| 菟裘賦 (ときゅうのふ) |
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時は平安中期。
中納言源伊陟は、 兼明親王という詩文に大変優れた人の子息でした。 ある日、村上天皇が側近の源伊陟に尋ねました。 「亡くなった故兼明親王は、日頃何をしておられたのか?」 伊陟は答えました。 「兎の裘とか申すものを 常に手にしておりました。」 それを聞いた村上天皇は言いました。 「きっと、そなたが伝え持っているだろう。一度見せてもらいたい。」 伊陟は「たやすいことです」と言って、 封印されていた一巻の文を持参してきました。 村上天皇は、毛皮のようなものだと思っていたのですが、文の巻物でした。 巻物を開いてみると、次のようなことが書かれている部分がありました。 「君主は暗君で、臣下はへつらいばかり。 何かを訴えたくても、訴えるべき場所もない。」 伊陟は字が読めないので、文の中身も知らずに持参していたのです。 優れた才芸の持ち主の子息でも、このような人もいるのです。 「菟裘賦」という書物の名さえ知らなかったのでしょうか。
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