同 窓 会



(平成20年5月28日~30日:京都・大阪・神戸・奈良)
「茨大工化38会」のクラス会が初めて関西地区で開かれました。関西に在住している清水さんと私で世話役をしました。ほとんどが東京近辺に住んでいるので、クラス会の幹事(白石・小池・高木・大塚・芝崎(敬称略))を通して、こちらの情報を提供し選択して頂きました。その結果、一日目は京都定期観光バスで普段は見ることが困難な特別拝観コース「御所と洛中」(東寺、京都御所、大徳寺本坊、大徳寺大仙院・大仙院の精進料理、泉湧寺御座所)になりました。宿泊は松下電器健保の「パナヒルズ大阪」にし、ここで宴会をし親睦を深めました。二日目は観光バスをチャーターし、明石海峡大橋の舞子海上プロムナード、神戸元町の中華街の広東菜館「青龍」で昼食後、中華街の見物をし、その後北野異人館(風見鶏の館、萌黄の館など)を見学しました。三日目は有志による奈良定期観光バス、世界遺産コース一日の旅で、法隆寺・中宮寺・慈光院・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡と朱雀門の見学です。今回は、九州の福岡から大平さんも駆けつけて下さり、総人数14名(一部のみ参加した方も含め)のクラス会となりました。皆さんから、思い出に残る素晴らしいクラス会になったといわれ、喜んでいます。
京都観光後京都駅待ち合わせ場所「時の灯」で記念撮影
東   寺
東寺は弘法大師空海ゆかりの寺で、東寺真言宗の総本山である。山号は八幡山、本尊は薬師如来である。伽藍には「金堂」(国宝・桃山時代)、講堂(重文・室町時代)、五重塔(国宝・江戸時代)などがあります。
○金堂~796年創建。今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐旦元を奉行として再興させたもので1603年に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みに取り入れています。
○講堂~東寺の創建時にはなかった講堂は825年に弘法大師によって着工され、835年頃には完成しました。現在の講堂は1491年に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。
○五重塔~東寺の象徴として広く親しまれている五重の塔は、826年弘法大師の創建着手にはじまりますが、現在の塔は1644年徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。全体の形も良く、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です。
国宝「五重塔」を背景に 国宝「金堂」を背景に
国宝「五重塔」付近で 国宝「五重塔」総高55m、日本の古塔中最高の高さを誇る。
講堂(重文) 金 堂 (国宝) 五重塔(国宝)
御     所
京都御所の歴史は、桓武天皇が784年に都を奈良の平城京から京都の長岡京へ移され、794年にさらに平安京に遷都されたことに始まります。現在の京都御所は、土御門東洞院殿といわれる里内裏の一つで、平安内裏の廃滅と前後して用いられることが多くなり、元弘元年(1331年)光厳天皇がここに即位されてから、明治2年(1869年)の東京遷都までの永きにわたり皇居とされるようになりました。しかし、この間およびその後も幾度となく火災と再建を繰り返し、現在の御所は幕府が、寛政時の内裏の計画をそのまま踏襲し、安政2年(1855年)に再建し、今日に至っています。京都御所は、築地塀で囲まれた南北約450m、東西約250mの方形で、面積は約11万㎡である、南に白砂敷きの南庭を構えた紫宸殿が高くそびえ立ち、その北西に清涼殿、北東に小御所、御学問所がいずれも東に面して建っている。小御所と御学問所の前は、白砂敷きで空間を造り出し、雄大な御池庭を配している。京都御所には、寝殿造り、書院造り、数寄屋風など、歴史上代表的な建築様式を調和させ凝縮させているので、文化財としても高い価値を有しています。京都大宮御所、仙洞御所、桂離宮、修学院離宮とともに皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理しています。
新御車寄 月華門 建礼門 承明門
紫 宸 殿 御 池 庭
春興殿 蹴鞠の庭 御学問所 御三間
大徳寺大仙院
大徳寺北派本庵大仙院は、永正6年(1509年)正法大聖国師古岳宗亘禅師が開かれた数ある大徳寺塔頭中でも特に由緒ある名刹であり、室町時代の代表的な枯山水庭園(特別名勝および史跡)及び方丈建築を有している。襖絵もまた相阿彌、元信、之信と貴重なものばかりである。大仙院歴代中、三世古渓和尚は、千利休の首を加茂の河原から持ち帰ったことで、七世沢庵和尚は宮本武蔵との関係で有名である。また利休を中心とする茶人の系譜は大仙院歴代と密接な関係があり、とりわけ利休と大仙院との関係は種々の逸話によって語り継がれています。
参 道 特別名勝「枯山水」 精進料理の昼食 12世住職「尾関宗園」
泉 湧 寺
東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉湧寺。広く「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。法輪寺と名付けられた後、一時仙遊寺と改称されたが順徳天皇の御代(承久元年・1219)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師俊芿が時の宋の法式を取り入れて、この地に大伽藍を営む事を志し、寺地の一角より清泉が湧き出ていた祥瑞によって寺号を泉湧寺と改め、嘉禄2年(1225)には主要な伽藍が完成した。この泉は今も湧き続けている。月輪大師は泉湧寺を創建して戒律の復興を計り、律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として大いに隆盛させた。時の皇室からも深く帰依せられ、仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山陵がここに営まれるようになり、爾来、皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。当寺が御寺と称せられる所以である。境内には仏殿(重要文化財)・舎利殿をはじめ、天智天皇以降の歴代天皇の御尊牌を祀る霊明殿などを伽藍に配し、春の新緑、秋の紅葉に一段とその美しい姿を映えさせている。
仏殿(重文) 御座所 霊明殿 楊貴妃観音堂
「パナヒルズ大阪」にて
宴会の前に直近に亡くなられた佐々木 章さんへの黙祷 乾  杯
宴会の様子(いつ果てるとも知れない昔話と酒に酔いしれました。)
    宴会の様子(時間が過ぎるのも忘れて)  同部屋に宿泊した同僚(谷津・佐々木・大平さん)
明石海峡大橋、舞子海上プロムナード
明石海峡大橋(1998年に完成)は、橋長3,911m、ケーブルを支える2つの主塔間の長さ1,991mで、世界一のつり橋です。舞子海上プロムナードは世界一のつり橋「明石海峡大橋」の神戸市側に添架施設として同時に施工され1998年4月5日に開設されました。このプロムナードは、海面から高さ約47m、陸地から約150m、明石海峡へ突出した延長約317mの回遊式遊歩道です。入口1階は明石海峡大橋をわかりやすく解説した資料やDVDシステムがあり、8階展望ラウンジには明石海峡大橋の主塔高さ約300mに登った気分が味わえる展望カメラシステムがあり、明石海峡大橋を眺望出来ます。「海上47mの丸木橋」では47m下の明石海峡を真下に見る事が出来、スリルを体感出来ます。この舞子公園には、「橋の科学館」や「孫文記念館(移情閣)もあります。
舞子海上プロムナードの展望ラウンジにて
明石海峡大橋を背景に
明石海峡大橋 舞子公園の案内図
明石海峡大橋に使用したケーブルのモデル ガラスの下47mに海。迫力がある。
神戸南京町の中華街
中華街といえば、関東では横浜の中華街が有名ですが、関西では神戸南京町の中華街が有名です。南京町の誕生は、今からさかのぼること約120年前の神戸開港の年と言われています。当時在日中国人たちの多くが元町の南エリアに住居を構え、付近に料理屋や洋服屋、豚肉屋、漢方店など様々な商店を開店させたのが、そもそもの南京町の発祥の由来です。戦争などで一時衰退しましたが、昭和56年を期に現在の南京町の基礎作りがスタートし、かってを上回る繁栄ぶりを見せています。春の「春節祭」、秋の「中秋節」は有名で、全国的に知られるようになりました。
広東菜館「青龍(チェンロン)」で、数々のコンクールで入賞したシェフ森 圭司さんと記念撮影
中華街の入口「長安門」 昼食の様子
中華街で記念撮影
神戸市北野町異人館
異人館とは、幕末、明治時代以降の日本において、主に欧米人が住宅として建設した西洋館。特に神戸市の北野町山本通に外国人の住宅が多数残っており、その一部が公開され観光名所にもなっている。昭和55年、北野町山本通りは種別「港町」として最初に「重要伝統的構造物群保存地区」に選定されている。平成7年に発生した阪神・淡路大震災により異人館の約3割が失われたが、40棟余りが現存し、保存措置が講じられている。神戸市にはジェームス山と呼ばれるエリアにも約50棟現存しているが、現在も多くの外国人が居住しており観光地化されていない。北野町の異人館では、2棟が国指定の重要文化財に指定されている。その一つが、「風見鶏の館」と呼称されているドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏の自邸で、れんがの外壁の建物としては異人館の中では唯一のものです。もう一つが、「萌黄の館」と呼称されており、明治36年(1903)にアメリカ総領事ハンター・シャープ氏の邸宅として建築されました。昭和62年からの修理で建築当時の淡いグリーンの外壁に復元されて、この名が付けられました。2階のベランダからは、神戸港まで見渡せる素晴らしい眺望が広がります。
風見鶏の館(重要文化財) 萌黄の館(重要文化財)
「風見鶏の館」の前で、今回の世話役清水さんと 「萌黄の館」の館内で、大平・白石・谷津さん
風見鶏の館(重要文化財)の前で記念撮影



(平成18年5月26日:東京 江戸東京博物館/ちゃんこ川崎)
茨城大学工学部工業化学科を主として昭和38年に卒業したメンバーで構成されている「茨大工化38会」(32名の内2名は残念ながら故人となった)のクラス会(幹事:白石、小池、高木、大塚、芝崎(敬称略))が今年も東京で開かれた。私を含め2名が関西地区にいるが、殆ど関東地区(九州に1名、岩手県に1名)にいる。クラス会は年に1回であるが、ミニクラス会やゴルフ会、ウオーキング会など各種の行事を行っている。今回は「江戸東京博物館」に集合し、常設展示の他、企画展の「ナポレオンとヴェルサイユ」展、「三遊亭金馬」展を見学後、同じ両国駅の近くにある「ちゃんこ川崎」(昭和初期に横手川という関取がいて、チャンコ作りの名人だったらしい。その人が開いた店)で、昔話に花を咲かせ、旧交を温めました。38会にはまだ現役で活躍している方もいますが、皆元気で活躍されており、1人ずつ近況を話しても気づいてみれば21時になってしまいました。写真は少ないですが、その時の様子を次に紹介します。また、この機会に私がパソコンの部品購入で秋葉原の電気街に行ったり、両国の国技館の相撲博物館、お台場などに行きましたのでその写真も載せました。

宴会終盤に記念撮影(「ちゃんこ川崎」で)
江戸東京博物館1階映像ホールの近くにて
左から大塚氏、幹事の白石氏、幹事の高木氏、右端は大松氏、ちゃんこ料理は美味しかった。
左から笹島氏、齋藤、小田倉氏、高橋氏、中央は幹事の小池氏、その左は矢部氏、芝崎氏
右端は谷津氏、左から3番目は石橋氏、次は砂川氏、近況報告もつい長くなる。
左端は佐々木(瑞)氏、右の写真の中央左は鈴木武氏。最後は一本締めで締めくくる。
江戸東京博物館の全景 館内。日本橋(左)と中村座(右)
「ナポレオンとヴェルサイユ」展のPR看板 両国国技館と奥に江戸東京博物館
国技館の相撲櫓など 国技館の入口
相撲博物館の相撲屏風 歴代横綱の写真(初代は明石志賀之助)
最近の横綱 秋葉原の電気街(駅前)
秋葉原のヨドバシカメラ 新交通システム「ゆりかもめ」
フジテレビの建物 自由の女神像広場、遠方はレインボーブリッジ


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