地  域

私が住んでいる草津市の鳩が森地区には、町内会、子供会などがあるが、ここでは60歳以上の高齢者で組織されている「悠鳩会(ゆうきゅうかい)」、町内でボランティア活動をしているサークルの活動状況について紹介したい。何かの参考になれば幸いですし、意見交換出来ればうれしいです。私も、この中で少しでもお役に立てればと、入会し活動しているところです。また、私が住んでいるところから近い所に、大人は勿論子供も一日楽しめる矢橋帰帆島公園がありますので紹介します。是非覗いてみて下さい。
次に、近くの三大神社と東海道五十三次の草津宿から京都に行く途中、琵琶湖を渡る重要な港として栄えた「矢橋の帰帆」の
現状と盛衰の推移については草津市教育委員会の説明を紹介します。

[三大神社]

鞭崎神社 草津市矢橋町。
鞭崎八幡宮とも呼称。
創建は西暦676年。人皇第四十代天武天皇の命により大中臣
清麿が創建。
詳細は「鞭崎八幡宮由緒記」参照下さい。
治田神社 草津市南笠町。
雄略天皇六年、この地方の開拓者
治田連彦人が祖神として、開花天皇とその皇子彦座命の神霊を勧請
したのに創ると伝えられている。
明治四十四年村社に列し、同年天
神社の祭神饒速日命を合祀した。
龍宮神社 草津市新浜町。
本神社は人皇第百六代後陽成天皇
の御宇慶長八年創建。
明治九年十月村社に加列。
古は八大龍王社と称せり。
祭神は豊玉姫命。
末社は貴船神社、厳嶋神社。

[矢橋の帰帆]      ここから「矢橋の帰帆」の説明文に入れます。

江戸時代の状況 現在の記念碑 与謝蕪村の句碑

(与謝蕪村の句碑):菜の花やみな出はらいし矢走舟

[この地域の重要文化財]
私が住んでいる家の近く、矢橋町に重要文化財に指定されている建造物が2箇所ある。次に紹介します。

鞭崎神社表門 石津寺(せきしんじ)

(鞭崎神社表門)
この表門は明治四年の廃藩置県に際し、膳所城から移築されたものです。昭和52年の屋根葺替工事によって、元は膳所城南大手門であったことが明らかとなった。門右手には潜戸を設け、控柱は外八双に開く。また、屋根は本柱通りに切妻を掛け、控えにはそれより低い切妻屋根をのせる。そして屋根には膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦を飾る他、柱、扉等の要所に鉄板を鋲打するなど重厚堅固な意匠となっている。

(石津寺)
石津寺は最澄の創立した寺で、もと天台宗であったが、後に真言宗に改宗したという。本尊は薬師如来。現在の本堂は、延文四年(1359)に足利義詮が再建したと伝え、建物の様式がその時代の特質を表している。形式は正面の柱間数が五間あることから五間堂と呼び、屋根は県内では類例の少ない寄棟造の本瓦葺、外陣出入口上の虹梁構え、頭貫本鼻の図案など、この時代特有の様式を持った優れた密教仏堂である。(滋賀県教育委員会)

[三大神社の御神木など]
神社には古木、巨木が多い。上記の三大神社にも古木や御神木がある。いずれも樹齢が数百年のものである。

鞭崎神社「クス」幹周約3.4m 治田神社「ヒノキ」 龍宮神社「ケヤキ」

[私の地域にある南笠古墳](草津市指定史跡)
本古墳群(現在、前方後円墳2基と半壊状1基)は草津市に現存する唯一の前方後円墳です。文政4年(1821)に編纂された「栗太志」によれば、当古墳群は、2基の前方後円墳を含めた22基の古墳が群集していたと想定され、本地域を根拠地とした首長の一大墓域であった可能性が高いと考えられます。 (草津市教育委員会)