| 北山科の老婆 |
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今は昔、宮仕えをしている若い女がいました。
父母や親類もなく、親しい知り合いもいないので立ち寄る所もなく、 ただ自分の部屋にこもっていました。 女は、いつも思っていました。 「もし病気にでもなったら、どうしたら良いだろうか?」 そのうち女は、これと定まった夫もいないのに懐妊しました。 女は、これも我が定めと歎きましたが、どこで生んでよいか分からず、 相談する人もいません。 女は思いました。 「もし産気づいたら、ただ一人使っている女童を連れて、山の深くまで行き、 どこかの木の下で生もう。 もし死ねば、誰にも知られることはない。 もし無事に生まれたなら、何気ないふりをして帰ってこよう。」 しばらく日を過ごしているうちに、女は臨月になりました。 ある日の明け方、女は産気がしたので、女童に用意していた物など持たせて、 家を出ました。 京を出て東へ向かい、賀茂川を渡り、粟田山の方へ歩き続けました。 さらに歩き続け山深くへと入り込み、何処にしようかと歩き回っていると、 北山科という所までやってきました。 ふと見ると、山の斜面に壊れかけた古い家がありました。 人が住んでいるような気配はありません。 女はここにしようと思い、その壊れかけた家の中へ入っていきました。 朽ち残っている部屋に上がり、しゃがみ込んで休んでいると、 奥のほうから人の足音らしきものがしてくるのです。 「ああ、困った。 人が住んでいたのか。」 女がそう思っていると、引き戸が開き、白髪の老婆が出てきました。 その老婆は、何故か微笑みながら女に尋ねました。 「思いがけないことじゃが、どなたかな?」 女は、ありのままを語りました。 その話を聞いて、老婆が言いました。 「なんと哀れなことじゃ。 何も気にせず、ここで産みなさい。」 そして老婆は、女を奥の方へ呼び入れてくれたのです。 女は思いました。 「これは仏の助けにちがいない。」 女は、とても有難く感じるのでした。 それからまもなくして、女は無事に子を産むことができました。 老婆は女にこう言いました。 「本当に嬉しきことじゃ。 私は年老いてこのような田舎に住む身だから、 全く気になりません。 七日ばかりここでゆっくりされたらよろしかろう。」 そして老婆は、女童に産湯を沸かさせて使わせてくれました。 女は本当に有難いと思いました。 生まれたら捨てようかと思っていた子も、とても器量の良い男の子だったので、 捨てる気もなくなり、乳を飲ませてやりました。 このようにして2〜3日程経った日のことです。 女が昼寝していると、老婆が傍にやって来ました。 女は夢うつつにも、その時に老婆がつぶやいた言葉を耳にしました。 「何とも美味そうじゃ。ただ一口じゃ。」 女は、はっとして目を覚ましました。 老婆を見ると、とても怖ろしげに見えるのです。 女は思いました。 「これは鬼にちがいない。 このままでは、きっと喰われてしまう。 密かに逃げ出そう。」 そこで女は、老婆が昼寝をしたすきに、子を女童に負わせ自分は身軽にして、 そっとその家から逃げ出しました。 女は心に念じました。 「仏よ、助け給へ。」 そして女は、やってきた道のままに走りに走って逃げました。 しばらく走ると、粟田口に出ました。 そして女は、日が暮れてから主人の邸へ帰りました。 きっとこの女は賢かったので、このようなことができたのでしょう。 子は、人に預けて養わせました。 その後の老婆のことは全く分かりません。 この話は、女が年をとってから人に語ったのです。 思うに、壊れかけたような古い家には必ず、鬼、物の怪、妖怪のような物が 住んでいるのです。 されば、老婆が子を見て、「何とも美味そうじゃ。ただ一口じゃ。」と 言ったとすれば、まちがいなく鬼などの類であったでしょう。 このような訳で、そのような場所に一人で立ち入ってはならないと 語り伝えられているのです。
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