彦根城は滋賀県彦根市にあり、その天守は姫路城、松本城、犬山城とともに国宝に指定されている。この彦根城は、三層白亜の天守を頂き、二重の濠に囲まれた城郭がほぼ400年前の姿をとどめる天下の名城です。初代藩主井伊直政(1601年)から14代藩主井伊直憲(1860年)に至るまでの260年間一度の国替えや城攻めもなく、今なお彦根の象徴として35万石の気高い雄姿を誇ります。天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根で構成されています。屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓」(「火灯窓」)、3階には高欄付きの「廻縁」を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せています。
この彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604年)に着工。当初は湖畔の磯山を予定していたが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年をかけて築城された。天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守閣は2年足らずで完成したが、表御殿の造営、城郭改造など、城下町の完成は1622年。この間、井伊直孝は大阪冬の陣、夏の陣で功績を挙げ、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献しました。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となり、幕府領5万石を合わせて35万石になった。万延元年(1860年)3月3日に十三代藩主で大老職にあった井伊直弼が水戸藩士などに襲撃斬殺されたため、幕府としても仕方なく十万石の減封処分としたので、幕末には25万石の石高であった。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の一つに数えられている。
桜の季節の彦根城
お濠の桜と遠方は彦根城 お濠の桜
親善都市水戸の梅と彦根城 彦根城付近からの彦根市街


天秤櫓 (重要文化財)
この櫓は、上から見ると「コ」の字形をしており、両隅に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造となっています。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名があります。天秤櫓が築かれるのは、築城の開始から数年後と考えられています。彦根藩主井伊家の歴史書である「井伊年譜」には、この櫓が長浜城の大手門を移築したものであると記しています。天秤櫓は400年の長い年月の間に、幾度か修理を重ねてきました。中でも、嘉永7年(1854年)の修理は大規模で、建物のみならず石垣まで積み替えています。堀切から天秤櫓を見上げて見て下さい。右手の高石垣が、越前(現在の福井県北部)の石工たちが築いたと伝える築城当初の「牛蒡積み」。そして、左手が幕末の嘉永年間に積み替えた切石の「落し積み」です。

太鼓門櫓 (重要文化財)
本丸にそびえる天守を目の前にした最後の門が太鼓門櫓です。門櫓の南には、「く」の字に曲がった続櫓が付設されています。この門櫓は、建物の背面の東壁面が解放され、柱間に高欄を付して1間通りを廊下にしています。櫓にはたいへん稀な例で、一説には名称となっている「太鼓」が櫓の中に置かれ、その太鼓の音が広く響くための工夫とも考えられていますが、明確ではありません。

西の丸三重櫓 (重要文化財)
彦根城内には、天守の外にも2棟の3階建物が在りました。1棟が現存する西の丸三重櫓で、もう1棟が明治初年に取り壊された山崎曲輪の三重櫓でした。西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸北隅に位置しており、さらに西に張り出した出曲輪との間に設けられた深い堀切(尾根を切断して造られた空堀)に面して築かれています。堀切の底から見上げる三重櫓は絶壁のようにそそり立っており、西の搦め手(裏手)方面からの敵に備えた守りの要でした。この三重櫓は、東側と北側にそれぞれ1階の続櫓を「く」の字に附設しています。三重櫓には天守のように装飾的な破風などはありませんが、櫓全体を総漆喰塗りとし簡素な中にも気品のある櫓となっています。
(説明文は「彦根市教育委員会 文化財課」の資料を引用しています。)
表  門 石  段
天秤櫓への渡廊下 天秤櫓(重要文化財)
落し積み 牛蒡積み(こちらの方が崩れにくい)
鐘の丸(報鐘や大広間御殿、御守殿があった) 太鼓門櫓(重要文化財)
太鼓門櫓の門 本丸跡(御広間、文庫二棟、多聞櫓などあった)
天守の屋根に使われていた鯱 天守の鬼瓦
使われていた「火灯窓」 鉄砲狭間
矢狭間 天守の中の一部屋
天守にある井伊直弼の像 最上階の梁の様子
1階から2階への階段(急勾配) 2階から3階への階段(急勾配)
西の丸三重櫓(重要文化財) 黒 門 跡


馬  屋 (重要文化財)
表門の外、内堀と道路を隔てて建っている細長い建物が馬屋です。この馬屋は、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋として例がなく、国の重要文化財に指定されています。馬屋の建物はL字形をしており、佐和口門櫓に接する東端に畳敷の小部屋、対する西端近くに門がある他は、すべて馬立場と馬繋場となっています。その数21.21頭もの馬を収容することが出来ました。この馬屋は藩主等の馬を常備したものでした。こうした馬屋の他にも、かって表御殿(現在の彦根城博物館)の玄関脇には客用の馬屋があり、また、槻(けやき)御殿(現在の玄宮楽々園)やお浜御殿などの下屋敷には、馬場があって馬の調教が行われていました。

佐和口多聞櫓 (重要文化財)
「いろは松」に沿った登城道の正面に佐和口があり、その桝形を囲むように築かれているのが佐和口多聞櫓です。佐和口は南の京橋口、西の船町口、北の長橋口とともに中堀に開く4つの門の1つ。表門に通じる入口として、大手の京橋口とともに彦根城の重要な城門の一つでした。重要文化財となっている佐和口多聞櫓は、佐和口の向かって左翼に伸びており、その端に二階二重の櫓が建ち、多聞櫓に連接しています。多聞櫓は長い平屋が特徴的な櫓の一種で、「多聞」の名は戦国武将松永久秀の多聞城(奈良市)で初めて築かれたことに由来すると伝えています。佐和口の多聞櫓は、佐和口の桝形を囲むように二度曲折する長屋となっています。この櫓の内部は7つに区画され、中堀に向かって△と□の狭間が交互に配置されています。現在の櫓は昭和35年に開国百年を記念して復元されたコンクリート造りの建物です。

名 勝  「楽々園」
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された(1677~1679年)彦根藩の下屋敷で、槻御殿と呼ばれていました。現在は建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。槻御殿の地は、松原内湖に面した広大な干拓地でした。井伊直興亡き後、倹約令などにより楽々園の建物は縮小気味に推移することが多かったと考えられますが、文化10年(1813)の11代藩主井伊直中の隠居に際して大規模な増改築が行われ、楽々園は間もなく最大規模に膨らみました。それは現存建物のおよそ10倍もありました。現存する「御書院」も、その際に建築されたものです。御書院の奥は「地震の間」「楽々の間」などへ連なります。地震の間は耐震構造の建物であるため今日そのように呼ばれていますが、当時は茶の湯に用いる「茶屋敷」でした。「楽々の間」も同様に数寄屋建築であり、12代藩主井伊直亮により地震の間のさらに奥に増築されました。「楽々園」の名の由来ともなった建物であり、煎茶の茶室として近年注目されています。

名 勝  「玄宮園」
玄宮園の名は、中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」と言ったことから命名されたと考えられます。庭園を見渡す好所に建てられた数寄屋建築である「八景亭」の名から、一説に中国の潚湘八景または近江八景を取り入れて作庭されたとも伝えますが、江戸時代に描かれた「玄宮園図」に八景亭の名はなく「臨池閣」と呼んでいたようです。そのほか玄宮園図には「鳳翔台」「魚躍沼」「龍臥橋」「鶴鳴渚」「春風埒」「鑑月峯」「薩埵林」「飛梁渓」「涵虚亭」の十景が付箋によって示されており、当時「玄宮園十勝」と呼ばれていたことが確認されています。玄宮園は、広大な池水を中心に池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化に富んだ回遊式庭園となっています。
いろは松(昔47本あり、いろは47文字の頭三文字) 外  堀
馬  屋 (重要文化財) 馬屋の内部
佐和口多聞櫓(重要文化財) 佐和口多聞櫓の全景
名勝「楽々園」の御書院 「楽々園」、右側は地震の間
名 勝 「玄 宮 園」
名 勝 「玄 宮 園」右は「八景亭」
玄宮園からの彦根城 鳳翔台(藩主が賓客をもてなす場所)


国指定特別史跡 埋 木 舎 (うもれぎのや)
井伊直弼が17歳から32歳までの青春時代を300俵の捨扶持で過ごした所で、直弼は自らを生涯花咲くこともあるまいと埋もれた木にたとえて埋木舎と呼んだ。ここで彼は茶道、華道、和歌、能、武術などの研究に励んだ。茶道では石州流を学び、裏手にある茶室は澍露軒と名付け、数多くの弟子に「一期一会」の茶道精神を伝えた。直弼の一生の新友、国学者・長野主膳と三晩、人生論を語り合ったのも埋木舎であった。奥庭には楽焼の作業場や武道場の跡もある。また柳王観音像もある、信仰も篤かった。井伊直弼の埋木舎における偉大な人格形成があったればこそ、後に13代藩主となり、幕府の大老職として命をかけて困難を救う大器量が発揮されたのであろう。

彦根藩主としての井伊家(下線の藩主は大老職に就いた藩主:5人が6回)
初代:直政(なおまさ)、2代:直孝(なおたか)、3代:直澄(なおずみ)、4代:直興(なおおき)、5代:直道(なおみち)、6代:直恒(なおつね)、7代:直惟(なおのぶ)、8代:直定(なおさだ)、9代:直禔(なおよし)、
10代:直幸(なおひで)、11代:直中(なおなか)、12代:直亮(なおあき)、13代:直弼(なおすけ)
14代:直憲(なおのり)

埋木舎の門 埋木舎の玄関
埋木舎の展示品
表御殿(彦根城博物館) 彦根城博物館入口
庭園と茶室 御座之御間
金亀公園にある井伊大老銅像 「花の生涯」(舟橋聖一)記念碑
(NHK大河ドラマ第1号:幕末動乱を背景に
井伊大老の人間像を描く)

井伊大老歌碑「あふみの海磯うつ波のいく度か御世にこころをくだきぬるかな」
西郷屋敷の門 西郷屋敷の全景


国宝・彦根城築城400年祭


彦根市では、国宝・彦根城築城400年祭を平成19年3月21日~平成19年11月25日まで行い、予想以上の多くの見学者で賑わいました。この期間に種々の行事が組み込まれていましたが、ここでは400年祭の時の町の一部の様子を紹介します。
彦根市役所 400年祭のノボリ
彦根城京橋からキャッスルロード方面 キャッスルロードのお店
キャッスルロード向かいのお店 400年祭のシンボル「ひこにゃん」の石像
400年祭の立て看板 お濠の白鳥
開国記念館の井伊大老像、展示の様子
開国記念館の展示の様子、レゴで創った彦根城
400年祭記念のバス



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