町内の子供の数は減ってきていますが、これから順調に成長してほしいと祈念しています。 |
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| 2007年4月25日(水) |
| レイカディア大学同窓会草津・栗東支部総会 |
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レイカディア大学同窓会草津・栗東支部の総会がアヤハレークサイドホテルで行われた。レイカディア大学同窓会が発足してから今年は25周年になる。滋賀県内に9支部があり、約2000名の会員がいるが、草津・栗東支部は214名の会員である。今回の総会には約60人の会員が出席した。開会のことばの後物故者への黙祷、その後三上支部長の挨拶(左上)がある。同窓会会長の奥村さんの来賓挨拶(左下)の後、議題に移る。平成18年度事業報告・平成18年度収支決算報告および監査報告の後、平成19年度事業計画・収支予算・新役員を承認し、総会を終えた。その後、草津総合病院脳神経外科センター長松村憲一先生の「脳梗塞・脳出血の予防について」の講演(左側の右下)がありました。講演後、場所を変えて、懇親会に移る。懇親会では、先輩・後輩が初対面でも打ち解けて話せるように席をランダムにしている。締めくくりは、スポレク26の杉本さん(右側の左下)のハーモニカ演奏・伴奏で、レイカディア大学校歌、琵琶湖周航の歌を歌いました。今後も、同窓会活動に積極的に参加して行きたい。 |
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| 2007年4月15日(日) |
| 自彊クラブの総会 |
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自彊クラブの総会が草津市市民プラザで開かれた。華園代表に代わって谷幹事が会長挨拶を代読し、18年度事業報告がなされたが、18年度も21回の活動を行った。自彊術体操を主体にレクリエーションや健康ミーティングを行うと共に、サクランボ狩り、ぶどう狩り、湖南三山・湖東三山巡り、ウオーキング、グラウンドゴルフなど盛りだくさんの活動がなされた。18年度会計報告の後、規則の一部改正が議論された。規則に会員の病気お見舞いや弔事への対応が入れられることになった。19年度の活動も、自彊術体操とレクリエーションを主体とするが、里山ウオーキング、グラウンドゴルフ、観光(ぶどう、梨狩りなど)の充実化、ニュースポーツ、フォークダンス・ゲーム・脳トレ、宿泊新年会の実施などを盛り込むことになった。現在会員は24名であるが、アットホーム的で暖かく、笑いのあるクラブを目指しており、健康に常に留意した素晴らしいクラブであり、更なる進展を期待しています。 |
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| 2007年3月22日(木) |
| レイカディア大学同窓会草津・栗東支部作品展 |
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レイカディア大学草津・栗東支部の作品展・活動展が草津市立まちづくりセンターで3月16日〜18日の日程で開かれた。例年行われているが、作品も多岐にわたっている。今年も第1期生から27期生まで49名の方が出展されている。受付(左上)で記帳した後、ゆっくりと鑑賞する。陶芸作品(右上)、絵画(水墨画、油絵)・俳句・短歌(左下)、書(右下)の他、木彫り・切り絵・写真・手芸・掛け軸・大津絵など多くの力作が展示されている。活動展では、各クラブなどで活動されている活動内容を写真なども入れて紹介している。同窓会として、各支部でほぼこの時期に作品展が開かれているが、レイカディア大学で学んだ事が活かされている。特に、陶芸の方は作品に自信を持っておられる方が多く、同期展・クラブ展などあちこちで発表されている。このような展示会に発表されている方は、若々しさを感じる。スポーツ・レクリエーション学科の方は、運動などの面で活躍している方が多く、これも若々しさを維持する大切な要素でもある。各人の趣味や特徴を活かして活躍出来れば素晴らしい人生が送れると感じています。 |
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| 2007年3月15日(木) |
| 近江歴史回廊大学〜交通 |
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今回は京都大学文学部教授金田章裕先生の「交通」についてを受講しました。[延喜式」(養老律令の施行細則を集大成した法典。施行は967年)によると、この頃の七道の駅数と馬数が記載されている。東海道56駅465疋、東山道82駅880疋、北陸道40駅203疋、山陽道56駅954疋、山陰道37駅230疋、南海道(畿内から四国)22駅110疋、西海道(九州)97駅47疋である。この頃の道の役割は政治や貢納と労役など負役の道といえる。中世(鎌倉・安土桃山時代)になると戦いが多くなり、道の役割も行軍(騎馬)や市(いちに集う人々)や祈りの道へ変化する。近世(江戸時代)になると道の役割が参勤交代や参宮の道となる。江戸時代には五街道に宿場町が出来、道の難所は整備されたが、道の整備の観点からはあまり進んでいない。近代(明治元年以降太平洋戦争終結まで)には道の役割は徒歩の道・車の道へと変化する。日本の道路はヨーロッパなどと異なり、主体が徒歩交通に適するように整備されていた(馬に乗っても、馬を引く人は歩く、馬もわらじをはいていた)ので、近代になって馬車交通から自動車交通に変わるが、それに適する道路整備が遅れていました。「交通」の観点からも時代の変化を読み取れる事がわかりました。 |
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| 2007年3月8日(木) |
| 近江歴史回廊大学〜湖・祭・くらし |
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今回の講義は成安造形大学学長木村至宏先生の「湖・祭・暮らし」である。琵琶湖は日本では一番大きいが、大きさでは世界で187番目である。古代湖(この定義は@10万年以上の歴史があるA固有種が生息している(琵琶湖ではビワマスなど53種)B地殻湖である)としては四番目で、一番目は世界で最古の歴史(3000万年)のあるバイカル湖、二番目はカスピ海、3番目はアフリカのタンガニーカ湖である。琵琶湖は400〜600万年前は今の三重県あたりにあったが、北へと動いており(1年間に4p)、この調子で動けば、これから10万年後には南湖がなくなる計算になる。琵琶湖には縄文時代の湖辺遺跡が200箇所、湖底遺跡が80箇所もある。滋賀県でも各地で祭りが行われているが、これは五穀豊穣・集落安全・無病息災・除災招福などに対する庶民の祈り・生への営みの節目として行われている。祭りの形式によって、三つに分類できる。@曳山祭り系(大津祭、長浜の子供狂言など)A風流踊系(近江八幡の左義長など)B民俗行事系(日吉山王祭など)である。琵琶湖は江戸時代中頃までは淡海と言っていたが、竹生島の弁才天の楽器琵琶から、琵琶に似ているとされ、琵琶湖と呼ばれるようになったようである。 |
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| 2007年3月1日(木) |
| 「ITによる仲間づくり地域活動」実践者交流会 |
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表題の実践者交流会が2月24日に県立長寿社会福祉センターで行われた。講演会では徳島大学大学開放実践センター教授吉田敦也さん(左上)が「自治会活動やシニアサークル活動ホームページ発信の効果とすすめ」で講演された。情報化社会の進展で社会や産業界などが情報の恩恵に与るとともに世界中の人が情報の共有化が出来るようになったが、一方悪く活用する波及効果も大きな物になり、陰と陽の2面がある。しかしきってもきれない情報のツールをより良い方法でプラスに活用するかが重要である。最近発売されたVistaのデモも交えて、情報発信の素晴らしさを話して下さいました。その後ミニ講座として、「自治会サークルのホームページについて語ろう」、「シニアのパソコン講座自主グループ集まれ」、「SNSについて勉強しよう」が開かれた。各種NPOやグループの展示(右上)も行われ、種々の素晴らしい活動が行われている事を知る事が出来ました。来場者には無料でオリジナル名刺を作成するコーナーも設けられ、私もシニアネットの仲間(左下、右下)とオリジナル名刺の作成を行いました。これからの社会では如何に情報を取捨選択して活用するかが求められていると感じました。 |
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| 2007年2月21日(水) |
| 近江歴史回廊大学〜坂本城跡の現地研修 |
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明智光秀が築いた坂本城は、光秀が秀吉と戦った「山崎の合戦」(1582年6月)で敗れ、小栗栖にて敗死(55歳)した後、焼亡した。同年9月に丹羽長秀により復旧工事が行われたが、1586年には坂本城の大部分が大津城へ移転し廃城となった。この年、羽柴秀吉は関白となり、翌年豊臣の姓を賜う。今回、大津市埋蔵文化財調査センター所長吉水眞彦先生(左上)による現地研修がありました。坂本城は東南寺川の北側の琵琶湖岸に本丸があり、この西側に二の丸、三の丸があったようである。湖中石垣の跡(右上)が運良く見えました。昭和54年の発掘調査では焼土中から建物の礎石や石組みの井戸、池、溝、石垣の基礎石などが検出されています。また、この付近から多くの瓦が出土していますが、安土城のような金箔瓦はなかったようである。傅教大師の法華経の説法の場であった東南寺の近くに「坂本城跡」の石碑がある(左下)。坂本城落城の際に光秀の脇差名刀の「郷義弘」並びに宝器物を埋めた跡に、ここの地主が鎮魂のため「明智塚」(右下)を作り毎年鎮魂行事を行っています。 |
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| 2007年2月14日(水) |
| 近江歴史回廊大学〜明智光秀と坂本城 |
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今回の講義は成安造形大学学長木村至宏先生の「光秀と坂本城」である。明智光秀は武芸の他、文芸や茶道でも秀でていた。生まれは今の愛知県土岐市のようであるが、40歳までの様子ははっきりしていない。永禄10年(1567)約40歳の光秀が足利義昭の臣下となり、歴史上の人物になる。永禄11年に光秀が信長と義昭を会わせるが、その功績で信長に認められる。しかし、天下を目指す両者の板挟みになるが、時代の流れを読み取り信長につく。その後種々の画策をしていた義昭を1572年7月に宇治で破る。それより前、光秀は信長から滋賀郡の支配に命じられ、1571年12月に坂本の湖岸に「坂本城」(水城)を築く。坂本城は絢爛豪華で、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの「日本史」によると「信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどだった」と賞賛されている。光秀は1581年までは信長の信頼が厚く、絶頂期であったが、1582年家康の饗応役を命じられてから、信長の嫌がらせを受け、1582年6月2日に「本能寺の変」となる。光秀が悪役に仕立て上げられるのは、江戸時代に盛んであった「儒教」の影響がある。主に逆らう者はすべて悪人であるとの思想である。光秀の肖像画は大阪岸和田市の本徳寺にあるのみである。最近、光秀が見直されているようである。 |
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| 2007年2月7日(水) |
| スポレク26第4回親睦会 |
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スポレク26第4回親睦会が行われた。今回は東近江市・近江八幡市の4名(青木・岩佐・犬井・辻さん)が企画し実施して下さいました。近江八幡駅に集合し、車で日本酒メーカー喜多酒造(株)(1820年創業)に行き、社長の案内で日本酒作りの工程を見学しました。喜多社長がレイ大で日本酒について講義して下さったのが縁となり、快く案内して下さいました(左上)。ここを車で出て、市営のグラウンドで軽めの昼食をとった後、グラウンドゴルフをし、16ホールをラウンドしましたが、辻さん・木村さんにホールインワンが出ました。スポレク26では毎月例会を開いており、皆さん腕が上がっています。その後、八日市大凧会館に行き、100畳敷きの大凧や日本や世界のユニークな凧を見ることが出来ました(右上)。次に、自然観察の森「河辺いきものの森」に行き、天然記念物の「ハヨリ」の池(左下)などを見学してから、布引焼窯元に行き、ユニークな七彩天目のフクロウ(右下)などを興味深く見学しました。最後に、旬菜工房「しずく」で京料理を味わいながら歓談しました。仲間と一緒に楽しい一日を過ごす事が出来、幹事の方に感謝いたします。この親睦会の様子の詳細はここをクリックして見ていただけたらと思います。 |
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| 2007年1月31日(水) |
| 「極楽論」の読書感想 |
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玄侑宗久著「まわりみち極楽論」(朝日文庫)を読んだ。著者は慶大卒で1987年に臨済宗妙心寺派の福聚寺副住職となり、2001年に「中陰の花」で芥川賞を受賞された。僧職に入る時「二者択一」で悩んだが、瀬戸内寂聴さんと同じく「二者択二」(僧職と作家)を選び、その選択により視野が拡がったようである。この本は著者が今までに受けた相談事に応える形で本にしたためたもので、「人生の不安にこたえる」ことに主眼が置かれており、種々参考になる所が多い。人生でめざすものを「幸福」から「安楽」、「極楽」に方向転換することで、人生は別な顔を見せてくれる。「極楽」は「幸福」のようにキリのない欲望なのではなく(「幸せ」とは到達したと思ったら逃げてしまう永遠の幻のようなものだ)、ちゃんと誰もが辿り着ける心と体の特定の状態の事である。人生で「まわりみち」こそ楽しい極楽への入口だと主張している。著者は多くの相談事に共通点を見出せると言っている。大きな悩み事であればあるほど「発想の自由さ」を失っているということだ。彼らが正面に見つめているのは、どうも「幸福」という概念らしい。著者はこれこそが不幸を感じるシステムであり、まるでむち打ち症の人が首をロックされるように、不幸の意識で縛られた首は、さらに視野を狭めていく。お釈迦様は「四苦八苦」からの解脱を目指して出家した。そして一生かけて弟子達に指導したのは、あくまでも苦の反対語楽、つまり「安楽」になる方法だった。後にその境地は「極楽」と呼ばれている。著者は特定の宗教や思想の枠組みそのものが「精神的安楽」を邪魔するものだと割り切って、枠を乗り越えて大廻りに「まわりみち」すればいいとアドバイスしている。一読に値する本だと思いました。 |
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| 2007年1月23日(火) |
| 近江歴史回廊大学〜滋賀県の成立など |
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近江の近代の歴史の中で、滋賀県の成立等に関して、同志社大学人文科学研究所教授高久嶺之介先生の講義を受講しました。明治時代初めの廃藩置県で一時大津県とも呼ばれましたが、明治5年9月に滋賀県の名称になりました。トップは県令と呼ばれていましたが、明治19年に知事の名称になりました。明治24年に彦根町の有力者が県庁の移転運動(大津では南部に偏っているので彦根が良い)を展開しましたが、結局県会で否決され、昭和12年にも提案されたが、実らなかった。近江の近代(明治元年以降)の特徴を次に示す。@大きなもめごとが起こっていない。(大津事件(明治24年にロシア帝国皇太子ニコライを負傷させた)は京都から来て起こったので、京都で処理)A村の纏まりが強く、よそ者の排除性も強い。B商業活動が盛んな地域。C人の行き来が盛んな地域で、江戸時代にインフラ整備が出来ていた。D近江は他の所と比べ、豊かな地域であった。また、近江は「文明開化」を柔軟に受け入れる風土がありました。江戸時代や明治時代の中期まで湖上交通が盛んでした(明治15年には太湖汽船会社創立)が、明治22年に東海道線が全通し、琵琶湖水運の地位が著しく低下しました。今回も有益な講義を受講出来ました。 |
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| 2007年1月16日(火) |
| 近江歴史回廊大学「近江の歴史ー近世」 |
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今回の講師は京都府立大学文学部教授水本邦彦先生の「近江の歴史Vー近世」である。今回の講義の要点は@江戸時代を中心とした近江の領主?Aその時の近江の町や村の様子B物流と街道についてである。@近江の国は、土佐藩や前田藩のように一国一藩でなく、多くの領主がいた。最大の藩主は彦根藩の30万石であるが、近江の国の石高は85.9万石(全国では3000万石)である。彦根藩以外に7藩(膳所、水口、大溝、西大路、三上、宮川、山上)と他国大名(仙台藩など)、天領(幕府直轄)、旗本や社寺等の領地があった。A近江は12郡(滋賀、栗太、野洲、甲賀、蒲生、神崎、愛知、犬上、坂田、浅井、伊香、高島)(山城は8郡)、1579村(全国で6万ヶ村)あったが、領地間の境界に拘らず村単位の「掟」でルール化されていた。領主間の争いは、京都奉行所が裁いていた。B街道と物流は密接に関係している。琵琶湖や北陸からの物流、東海からの物流基点として同じ彦根藩の長浜と米原が争っていたが、長浜経由の物流が優勢だったようである。物流の面から街道を見ていくと、現在では山里に陣屋があったり、春照(すいじょう、旧伊吹町)もクローズアップされる。色々な視点で歴史を見ると、奥が深くまた大変勉強になると感じました。 |
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| 2007年1月10日(水) |
| 「国家の品格」読書感想 |
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藤原正彦著「国家の品格」(新潮社新潮新書)は220万部を突破し、昨年のベストセラーのトップであった。この本がこれだけ売れるということは、日本がどうあるべきかを懸念している方が多いということだと思います。筆者は数学者であるが、外国での生活(コロラド大学助教授など)も長く、種々の経験から現在の日本の姿に懸念を抱き、種々の提言をされている。この本の冒頭に書かれている要旨を次に紹介します。(日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化というアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることは出来ない。今日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。)と書かれている。この本を読んでいて、かなり前の話になるが、吉田茂さんの著書「日本の・・・」で、日本人は自信と誇りを持てと主張していたのと共通している事があると感じました。著者はアメリカは多民族国家であるため「論理」が優先されてきたが、「論理」では社会問題を解決出来ない。日本では戦後、自由・平等・民主主義が行き過ぎ、その反面精神構造が空虚になったので、荒廃が進んでいる。日本人に古くから受け継がれてきた「情緒と形の文化」「武士道精神」を見直し、これを取り入れることで日本人の品格が甦り、「国家の品格」が国際的にも通用するものに再生されるのではないか。この本には誇張されている部分も多いが、私は著者の主旨には賛成である。 |
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| 2007年1月3日(水) |
| 2007年初詣、年始交換会 |
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新年おめでとうございます。昨年は病気で寝込むこともなく忙しく過ごす事が出来ましたことを神様に感謝いたしました。今年も「健康第一」で動き回りたいと思っていますので初詣でお祈りいたしました。元旦の早朝に地元の「鞭崎神社」(左上)と「龍宮神社」(右上)に行きましたが、地元の方々の年始の行事が行われるのか、焚き火を炊きながら種々の準備をしていました。古くからのしきたりが代々受け継がれている光景は素晴らしいと思いました。私どもの町内には「鞭崎神社」の分社があり、宮司さんに来て頂き、毎年元日の9時から祈願祭(左下)を行っています。町内の方々が集まり、町内の宮係りのリードで町内の方々の安泰を祈ります。その後、年始の交歓会を行います。町内の方々とは、この会で年始の挨拶が出来ますので、多くの方が参加されます。例年、家族での初詣は建部大社(右下)に行き、お札と破魔矢を頂き、家の神棚に収める事にしています。昨年のお札と破魔矢はお返しし、感謝の祈りをしてきます。昨年は元日に行きましたが、すごい行列でしたので、今年は2日の早朝に行き、ゆったりと参詣することが出来ました。この一年が良い年でありますように願っています。 |
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