きつねを射る
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今は昔、三条天皇が春宮(皇太子)だった頃のことです。

春宮は数人の供を伴って、東三条の邸を訪れました。

源頼光みなもとのよりみつ(一般には「らいこう」と呼ばれ親しまれている)も、

春宮に付き従って来ていました。

頼光は極めて優れた武士として知られ、世間から恐れられる存在でした。

その時、御堂の西の軒に狐が丸くなって臥していました。

春宮は頼光に、弓と蟇目ひきめの矢を与えて言いました。

「あそこの軒にいる狐を射よ。」

蟇目の矢は鏃を先端につけ非常に重く、普通は儀式にしか使わないのです。

頼光は答えました。

「かたくご辞退申し上げます。

他の者なら射はずそうとも、どうということもありますまいが、

この頼光が射はずしたとあれば、この上ない恥辱です。

若い頃は、鹿などを射たりしましたが、最近は当て物などしていません。」

そう答えながら、頼光は心の中で思っていました。

「このように話をしているうちに、狐は逃げていくだろう。」

しかし狐はよく眠っていて、逃げる様子は全くありません。

春宮は、また命じました。

「本気で射よ。」

頼光は、しかたなく弓を取り、蟇目の矢をつがえて言いました。

「力の強い弓なら射当てることもできましょうが、これほど遠い標的に、

蟇目の矢は重すぎます。

普通の矢なら射ることもできましょうが、蟇目の矢では難しすぎます。

矢が標的に届かないのは、射はずす以上に物笑いになるでしょう。」

頼光は、そのように言いながら、衣の紐をほどかないままで、

上下の袖をまくり、弓の頭を前に倒し、矢束一杯に引き絞って、

矢を放ちました。

暗くて矢の行き先も見えないと思った瞬間、矢は狐の胸を射中てていました。

狐は頭から池に落ちていきました。

「力の弱い弓で、しかも重い蟇目の矢をつがえて射たならば、

どんな腕前の者でも命中さすことはできず、途中に落ちるはずだ。

それなのに狐を射落としたとは、世にも稀な腕前だ。」

春宮をはじめ傍にいた殿上人たちは感嘆し、頼光を腕前を褒めました。

春宮は頼光に、主馬署しゅめのつかさの馬を与えました。

頼光は、庭に降りて馬をいただき、礼拝して御殿に上りました。

頼光は、御殿で言いました。

「これは頼光が射た矢にあらず。

先祖の恥になるような事をさせまいと、源氏の守護神(岩清水八幡神)が、

助けて射させてくれたものなり。」

そう言って、頼光は退出しました。

その後、頼光は親族に会っても、こう言いました。

「我が射たる矢に非ず。 これ神のご加護なり。」

この話は世間にも伝わり、頼光を称賛したと語り伝えられているのです。



参照、「今昔物語」
春宮大進源頼光朝臣射狐語


岩清水八幡宮の八幡神矢
岩清水八幡宮の八幡神矢


源頼光 みなもとのよりみつ
一般には「らいこう」と呼ばれ、親しまれている
948〜1021
多田源氏を起こした多田満仲の長男
大江山の酒呑童子の退治や怪盗鬼同丸の追捕など逸話は多い
東宮大進・内蔵頭・美濃守・伊予守・摂津守など歴任


蟇目の矢 ひきめのや
儀式に用いられる矢
うなりを上げて飛び、魔よけの力があるとされる
矢の先に桐、朴などで作られ矢尻をつけ、その矢尻の中は空洞になり 表面に数個の穴をあけている
非常に重いため、的を射るのに使用するには適していない




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