| 尊勝陀羅尼 |
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今は昔、西三条右大臣藤原良相の息子に、
大納言左大将で藤原常行と
いう人物がいました。 常行は、かなりの年齢になるまで元服もせず、冠も着用しませんでした。 また常行は、美貌の持ち主であり好色でした。 常行の家は西三条(西大宮大路より東、三条大路より北)にありましたが、 左京に思いをかけている女のもとへ毎夜通っていました。 父母は、このような常行の行動を心配し、やめさせようとしていました。 そこで常行は、こっそり侍所の馬をもってこさせ、 小舎人童と馬の舎人だけを連れて出かけたのです。 まず西大宮大路を北へ行き、二条大路を右折し、東に向かって進みました。
神泉苑の辺りにさしかかったときのことです。 東大宮大路の方より、多くの人が松明を燃してやって来るのです。 常行はこれを見て言いました。 「前方から来るのは何者だろうか? どこに隠れようか?」 常行の言葉を聞いて、小舎人童は答えました。 「昼間見たのですが、神泉苑の北門が開いていました。 そこに入り戸を閉じて、行列が通り過ぎるのを待ちましょう。」 常行は小舎人童の言うとおり、神泉苑の北門の中に入り、 馬からおりて、北門の柱のもとに身をかがめました。 松明を燃した行列がやって来て、北門の前を通り過ぎて行きます。 常行は、何者たちか気になり、こっそりと戸を少しだけ開いて覗きました。 するとそれは人ではなく、なんと鬼共だったのです。 どれもこれも怖ろしげな顔形をしています。 常行は肝をつぶし、心砕けてしまいました。 常行は目もくらんでしまい伏していると、鬼共の話す声が聞こえました。 「この辺りに人の気配がするぞ。 そいつをとっ捕まえよう。」 一匹の鬼が、こちらへ向かって走って来ました。 常行は思いました。 「我が身もこれまでだ。」 しかし鬼は、近くに寄ってこずに走り返って行きました。 鬼共の話し声がしました。 「なぜ、とっ捕まえてこないのか?」 「とても捕まえることはできない。」 「なんでとっ捕まえれないのだ。絶対にとっ捕まえろ。」 今度は別の鬼がこっちへ向かって走って来ました。 しかし、この鬼も前と同じく近くに寄ってこずに、走り返って行きました。 また、鬼共の話し声がしました。 「とっ捕まえたか?」 「捕まえることはできない。」 「変なことを言うものだ。俺がとっ捕まえてやる。」 今度は、今まで命令していた鬼が、こっちへ向かって走って来ました。 鬼は、前より近くまで来て、常行に手をかけんばかりになりました。 常行は思いました。 「今度こそ、もう駄目だ。」 しかし、今度の鬼も急にあきらめて、走り返って行きました。 また、鬼共の話し声がしました。 「本当に捕まえることができないはずだ。 尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)が、おいでであったのだ。」 鬼がそう言うと、多くの松明の火はいっせいに消え、 鬼共は東西へと走り散って行きました。 常行は、しばらく呆然としていましたが、なんとか馬に乗り、 西三条の自分の邸に帰ることができました。 常行は、戻ってから気分が悪くなり発熱しました。 常行が床についていると、乳母が常行の部屋にやってきて言いました。 「どこへ行っておられたのですか? 殿様や奥様がこのように夜遊びしていることを知ったなら、 何と言うでしょう。」 乳母はそう言いながら、常行のそばに寄って来ましたが、 常行があまりにも苦しそうなので驚きました。 常行の体に触ってみると、とても熱くなっています。 「何でそんなに苦しいのですか?」 乳母がそう問うので、常行は事の次第をすべて話しました。 その話を聞いて、乳母は言いました。 「なんということでしょう。 実は去年、私の兄弟の阿闍梨に言って、 尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)を書いてもらい、 常行様の衣の襟に、それを入れておいたのです。 もし尊勝陀羅尼を入れていなかったら、どうなっていたことでしょう。 本当に尊勝陀羅尼は貴いことです。」 常行は3〜4日ほど高熱が続き、父母は心配しましたが、 様々な祈祷をすると、3〜4日ほどして病気は治りました。 暦(こよみ)を見てみると、鬼共に出会った夜は、 忌夜行日(陰陽道で百鬼夜行の日とされ、人々の夜行を禁止する日) に当たっていたのです。 これらのことを思うと、尊勝陀羅尼の霊験は極めて貴いものなのです。 この話を聞いた人は皆、尊勝陀羅尼を書いてお守りにして、 身につけていた、と語り伝えられているのです。
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