(大津祭りについて)
滋賀県大津市の大津祭りは湖国三大祭(大津祭、日吉大社山王祭、長浜曳山祭)の一つです。大津祭りは天孫神社のお祭りで、元は10月10日が本祭、9日が宵宮と決められていましたが、2000年より暦の変更により土、日曜日に行われるようになりました。宵宮では、日が暮れる頃から赤い提灯に囲まれた山の上で、賑やかな囃子が披露される。本祭当日は、午前9時に各町内から移動を始め、9時30分には天孫神社横に全曳山が集まってきますので壮観です。その後、巡行の順番を決める「くじ改め」の儀式が行われ、代表から合図が送られ、お囃子が始まり、今日最初の「からくり」の所作が奉納されます。無事に奉納が終えると、曳山は町に繰り出します。
大津の町は、日本一の湖である琵琶湖に面し、逢坂越の街道で、わが国の文化発祥の地京都に連なっている。古くは三井寺の門前町、また港町として栄え、さらに近世に入ると、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らによって、その水路・陸路の重要性が認識され、琵琶湖水運の要となる港町として、また東海道の宿場町として、ますます発展することになった。江戸時代には、幕府直轄都市となり、人口2万人、家数四千軒、町数は百ヵ町を数え、湖岸に建ち並ぶ蔵屋敷が、その経済的実力を象徴していた。
さて、大津祭(旧四宮祭)の曳山祭礼は、このような大津町人の経済力を背景にして、江戸時代初頭に創始された。その特色は、「からくり」を曳山に導入したことにある。全国でも二番目に古く、大津町人の進取の精神を示している。また、「からくり」の題材は、中国の故事や、能・狂言から取り入れられており、文化水準の高さを物語っている。大津祭りの本祭には、曳山元祖の西行桜狸山を先頭に、天孫(四宮)神社の氏子町内から十三基の曳山が出され、旧大津の町々を華やかに巡行する。曳山は「からくり」のほかにも、豪華な織物の幕類やや意匠をこらした彫刻・金具、また一流画人の天井画などで飾り付けられており、見る人の目を楽しませる。ことに幕類には、十六世紀ベルギー製の毛綴織など海外からの渡来品もあり、曳山は江戸時代の町人文化の粋を集めた動く美術館・博物館といえよう。とはいえ、見物の楽しみはやはり「からくり」にある。巡行中「所望(しょうもん)」の声がかかると、「からくり」が操られ、巧妙な所作が人々をわかせる。さらに、にぎやかな囃子が祭り気分をいっそう盛り上げ、旧大津の町々は祭り一色につつまれるのである。(大津祭曳山連盟のパンフレットから抜粋)

(十三基の曳山)
@西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま) A郭巨山(かっきょやま) B源氏山(げんじやま) C月宮殿山(げつきゅうでんやま) D西王母山(せいおうぼやま) E殺生石山(せつしょうせきやま) F龍門滝山(りゅうもんたきやま) G湯立山(湯立山) H神功皇后山(じんぐうこうごうやま) I狸々山(しょうじょうやま) J西宮蛭子山(にしのみやえびすやま) K孔明祈水山(こうめいきすいやま) L石橋山(しゃっきょうやま)

(天孫神社(四宮神社))
御祭神〜・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) ・国常立尊(くにとこたちのみこと)
        ・帯中津日子尊(たらしなかつひこのみこと) ・大己貴尊(おおなむちのみこと)
天孫神社は、延暦年間(782〜806)に彦火火出見尊の霊をして創立され、はじめ琵琶湖畔にあった。その後伊勢屋町を経て、現在の四宮町に鎮座された。桓武天皇が近江の国に行幸された時に湖上の安全を祈願され、それ以来海運の神となる。それ以後朝廷の尊崇が厚く、大同三年(808)十月、平城天皇が、近江へ行幸された時には、仮の御所とされた。豊臣氏の時代、坂本の城を大津に移した時に、社殿等を再建され、大津城の守護神として崇敬された。古くは、四宮神社と呼ばれていたが、明治初年に祭神の一柱である彦火火出見尊が、天照大神の孫にあたる所から「天孫神社」と改称された。天孫神社は、安産・交通安全(昔は船・今は車)・厄除等の神様として崇敬が厚く、毎月一日には、交通安全祈願祭、また戌の日には安産腹帯の祈願祭等が行われている。(大津曳山連盟パンフレットから抜粋)

天孫神社拝殿 西行桜狸山
西行桜狸山 西行桜狸山
孔明祈水山 孔明祈水山
西宮蛭子山 西宮蛭子山
湯 立 山 源 氏 山
神功皇后山 神功皇后山
郭 巨 山 月宮殿山
殺生石山 殺生石山
西王母山 西王母山
石 橋 山 石 橋 山
龍門滝山 龍門滝山
猩 々 山 猩 々 山
猩 々 山 猩 々 山
西行桜狸山 厄除けのチマキ
天孫神社横に集合した13基の曳山



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