朝成邸 (あさひらてい)
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時は平安中期。

藤原伊尹ふじわらのこれまさが中納言に昇任しました。

その時、藤原朝成ふじわらのあさひらも中納言に昇任することを望んでいたので 大変悔しがり、

朝成は伊尹についての悪口を散々言い散らしたのでした。

それから数年後、伊尹は摂政となり、朝成は中納言となっていました。

朝成は、大納言への昇任を願いに、伊尹の邸へ参上しました。

暑い夏の日にもかかわらず、朝成は邸の外で何時間も待たされました。

やっと目通りがかない、朝成は伊尹に自分が大納言になるべきことを訴えました。

これに対して、伊尹が言いました。

「世の中とは分からないものだ。 昔、私が中納言を望んでいた頃、

貴殿はいろいろ放言したが、今の貴殿の昇任の如何は、私の心次第だ。」

そうとだけ言うと、伊尹はさっさと退出してしまいました。

朝成の心は怒りに震えました。

門を出て牛車に乗るとき、持っていた勺を投げつけると、

二つに割れてしまいました。



その後朝成は、生霊となって伊尹に祟り、ついに伊尹は命を落としました。

伊尹の子孫は、怨霊のとりついている朝成の邸には決して立ち入ることが

なかったそうです。

その朝成の邸は、三条東洞院にあったと言われています。

ここまで恨み深いのは、悪い報いを受けるもとであり、

大変つまらないことなのです。



参照、 「十訓抄」 九ノ三


京都中京郵便局 (京都中京郵便局)


現在の三条東洞院の北東角



朝成邸、本当は何処?
「十訓抄」説  三条東洞院通あたり
「大鏡」説    三条西洞院の北西
「拾介抄」説  三条西洞院の南東
「古事談」説  三条西洞院あたり


藤原朝成 ふじわらのあさひら
917〜974
平安中期の公卿


藤原伊尹 ふじわらのこれまさ
924〜972
平安中期の公卿


生霊 いきりょう
生きている人間の怨霊
人の体から遊離し、他人に祟ると言われている


十訓抄の教え


平安時代の摂政関白・院政




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