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2009年11月17日(火)
映画「沈まぬ太陽」について
映画「沈まぬ太陽」を見に行きました。この映画は渡辺謙が熱演しているので・・。原作は作家の山崎豊子さん。ストーリーは、昭和30年代、巨大企業・国民航空社員の恩地元(渡辺謙)は、労働組合委員長を務めた結果、会社から10年におよぶ僻地での海外勤務を命じられた。かって共に闘った同期の行天四郎(三浦友和)が組合を抜けてエリートコースを歩み始める一方で、恩地は家族との長年にわたる離れ離れの生活で焦燥感と孤独に追い詰められ、本社への復帰を果たすも不遇な日々は続くのだった。そんな中、航空史上最大のジャンボ機墜落事故が起こり・・。原作小説は累計700万部を超える大ベストセラーで、かつ未だ映像化されていない最後の傑作と言われる小説の、待望の映画化です。日本が高度経済成長を実現し、世界経済の頂点へと上りつめて行く時代に、巨大組織の中で翻弄されながらも、強い信念と不屈の精神をもってどんな過酷な状況をも克服していく男の姿を描いた社会派ドラマでした。原作の小説では、上記のようになっていますが、明らかに、1985年8月12日に日本航空123便東京発大阪行きボーイング747SR-46(ジャンボジエット)が群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の尾根に墜落した事故で、死者520名、負傷者4名の最大の航空機事故をさしていると思います。映画は、渡辺謙、三浦友和、石坂浩二等の熱演に引き込まれていき、見応えのある映画でした。
2009年11月3日(火)
京都府立陶板名画の庭と植物園
今回は、私達の句会である「夕凪俳句会」の吟行で、「京都府立陶板名画の庭」と「京都府立植物園」に行きました。「京都府立陶板名画の庭」は、名画の美しさをそのままに再現した丈夫な陶板画を安藤忠雄氏設計の施設(竣工は平成6年3月)に展示するもので、屋外で鑑賞できる世界で初めての絵画庭園です。陶板画は全部で8点。左の写真の左上はミケランジェロ作「最後の審判」で、1430cm×1309cmの大作です。右上はレオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」で、432cm×886cmです。他は、モネ作「睡蓮・朝」、ルノアール作「テラスにて」、ゴッホ作「糸杉と星の道」、スーラ作「ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後」、鳥羽僧正作「鳥獣人物戯画」、張澤端作「清明上河図」です。この建物での鑑賞は、スロープを上下しながら、目線を変えて鑑賞出来るのが素晴らしいと思いました。地下鉄「北山駅」のそばにある「京都府立植物園」を入ると、左下の写真のように数多くのコスモスが迎えてくれました。ここは開園(大正13年、1924年)して約85年に成りますが、正門近くに「くすのき並木」(右下)があります。長さ約200mの常緑の並木道に開園時に植えられた約90本の「くすのき」(樹齢約100年)があり、川端康成の小説「古都」にも登場しています。入園する時に、「きまぐれ園だより」や「もみつ情報」(もみじに関する情報)といった詳しい情報を頂けるのも素晴らしいと思いました。この時期「菊花展」も行っており、立派な大菊などが、多くの方を魅了していました。
2009年10月22日(木)
「法隆寺」について
法隆寺に久し振りに行きました。私が会長をしている「悠鳩会」の多数の希望者を案内するため、下見と本番と2回行くことが出来ました。この法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。その創建の由来は「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や「法隆寺伽藍縁紀廾流記資財帳」(747)の縁起文によって知ることができます。それによりますと、用明天皇が自らの病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されましたが、その実現をみないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺とも呼ばれています)であると伝えています。現在、法隆寺は五重塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とした東院伽藍にわけられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒を連ね、たくさんの宝物類が伝来しています。国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点に及んでいます。このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ伝統を誇り、特に1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産に日本で初めて登録されました。左の写真の左上は中門、左下は金堂、右上は五重塔、右下は夢殿です。大宝蔵院には玉虫厨子や八頭身の百済観音像など素晴らしい宝物が多く、見応えがあります。今回、飛鳥・奈良時代の歴史を顧みる事が出来感銘を受けました。
2009年10月11日(日)
「火天の城」について
「火天の城」は、織田信長が現在の滋賀県安土町に築いた「安土城」に関する物語で、滋賀県の安土町や高島市でロケが行われました。滋賀県知事も何回か訪問していますので、新聞記事にもなったこと、「安土城」には前から興味を持っていましたので、映画の公開前から、是非見に行きたいと思っていました。この物語のストーリーを次に記す。この天主(天守)は五層七階、金箔瓦に玉虫のごとくに輝く色とりどりの外装を持ち、一時は内側がキリスト教大聖堂のように吹き抜けとなるように構想されたという独特の巨城は、まさに信長の天下統一事業の先魁的象徴ともいうべき絢爛豪華かつ空前絶後の城郭であった。果たして、その不可能を叫ばれた建立は、如何にして実現したのか?原作は直木賞作家、山本兼一が第11回松本清張賞を受賞した傑作歴史小説「火天の城」(文藝春秋刊)。およそ15億円の巨費を投じて完全映画化した物語の中心にいるのは、、これまで史実の表舞台に出る事がなかった熱田の宮大工岡部又右衛門(西田敏行)。彼の尽力を真正面から活写し、驚くべき安土城築城の実態に迫った本作は、単なる乱世の時代劇という枠組みを越えて、まさに「戦国時代のプロジェクトX」と呼ぶべき人物発見、歴史再発見の旅となりました。「木組みは心組み」というもの作りの精神を、職人とその門下生の姿に託しつつ、同時に名もなき女性達の想いも織り込んだ怒涛の物語は、想像を絶する築城のスペクタル映像と相まって、感動の涙を誘います。宮大工一家にあふれる家族愛!男同士の絆が生む新たな信長像!など見る価値のあるものでした。
2009年10月1日(木)
敬老会
滋賀県草津市老上学区の敬老会が敬老の日に開かれました。毎年学区社会福祉協議会主催で行われている。老上小学校の体育館に約400人が出席して行われましたが、敬老会の対象者は約1,600人いますので4分の1が参加したことになります(左上)。敬老祝賀会のプログラムは、祝賀式典の後、アトラクション第1部、昼食、アトラクション第2部、最後に福引きである。祝賀式典では、開式の辞、物故者へ黙祷、市民憲章唱和、市民歌斉唱、主催者挨拶、来賓挨拶、メッセージ及び祝電披露、謝辞、閉式の辞である。アトラクション第1部では、老上幼稚園児による「歌と体操」(右上)、老上小学生による「リコーダ演奏」、バトンチームによる「バトン・トワリング」(左下)が行われ、出席者から大きな拍手。この1部の最後は篠原さんの「手品」(右下)です。「祝」に関する手品で始まり、変装をあっと言う間にしてしまう見事な手品、布切れ・羽根が色々な色に変ってしまう手品など、最後に手品の種明かしもしてくれました。昼食後、アトラクション第2部は学区の健康推進員協議会による「はつらつ体操」、フラダンスクラブの「フラダンス」が披露されました。色々な楽しい催しに、参加者も満足している様子でした。全国で100歳以上が4万人以上、65歳以上が4人に1人の高齢化社会。これからは、健康体操に力を入れ、介護が少なくて済むように、お互いに努めて行きたいですね。
2009年9月21日(月)
ルーヴル美術館展
京都市美術館(右下・左下)で6月30日~9月27日まで、ルーヴル美術館展(右上・左上)が開かれている。友人から入場券を頂き、見に行きました。このルーヴル美術館展は17世紀ヨーロッパ絵画展(フェルメール「レースを編む女」はじめルーヴル至高のコレクション71点が集結)です。「黄金の世紀」として美術史に刻まれる17世紀ヨーロッパ。レンブラント、フェルメール、ベラスケス、プッサン、ルーベンス、ラ・トゥール・・・時代を彩ったキラ星のごとき画家たち。大航海時代は冒険から貿易の時代へと移り、万有引力を発見したニュートンにより科学技術革命は進みます。裕福な市民階級が台頭し、また聖人信仰もかってなく高まりました。その一方で貧困と飢餓といった影の部分など、社会の姿は実に多様な広がりを見せます。画家達も自ら動き始めて、目撃した社会と人々の真実の姿を表すようになりました。この美術展はルーヴル美術館が誇るコレクション71点(うち日本初公開およそ60点)によって、当時のヨーロッパの姿を「歴史」の視点から浮かび上がらせようとする試みです。この展示では、71点の作品を3セクションに分類している。Ⅰ.「黄金の世紀」とその陰の領域(24点)、Ⅱ.旅行と「科学革命」(22点)、Ⅲ.「聖人の世紀」・古代の継承者?(25点)である。絵画展は友人などに誘われて見に行くことがありますが、抽象画は理解がなかなか出来ません。この絵画展は素晴らしい。久し振りに絵画の素晴らしさに、見惚れていました。
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2009年9月11日(金)
草津市老ク連女性部研修会
草津市老人クラブ連合会女性部研修会が今年は9月4日に草津市アミカホールで、約300人の参加を得て開かれました。男性の役員などがアシスタントをしています。男性部はないのですが、女性部は種々活動しています。市老ク連女性部長田渕すず子さんが開会挨拶(左上)。その後、樋口了一さんの「手紙~親愛なる子供たちへ~」のCDが流れる。親の介護に携わっている方が、この歌を聴いて元気づけられたという方が何人もいる事は、NHKの放送でも伝えていました。各学区の女性部長が中心となり、フォークダンス「GKWミクサー」・「オースザンナ」を練習し、披露しました(右上)。これは、フォークダンスなど動く事で、若さを保ちましょうとのデモンストレーションです。次の講演は、南草津鍼灸整骨院(ジョイプラス)の早瀬 健先生の「こけない筋力づくり」(左下)、足の筋力などはストレッチ体操的なゆっくりした動きで鍛える事が出来る事がわかりました。足の指でのジャンケン(グー・チョキ・パー)なども良い運動です。私もやってみましたが、なかなか上手く出来ません。最後にハーモニカ演奏。ハーモニカ笑好吹(えこーず)「ラビット」(指導者:山森ふさ子先生)(右下)が知床旅情、椰子の実、バラが咲いた、ふるさと、見上げてご覧夜の星を、琵琶湖周航の唄です。女性部では、一泊旅行も毎年実施していますが、好評のようです。
2009年9月1日(火)
レイカディア大学学習成果発表会
レイカディア大学第30・31期生の学習成果発表会が平成21年8月28日(金)に行われました。展示は26日午後から28日15時まで行われていました。28日昼頃行き、展示を見ました。左上は陶芸学科の展示です。例年のごとく個性のある素晴らしい作品が多くありました。右上は園芸学科31期生の展示作品です。30期生は屋外の林?を整備し「こもれびの道」を造ったので、そこにテントを張って展示していました。生活科学学科、地域文化学科、スポーツ・レクリエーション学科や各クラブの自由展示にも素晴らしい作品が多くありました。趣味の多い人が多いと感じました。成果発表は午前中が1年生(31期生)、午後は2年生(30期生)で、私は2年生の成果発表を見学しました。生活科学学科は色々な項目についてアンケートを取りその集計結果を発表、園芸学科は「こもれびの道」や中庭に「フラワーゾーン」などを造るまでの活動状況を、陶芸学科は2年間に学んだ陶芸に関する事等を纏めて発表(左下)し、地域文化学科は選択学科などで学んだ「近江」のおもろさと自作の紙芝居を発表、スポーツ・レクリエーション学科はやはり学んだことを纏めて紹介し、その後チェアエクササイズで、座っていても出来る軽い動きを全員で一緒にし、最後に「明日があるさ」の音楽で自作振りつけの踊り(右下)を披露してくれました。他の学科はパワーポイント中心の発表でしたが、動きのある発表は良いと思いました。どの学科も、卒業後もボランティアなど、社会貢献をするとのことでしたので期待したいと思います。
2009年8月18日(火)
水生多年草「スイレン」
スイレン(睡蓮)はスイレン属、スイレン科の水生多年草。水位が安定している池などに生息し、水面に葉や花を浮かべる。葉は円形から広楕円形で円の中心付近に葉柄が着き、その部分に深い切れ込みが入る。葉の表面に撥水性はない(ハスはある)。多くの植物では気孔は葉の裏側にあるが、スイレンでは葉の表側に分布する。根茎から直接伸びる花柄の先端に直径5~10cmほどの花をつける。
産地で大まかに分けると熱帯性と温帯性(耐寒性)に分けられる。熱帯性は球茎が泥中にあり、長い葉柄の先についた切れ込みのある丸い葉を水面に浮かべ、花は水面から30~40cm抜き出て咲く(写真の左下、右下)。温帯性は根茎が泥中にあり、花は水面に浮かぶ(左上、右上)。熱帯スイレンの原産地はエジプト、熱帯から亜熱帯にかけて約40種が分布し、交配によって多数の園芸種がある。朝開き午後閉じる性質があり、夜咲きのものもある。花色は白、黄、紫、青、桃色等。日本各地に自生する「ヒツジグサ」は耐寒性の野生種の一つで、7~10月、径3~5cmの白い花を開き、葉には褐色の斑がある。それとメキシコ産の野生種との交雑品に淡黄色の小さな花の「ヒメスイレン」があり、観賞用に水盤に栽培される。
2009年8月3日(月)
黄檗山萬福寺
京都府宇治市に日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、黄檗宗の大本山があります。黄檗宗萬福寺は1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、1661年に開創された寺院です。黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、毎日誦まれるお経は黄檗唐韻で発音し、中国明代そのままの法式梵哨を継承しています。建造物は、中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は、日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、主要建物二十三棟、回廊、額、聯などが国の重要文化財に指定されています。右下の写真は「三門」(1678年の建立。三間三戸二重門である。「三間三戸」は門の正面柱間が三間で、三間すべてが通路になっているものを指す(日本禅宗寺院の三門は一般的には「五間三戸」である。))、左上は「大雄宝殿」(萬福寺の本堂で最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物。本尊は釈迦牟尼佛。両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。両単に十八羅漢像を安置している。)、右上は「法堂」(1662年の建立。一重入母屋造)、左下は「開版(魚?)(かいぱん)」(斎堂前にある魚板で木魚の原形となっているものです。時を報ずるものとして今も使われています。)。この時期、ここのハスも見応えがあります。多くはハス甕。また、坐禅研修等の研修、中国風精進料理の「普茶料理」も好評です。
2009年7月17日(金)
映画「劔岳・点の記」について
映画「劔岳・点の記」を見に行きました。この映画は日本映画界を代表する名カメラマン「木村大作」さんが、50年の映画人生全てをかけて監督・撮影に取り組み、CGに頼らない本物の大自然を撮影することにこだわり、危険を冒しながら圧巻の雪山シーンなどを撮影したとのことで、大いに魅力を感じ、是非見たいと思っていました。この思いは、多くの方が抱いていたようで、入場者も多いようです(左上は草津のイオンモールの映画館、左下は劔岳、右上はポスター、右下は雪山)。この映画は、日本地図完成の為、命を賭けて登頂に挑んだ男たちのドラマ。明治40年、地図の測量手として、実績を上げていた柴崎芳太郎は突然、陸軍参謀本部から呼び出される。日本地図最後の空白地点、剱岳の頂点を目指せー当時、ほとんどの山は陸地測量部によって初登頂されてきたが、未だに登頂されていないのは剱岳だけだった。柴崎らは山の案内人、宇治長次郎や助手の生田信らと頂きへの登り口を探す。その頃、創立間もない日本山岳会の会員も剱岳の登頂を計画していた。測量に携わる人たちの情熱と尊厳を描いた、新田次郎の同名小説が原作。私自身は、独身の若い頃、テント等を背負いながら立山から剣沢に行き、そこでテント宿泊。雪で冷やしたビールが凄く美味しかった記憶があり、翌日剣(劔)岳に登りました。急な斜面、私は鎖に頼って登りましたが、この映画では登る道さへ分からずに頂を目指す情熱に圧倒されながら見ていました。見応えのある映画です。
2009年7月5日(日)
京都の「三室戸寺」
京都の宇治市にある「三室戸寺」は西国観音霊場十番札所で本山修験宗の別格本山です。花の寺としても良く知られています。五千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からなり、五月のツツジ(二万株)シャクナゲ(一千本)・六月のアジサイ(一万株)・七月のハス・秋の紅葉など四季を通じ美しい花模様を楽しめます。
芭蕉:山吹や宇治の焙炉(ほいろ)のにほふ時
西行:暮れはつる秋のかたみにしばし見ん紅葉散らすな御室戸の山
「三室戸寺」略縁起によると、約千二百年前(宝亀元年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩渕より出現された千手観世音菩薩を御本尊として創建されました。開創以来、天皇貴族の崇敬を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されております。現在の本堂(左上)は約百八十年前(文化二年)に建立された重層入母屋造りの重厚な建築で、その背後には室町時代の十八神社社殿(左下、本殿は重要文化財)、東には鐘楼・三重塔(右上)があります。三重塔の近くには、宇治市名木百選の「もみ」(高さ30m、幹廻り3.5m、推定樹齢300年)があります。花の時期、今はアジサイ(右下)を見に、多くの方が来ます。観光バスも来ますので、人で一杯ですが、何となく落ち着く所です。
2009年6月17日(水)
車椅子レクダンスのインストラクター養成講座
車椅子レクダンスの支部がレイカディア大学に誕生してから約5年が経過しました。その間、特別養護老人ホーム、障害者施設、デイケア施設等の他、中学校の福祉講座での指導などを行ってきました。レイカディア大学卒業生が主体の「アルカディア支部」も誕生させ、現在は在校生も「アルカディア支部」に所属する形で活動しています。毎年1回、新インストラクター養成講座(施設で活動するには安全・安心のため、インストラクターの資格を持つ必要がある)をレイカディア大学で実施しています。本年も、レイカディア大学在校生を対象に募集し、約9名の方(1名はすでに活動中で免除し、8名の方)が受講しました(左上)。滋賀県車椅子レクダンス支部連合会の吉原会長ご夫妻のご指導・審査、講師として齋藤和彦が担当し、「アルカディア支部」所属の先輩が指導をしました。まず、車椅子の扱い方、使用上の留意点を教えた後、車椅子の方との踊り方を、基本曲の「コロブチカ」、「オクラホマミキサー」、「ダンケルクの鐘」で指導しました(右上)。受講生の皆さんも熱心に取り組み、また、先輩も丁寧に指導しましたので、全員がインストラクターとして認定されました。最後に、先輩が「タタロチカ」、「ジングルベル」を踊って見せました。「インストラクター認定書」の授与式があり、吉原会長ご夫妻から、一人一人に認定書が渡されました(左下)。全員で記念撮影(右下)をし、今後仲間として一緒に活動して行く事になりました。仲間が増え心強く思っています。
2009年6月3日(水)
悠鳩会の誕生会と健康娯楽講座について
今年度第1回目の誕生会と健康娯楽講座を行いました。「誕生会」とは、会員の誕生日を全員で祝うものです。私達の場合は、3か月ごとに行っていますので、第1回目は4・5・6月生まれの方が該当者です。お弁当を食べながら懇談します(左上)。誕生月該当者にはプレゼントを贈呈します。集会所を使用して実施しますので、この行事が出席率は一番高い。午後からは「健康娯楽講座」を行います。昨年までは「健康医療講座」を実施し、近隣の医療機関の先生方の協力を得て勉強してきました。今年度は娯楽を主体に実施する計画です。今回は「くさつハーモニカクラブ」に、このクラブで活躍されている友人の杉本弘子さんを通して依頼し、約1時間ハーモニカ演奏と懐メロ歌集からのリクエストに応じて全員で歌う伴奏をして頂きました(右上、左下)。田中代表らがリクエストの歌が出来た時の年にどのような出来事があったかを紹介して下さり、懐かしむとともに楽しい雰囲気を醸し出してくれました。さすがに、年間約100回近く演奏活動しているクラブだと感心しました。その後、民謡の先生として長年活躍されている「鵜飼眞三」さん(右下)に、民謡の指導をして頂きました。主に三味線の伴奏で6曲歌いましたが、民謡を正確に歌うには40分では時間が少なすぎましたが、次回にも指導をお願いしているのでしっかり歌えるようにしたいと思っています。会員の要望に応えて「鈴鹿馬子唄」も熱唱して頂きました。今回の試みは好評で多くの方の参加を得ました。楽しい一日となりました。
2009年5月24日(日)
もりやまバラ・ハーブ園のバラについて
今年も「もりやまバラ・ハーブ園」に行き、バラの様子を見に行きました。驚いた事に、今年の1月頃多くの新品種のバラ苗を植えており、多くのバラが新品種に替っていました。ここのバラ園は、約3,000㎡の土地に約82品種約1,800本のバラが植えられており、色とりどりのバラが咲き誇っています。大輪の花をつけるハイブリッドティー、四季咲き性のオールドローズ、イングリッシュローズ、フロリーバンダ、つる性のクライミングローズ、その他ポリアンサローズ、モダンシュラローズ(修景バラ)が所狭しと植えられています。昨年までのバラに今年の新品種のバラも載せましたので、クリックして見て下さい。所で、バラとは、バラ科バラ属の種の総称です。北半球の温帯域に広く自生していますが、チベット周辺、中国の雲南省からミヤンマーにかけてが生産地でここから中近東、ヨーロッパへ、また極東から北アメリカへと伝播しました。南半球にはバラは自生していない。世界に約120種がある。バラは古代バビロニアでも触れられてをり、古代ギリシャ・ローマでは香りが愛好され、香油も作られました。クレオパトラもバラを愛好しました。日本でも万葉集の歌に詠まれています。日本では、明治以降にバラが「花の女王」として愛好されるようになりました。バラは接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人がいる地域で多くの栽培がされるようになりました。左の写真のように、バラは美しいので、多くの方の心を癒してくれていますし、多くの方に愛されています。私も同様です。これからもバラの写真を撮り続けたいと思っています。
2009年5月15日(金)
ボタンの花園訪問
「日野ダリア園」を共同で管理されている友人から、連休頃がボタン・芍薬の見頃と聞いていましたので、カメラを持参し伺いました。ここは本シャクナゲや正法寺の藤の花でも有名な所で、この時期多くの方が鑑賞に来ます。「日野ダリア園」にも駐車場に入りきれないほど多くの方が来ました。左の写真のように、咲き誇っているボタンに感激している方も多かったです。ボタンはボタン科、ボタン属の落葉小低木です。原産地は中国で、中国では唐代以降、牡丹の花が「花の王」として他のどの花より愛好され、清代以降、1929年まで国花でした。従来は、種からの栽培しか出来ませんでしたが、戦後に芍薬を使用した接ぎ木が考案され、急速に普及しました。品種改良が盛んに行われ、園芸品種が非常に多いです。原種は紫紅色でしたが、花色も豊富(赤・赤紫・紫・薄紅・黄・白など)、花形も多彩(一重・八重・千重・大輪・中輪など)である。根の樹皮部分は「牡丹皮」として、漢方薬の原料になる。
花言葉は「王者の風格」、「風格あるふるまい」、「富貴」、「高貴」など。
日本には奈良時代に渡来してきたらしい(弘法大師が持ち帰ったとの説もある)。中国名「牡丹」を音読みして「ぼたん」に。美人の姿を形容する言葉:「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」、とりあわせの良いもののたとえ:「獅子に牡丹」、獅子をイノシシとみなし、「イノシシ鍋」を「牡丹鍋」と呼ぶ。今まで、ボタンといえば、奈良県の長谷寺が有名で、そこまで行っていましたが、日野のボタンも素晴らしく、心が癒されました。
2009年5月3日(日)
草津市老ク連総会(平成21年度)
草津市老人クラブ連合会総会が開かれました。来賓として、草津市長(左上)・草津市社会福祉協議会会長、草津市議会議長、滋賀県老人クラブ連合会会長などが出席して下さいました。会員物故者への黙祷、君が代斉唱、草津市民憲章朗読、会長挨拶、来賓祝辞、来賓紹介が終えてから議事に移る(右上)。平成20年度事業経過報告・会計決算を承認、新役員を承認しました。新会長には笠縫学区の山本伊三夫(左下)、副会長に渋川の中村良三、女性部長に山田学区の田渕すず子が選ばれました。平成21年度活動方針・事業計画・会計予算が承認され、議事を終えました。今回は議事の際の質問が多くありました。昨年の会員数は5,000人、今年度は4,523人と約500人ほど減少し、予算も大きく減少したことから、その原因と対策についての質問などです。来年度は会員数が増えるよう努力していくつもりです。
総会終了後、指導者・友愛講習会に移り、今回は草津総合病院の管理栄養士「小澤恵子」さんに「高齢者の食事」について講演していただきました。加齢により、食べる上でも食欲が低下したりなど身体の機能の低下がありますが、高齢者に安全な食品レシピや骨粗鬆症の防止などについてスライドで説明して下さいました。骨粗鬆症は女性に多く、70歳代の女性の6割がかかっているらしい。食事で十分なカルシウムを摂り、運動をし、日光を浴びる事が予防になるとのことです。今回は議事での質問時間に多く割かれましたので、講演時間が少なくなり、小澤先生には気の毒でした。もう少し時間があれば、詳しく色々な事が聞けたのですが・・。残念でした。小澤先生は講演を依頼すれば、気楽に応じて下さるようです。期待しましょう。
2009年4月26日(日)
「なばなの里」
私達の地域の老人クラブである「悠鳩会」の日帰り親睦旅行として「なばなの里」へ行きました。私自身は「なばなの里」には約3回ほど行っているのですが、ここ数年は行っていません。ここのメインである「ベゴニアガーデン」も規模が大きくなりベゴニアの種類も増えていました。ここの「ベゴニアガーデン」は約9,000mの大温室に約5,000鉢の球根ベゴニアが四季折々に咲き乱れます。左上のスタンドタイプ(下部)は平均4ヵ月咲き続け、ハンギングタイプ(吊鉢)(上部)は1~2年咲き続けるように土を使用しないで、ロックウールによる養液栽培を採用し、一日3回時間を決めて自動で水を送り、その後排水されます。現在交配種を含めると数千種類にもなるベゴニアは、茎や葉、花の特徴などによって①木立性ベゴニア、②根茎性ベゴニア、③レックスベゴニア、④球根性ベゴニア、⑤球根ベゴニア、⑥センパフローレンス、⑦冬咲きベゴニア、⑧エラチオールベゴニアの8グループに分類されるようです。ベゴニアの名前は1690年に植物学者のシャルル・プルーミエが、婦人のミシェル・ベゴンに献上したことから名付けられました。「なばなの里」には春と共に多くの花が開花していました。「花ひろば」ではチューリップ祭りで、右上のように一面に咲いており、綺麗でした。また、花で作られた「花絵」も見事でした。園内には「アイランド富士」という動く展望台(左下)が、地上45mまで上がります。右下は地上45mから見た「なばなの里」の展望風景です。私自身は花が好きですので、心が洗われる心地でした。
2009年4月6日(月)
作品展、活動展の紹介
滋賀県レイカディア大学同窓会の草津・栗東支部の「作品展・活動展」が平成21年3月27日~29日に草津市立図書館で行われました。同窓会では、各支部で「作品展・活動展」が行われています。草津・栗東支部の今回の展示会では、出展32名、99点が展示されました。左の写真でお分かりのように、絵画・陶芸・書・園芸・水墨画・木工・紙工芸・俳句・短歌・切り絵・盆栽・俳画・藁細工・スクラックブックなどが展示されていました。素晴らしい作品が多いと思いました。これらの技法はレイカディア大学在学中に会得された方も多いですが、前から趣味で行っており、さらに磨きをかけている方も多いと思います。陶芸では、滋賀県には信楽焼の産地がありますので、学ぶ環境は恵まれており、多くの方が素晴らしい技法を会得されていると感じました。「書」で、出展されている方の作品もレベル的に高いと思いました。園芸の作品は少なかったのですが、展示の中で「いやし」を与えてくれていると思います。絵画を出展されている方は、旅行に出かけた折に題材をとらえて、それを描いている方が多いと思いました。出店されている方の年齢では、80歳代の方もおり、幅広い年齢の方が出展されていました。毎年行われているこの「作品展・活動展」に向けて楽しみにされている方も多いと聞いています。これからも、若返りのためにもこの「作品展・活動展」は続けていってほしいと思います。
2009年3月26日(木)
びわこシニアネット・退職シニア交流会
社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会レイカディア振興部主催の表題交流会が開かれました。団塊の世代の退職者が増えることもあり、シニアの人口は増え続けています。これらの方は、これからの第二の人生をどのように過ごすことが自分にとって良いか、特に社会に貢献しながら生きがいづくりをするにはどうしたら良いか、考えている方も多いと思います。「びわこシニアネット」は中高年・高齢者の生きがいづくりや仲間づくりをはじめ、シニアの方がいろんな世代との交流の場として利用できるホームページを目指しています。今回は、、生きがいづくりのヒントになればと、地域で社会貢献活動に長年従事し、実績をあげている二人の方を講師として招き、お話を伺った後、みんなで話し合いを行いました。今回の主催者の福田課長(左上)の挨拶後、彦根市在住の「北村久雄」さんから「紙飛行機の作り方、飛ばし方など」で、長年活動してきた経過の話があり、実際に参加者に作り方を教えて下さり(右上)、我々も会場で飛ばしてみました(左下)。次の講師は、愛知県犬山市在住の「市橋 幸」さん(右下)で、退職後、ギターの弾き語りボランティア活動を長年していますが、その様子を紹介して下さり、活動時に愛用している「ナツメロ」を何曲も歌って下さいました。今回の交流会に参加された方は、退職後の「生きがいづくり」に関心を抱いている方ばかりですので、主催の深田泰子さんの司会によるパネルディスカッションでは色々な質問、紹介があり、有意義な交流会になったと思っています。
2009年3月18日(水)
アカデミー賞映画「おくりびと」の鑑賞
アメリカ映画最大の祭典、第81回アカデミー賞の発表・授賞式が2月23日(日本時間)に行われ、滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国語映画賞に選ばれました。1956年(29回)に同賞が独立した賞になって以来、日本作品が受賞したのは初めてです。また、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が短編アニメーション賞に選ばれました。日本人監督作品の同賞受賞は初めてでした。日本作品のアカデミー賞受賞は02年度(75回)に「千と千尋の神隠し」が長編アニメーション賞を受賞して以来、6年ぶりとなります。「おくりびと」(左下)は、チェロ奏者から納棺師に転職した主人公が死者を装う仕事の中で家族の絆を再確認していく物語です。毎日映画コンクール日本映画大賞やモントリオール世界映画祭グランプリを受賞するなど、国内外で高い評価を受けてきました。「おくりびと」は英語タイトルでは「Departures」。主演の本木雅弘さん、広末涼子さん、余貴美子さんもいただいたオスカー像に感激していました。特に、本木さんはこの企画を10年ほど温めてきて、映画化出来たので満面の笑みが印象的でした。この受賞がきっかけで、私も映画鑑賞に行きました。草津市のイオンモール(左上)のシネマ映画館(右上;チケット売場等売店、右下;映画館入口)に行きましたが、満員でした。主人公の心境の変化が、山形の美しい風景の中で、巧みに描かれており、この演出等が高い評価を得られたのではないかと思いました。言語や風習、価値観は異なっても、優れた映画には普遍的な発信力、コミュニケーション力があると思いました。
2009年3月6日(金)
車椅子レクダンスのデモンストレーション
野洲市の人権啓発推進協議会が「人権YASU2009」(左上)を野洲市の平和堂で開催しました。この行事の一環として、車椅子の方も踊り等を楽しめることを啓蒙したいとの目的で「車椅子レクダンス」のデモンストレーションが企画されました。滋賀県車椅子レクダンス支部連合会吉原昭会長がその要請を受け、野洲支部・能登川支部・私達のアルカディア支部の有志の方が参加し、車椅子レクダンスの踊りを3曲ほど披露しました(左下)。車椅子も使用する方に応じて色々なものがありますので、(株)松永製作所(岐阜県養老町)が種々の車椅子を展示し(右下)説明していました。車椅子について、もっと知りたい方は、松永製作所にリンクさせましたので入室下さい。今回、人権啓発協議会は、ハンセン病について、日本における差別の歴史(日本では、らい病と言われ、伝染力が強いと誤解され、強制的に隔離されました)を展示で紹介していました(右上)。ハンセン病は抗酸菌の一種である「らい菌」の末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染病です。感染は「らい菌」の経鼻・経気道的による感染経路が主流であるが、伝染力は非常に低い。また感染しても現在の医学では適切な治療を行えば根治が可能であり、重篤な後遺症を残すことも、自らが感染源になることもない。現在、世界のハンセン病新規患者数は年間約25万人であるが、日本人新規患者数は年間0~1人と稀になりました。ハンセン病は見た目により歴史的に差別・偏見の対象となった病気であり、かっての日本のハンセン病政策においても大きな問題を残したことで有名な疾患です。
2009年2月16日(月)
京都御所ゆかりの至宝展について
京都国立博物館で天皇陛下御即位二十年記念の特別展覧会が2月22日まで開かれています(右上、左下)。この機会に是非見たいと出かけました。行ってみると、この特別展とは別の常設館は現在工事中で4年後にリニューアルして開館されるようです。正門はクローズで、南門(左上)から入りました。南門の近くに「馬町十三重石塔」(高さ約6m、鎌倉時代、右下)がありました。源義経の家人、佐藤継信・忠信の墓と伝えられている。この展覧会は京都御所で歴代天皇が育まれた宮廷文化の全貌をかえりみる事が出来るものです。多様な日本文化の中でも、御所において展開した芸術活動から年中行事に至る営為はその中核をなすものであり、これを積極的に推進したのはほかでもない歴代天皇でした。数多の芸術家や文化人の交わりの中で洗練された美術作品が数知れず生み出されました。また、仏教に対する篤い帰依から、宮中において様々な法会が営まれ、それにかかわる仏教美術が醸成されたことも忘れるわけにはいきません。この展覧会は、京都御所をはじめ宮内庁で伝えられてきた品々に加えて、天皇の下賜品や移築された御所建物に付属する障壁画の名品までを一堂に展覧するはじめての機会です。「京都御所ゆかりの至宝」の展示は第8章まであり全部で130点が展示されています。1章は「京都と天皇の遺宝」47点、2章は「桂宮家と桂離宮」19点、3章は「宮廷と仏教」13点、4章「宮廷の装束」12点、5章は「御所の工芸」8点、6章は「紫宸殿の荘厳ー賢聖障子絵」2点、7章は「御所をかざった障壁画」14点、8章は「御所の障屏画」15点。天皇の下賜品が有名寺院や門跡寺院などに多く保存されていることがわかりました。
2009年2月3日(火)
「神道と神社」について
最近、神社や仏教など宗教に関することに興味を持っている。若い時は仕事のことで頭が一杯で宗教などに関心を示す余裕はありませんでした。最近も色々なクラブ活動や社会奉仕などの分野で忙しいのですが、年齢的なせいもあるのか宗教にも関心を持つようになりました。しかし、信者になるようなことではなく、知らないことを調べたり、どうしてこのような儀式が行われているのかの疑問を解き明かすためです。小さい頃から、初詣は神社で、家にある神棚や仏様に拝んだりしていました。親の仕草に自然に従っていたようです。従順だったのか、自分の考えがなかったのか、今でも結論を出すのを控えています。自分のことはさておき、左の本の著作は明治学院大学教授武光誠さんです。この本によると、全国にある神社の数は約12万、日本は天神・八幡・稲荷など「八百万の神の国」である。古代人は果物、野草、狩猟でとった獲物など、あらゆる自然の恵みを神からの授かりものと考えていました。春に豊作を祈る神事、秋に収穫に感謝する祭祀を行う。「自然の恵みに感謝して、自分が住む土地にあつまる多くの霊魂(神)をもてなしまつる」という形が、神道の本来のありかたです。日本人は山・川・岩・木などあらゆるものに神の存在を信じてきました。一時代の神道のあり方は、その時の政治や文化の特徴をそのまま映し出す鏡のようなものになっています。これは、神道がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教のような聖典の記す固定された戒律で人間を縛りつけるものでないことからくるものである。神道はもともと、人間の持つ良心に対する全面的な信頼の上につくられた宗教である。人々の善悪に対する判断は時代とともに変化する。ゆえに、神道もそれに合わせてかたちを変えてきました。古代では、山・大きな木・巨石などにお神が宿るとして祈っていました。7世紀はじめ(飛鳥時代)に大がかりな寺院がつくられるようになった後、神籬がおかれた地に、巨大な神社が造られるようになりました。神道には「穢れ」と「祓い」という独自の概念がある。「穢れ」を清めるのが「祓い」である。今日の神道は、天皇制と深く結びつくかたちをとっている。それは、皇室の祖先とされる伊勢神宮の天照大神が、「八百万の神」と呼ばれる日本のあらゆる神々の指導者とする考えの上につくられました。このような主張は、六世紀初めの大和朝廷の急成長のなかで芽生え、七世紀末頃の律令制支配の発展のなかで完成されました。仏教の伝来は神道にも影響を与えましたが、六世紀初め頃から交流がなされてきました。これらから形づけられてきた思想・精神も大切にしたいですね。
2009年1月16日(金)
「老上学区新春書き初め大会」交流会
「老上学区新春書き初め大会」交流会が老上小学校体育館で開かれました。この大会は毎年「老上学区子ども会指導者連絡協議会」が主催し、各種団体(社会福祉協議会、青少年育成区民会議、わんぱくプラザ老上、老人クラブ連合会など)が後援しています。書き初め開始に当たり、草川先生から筆の使い方、感情の入れ方で字の形は色々と変わることなどを丁寧に見本を示しながら説明がありました(左上)。今年は書き初めの「課題」を改訂しました。小1~2年は「うし」・「まり」・「つる」、小3~4年は「力もち」・「宝の山」・「七草」、小5~6年は「希望」・「若い力」・「筆心」、一般成人(但し中・高校生可)は「寿雲」・「不動心」・「初東風」です。受付時に練習用用紙3枚、清書用用紙2枚を配布します。清書した用紙には学区名・学年・氏名を書いて頂き、審査後表彰しています。この大会に参加した方は殆どが小学生ですが、皆熱心に取り組んでいました(右上)。子供達は清書を提出後、コマ、カルタ、ケン玉などで遊び(左下)、その間に後援会の方々が、餅つきをしおしるこやきなこ餅などを作り、フランクフルトなども焼いて、子供達に御馳走しました(右下)。子供達と一緒に遊びながら交流し、子供の無邪気さに我々も子供時代に帰り、楽しみました。このような交流会が毎年行われていますが、今後も続けて行きたいですね。
2009年1月10日(土)
コハクチョウ展について
「草津湖岸コハクチョウを愛する会」(設立平成12年、会員数54名)主催の「コハクチョウ展」が今回は滋賀県立水環境科学館で1月25日(日)(左上)まで開かれている。毎年、この展示会は開かれており、コハクチョウ(右上、右下)やユリカモメ(左下)の写真などが楽しめ、写真家の腕前などに感心している。コハクチョウやユリカモメは冬に飛来する渡り鳥です。滋賀県では、湖北町、高島市、草津市・守山市などに飛来する。コハクチョウはロシア極東部ツンドラ地帯からカムチャッカ半島を経て、草津市までは4,500kmを渡ってきます。コハクチョウはくちばしの先端が黒く、基部は黄色。黄色部の先は丸い、全身白で脚は黒、身長約1.2m、翼長2.0m、体重4~8kg。(オオハクチョウは身長約1.4m、翼長約2.4m、体重8~12kgでくちばしは黄色部分が多い。)草津湖岸には、11月6日~12月10日頃飛来し、2月14日~3月19日には帰って行きます。「コハクチョウを愛する会」の調べでは、2005-2006年に140羽と最も多く飛来し、2004-2005年が最も少なく31羽とのことですが、今年は少なそうです。コハクチョウは水草(ササバモ、マツモなど)を食べますが、最近異常繁殖している外来種の水草は食べません。琵琶湖の餌が少なくなり、その分を会が給餌しています。釣り針などで、負傷したコハクチョウも多く、環境の整備が求められています。ユリカモメはチドリ目カモメ科。全長約40㎝、足とくちばしは赤色、冬羽は白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴です。東京都の都鳥。敦賀市・福岡市・春日部市の市鳥。これらの渡り鳥を大切に保全したいですね。「コハクチョウを愛する会」の皆様の努力に感謝します。
2009年1月3日(土)
新年祈願祭・年始交換会

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨年は、米国発の金融危機が全世界に波及し、景気がいっきに悪くなり、多くの方が被害を被りました。日本は当初直接の被害が少ないと言われ、私も軽微で終わると軽く考えていました。しかし、日本は輸出が主体ですから、欧米各国からの注文が激減すると、生産調整に走らざるを得ず、その影響をもろに受ける事になり、雇用調整が行われ、多くの方が路頭に迷うことになりました。政府もあわてて各種対策を打ちつつありますが、政治の混迷が経済の足を引っ張らなければ良いのですが。本年後半には回復してほしいと願っています。ここ数年は風邪など引いたことがないのですが、12月下旬には風邪を引いてしまいました。医者にかかることなく治していますが、これも毎日の暗いニュースに心がなえて、体調を崩したのかと思っています。新年にあたり、心を新たにして種々のことに対処して行きたいと思っています。私の町内会では、例年元旦に、守り神である「鞭崎神社分社」で本社から宮司を招き、町内会主催の「新年祈願祭」(左上)を行っています。町内会や各種団体の安全・安心・活躍を祈願しています。私も老人会(悠鳩会)の会長として、玉串奉奠をしました。祈願祭の後、「年始交換会」を行ない、お酒や甘酒で歓談しました。「鞭崎神社」本社(右上)でも、矢橋町を主体とした「新年祈願祭」が行われました。また、新浜町では「龍宮神社」(左下)で、南笠町では「治田神社」(右下)で「新年祈願祭」が行われました。このように、日本人の多くの方が年始に「神」に祈る習慣は、今後も続いていくと思いますが・・・。人は「心に支え」を持つと強くなる言いますが、この一年も強く生きて行きたいですね。