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大宰府に来てからの道真は、心を静めようと神に祈り続けました。
しかし、離散した家族のことが頭から離れません。 「京に残った妻は、幼い女児を抱えて難儀していないだろうか? それぞれ別々の地へ行かされた3人の息子は、 見知らぬ土地で絶望してはいないだろうか?」 道真の心は狂いそうになるのでした。 そのうえ、天皇は自分を逆臣と決めつけ、弁明の機会すら与えない。 どうしようもない気持ちで過ごす日々は、道真の健康をも蝕んでゆきます。 そして道真は、無念の気持ちを抱いたまま、死を迎えるのでした。 と同時に、・・・道真は、怨霊と化すのです。 京では、藤原時平の行動は鮮やかでした。 道真追放に成功すると、すぐその後がまの右大臣に源光を抜擢し、 その他多くの役職に、自分の身近な者を配置しました。 時平を中心とする藤原氏のクーデターは、まんまと成功したのです。 その時平のもとに、道真死すの報が届きます。 「これで自分を脅かす者はもういない。 藤原氏の勢いも、もとの通りになるだろう。」 時平の心は満たされていました。 ところが、この直後から都には次々と異変が起こりだしたのです。 旱魃や飢饉が続きます。そして時平の周囲には不幸が相次ぎます。 道真の後がまとして、右大臣となった源光が狩の最中、底なし沼に 飲み込まれてしまいます。死体すら上がってきません。 さらに、時平に近い者が次々に病気や事故で死んでいくのです。 内裏での評議中でのこと、にわかに雷雲がたちこめます。 一瞬の雷光が、大納言藤原清貫(きよつら)を直撃します。 ほとんどの人は、菅原道真の祟りだとの確信にいたります。 それから毎日のように、都には雷鳴が鳴り響きます。 醍醐天皇は、思い悩んだあげく退位し、朱雀帝に譲位します。 しかし、気を病んだまま数ヵ月後に亡くなりました。 もはや、宮廷内は恐怖のどん底でした。 時平は毎晩のように、道真の怨霊にうなされます。 そして病の床につきます。僧を呼び祈祷しますが、どうにもなりません。 時平は毎日、苦しみうなされながら死んでしまいました。 それでも道真の祟りはおさまりません。 天皇后となった時平の娘とその子である皇太子(時平の孫)も 相次いで病死します。 さらに時平の三男はじめ、時平の一族ほとんどが一時に病死したのです。 「道真の怨霊をどうしたら静められるか」、 このことが内裏における一番の重要課題とされました。 朝廷は、道真の罪を取り消し、もとの大臣の位に復させました。 そんなとき、比良神社(滋賀県)の神官のもとに菅原道真が現れ、 「北野の千本の松が生えたあたりに祠を建てよ」と告げました。 その北野の地には、一夜にして千本の松が生えていました。 そこで朝廷は、その地に壮大な天満宮を建てたのです。 やがて道真の怨霊はおさまり、京は平安に戻ったのです。
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