祇王
祇  王

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時は平安末期、平家全盛の頃のことです。

都に祇王、祇女という評判の姉妹の白拍子がいました。

ある日、姉の祇王は主の使いで平清盛の館に行きますが、

清盛の見初めるところとなります。

そしてその日より、清盛は自分の館で祇王を寵愛しました。

祇王は何不自由のない暮らしができ、実家にも仕送りがされます。

祇王のことは都じゅうの話題になりました。

「えらい幸運を掴んだものだ。」

「子を産むなら女の子にかぎる。」

「祇という文字は縁起がよいのかもしれない。」

それから都には祇という文字をつけた名が流行りだしました。

祇王が両親のもとに会いに帰ってくる日には、

祇王を一目見ようと黒山のような人だかりができるのでした。

そんなある日のことです。

清盛の館に、仏御前という白拍子が舞いを見て頂きたいといって現れます。

「見る必要もない。追い払え。」

清盛は祇王に夢中だったので、門前払いにしようとします。

しかし心優しい祇王は仏御前を不憫に思い、清盛にとりなします。

「遊び者の推参は常のこと。一度御覧になってあげたら如何でしょう。」

清盛は仏御前の舞いを見ることにしました。

ところが舞う仏御前の姿は美しく、声は澄んでおり、

清盛は一瞬にして見初めるのでした。

その時から、清盛の心を占めているのは祇王から仏御前に変わったのです。

仏御前は、清盛の館に住まうことになりました。

ただ仏御前は、祇王の情けを決して忘れていませんでした。

「私を帰してください。」

清盛に訴えます。

しかし、逆効果でした。

清盛は配下の者に命じました。

「仏御前がこの館を出て行きたがるのは、祇王がいるからだ。

祇王には暇をやれ。」

祇王は何時かこのような日が来ることを予想してはいましたが、

まさか昨日今日といった差し迫ったものになるとは思ってもいませんでした。

祇王は一首の和歌を書き残して館を後にするのでした。

「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあけで果つべき」

「春になって萌え出る若葉も、霜にうたれて枯れる枯草も、
もとはといえば同じ野辺の草、一時栄枯の差はあるが、
いずれは凋落の秋に逢わぬわけにはいくまい。」  という意味


それからしばらく経ってから、清盛の館から使者が来ました。

「仏御前があまりにも退屈そうなので舞いなど舞って、

仏御前をなぐさめよ。」

祇王は悔しくてなりませんでした。

一度は断りますが、時の権力者には逆らいきれません。

涙をこらえながら、清盛と仏御前の前で舞ったのでした。

仏御前は心を傷めますが、清盛は全く気にする様子もありません。

祇王は今様を歌いました。

「仏も昔は凡夫なり 我等も終(つい)には仏なり いづれ仏性具せる身を

隔てるのみこそ悲しけれ」

(梁塵秘抄二)
「仏も昔は人なりき、
我等もつひには仏なり、
三身仏性具せる身と、
知らぜりけるこそあはれなれ、」
の末二句を歌いかえた。

原歌は仏も凡夫もともに仏性(仏になり得る本性)を具しているのに、
人々がそれに気付かぬことをいう。
祇王は、それを仏御前も自分も同じ白拍子であるのに差別されたことへの
嘆きに転じた。  


何度か繰り返しているうちに周囲の人々は涙ぐみました。

仏御前もすすり泣き出し、さすがに清盛も哀れと思ったのか、

もう舞も歌も強要しませんでした。

このことがあって、祇王は髪を剃り嵯峨の庵で仏門に入りました。

祇王の母と妹の祇女も、同様に尼となり、

3人は嵯峨の庵でひっそりと暮らしました。

それから半年ほど経った秋の日のことです。

庵の門をたたく者がいました。

仏御前です。

仏御前は、自分も祇王と同じ運命をたどることを悟っていたのです。

そして、此の世の無常に哀れを感じ、尼となる決心をしていたのです。

それから4人は、すべてのわだかまりを捨て、

一緒に嵯峨の庵で静かに余生を過ごしたのです。

「栄華や冨貴は夢の夢よ世は浮世、まことの世は彼岸にこそ。

後世の願いこそ大事なれ。人の身は受難く、仏縁には会い難し。」  


参照、「平家物語」

 
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