請雨経しょううきょうの法
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今は昔。

天下は日照りが続き、すべての植物は枯れ尽きてしまいました。

天皇をはじめ、大臣から一般人民に至るまで皆が歎いていました。

そのころ弘法大師こうぼうだいしという人がいました。

天皇は、弘法大師を召して言いました。

「如何にしたら、この旱魃かんばつを止め、雨を降らせて、

人々を救うことが出来ようか?」

大師は答えました。

「私の行法に雨を降らす法がございます。」

その言葉を聞いて、天皇は命じました。

「速やかにその法を行うべし。」

大師は、神泉苑で請雨経しょううきょうの法を行いました。

七日間、請雨経の法を行っていると、祈雨の壇の右上に

五尺くらいの蛇が現れました。

見ると、その蛇は頭上に五寸くらいの金色の蛇を乗せています。

その蛇は、こちらへ近寄ってきて、池に入りました。

その場には、20人の伴僧が居並んでいましたが、

その光景が見えたのは4人の高僧だけでした。

1人の高僧が弘法大師に尋ねました。

「この蛇が現れたことは、何かの前兆なのですか?」

大師は答えました。

「これは天竺の阿耨達智池あのくだつちいけに住む 善如竜王ぜんにょりゅうおうが、この神泉苑に通ってきて、

請雨経の法の効果を示そうとなさっているのです。」

そうしているうちに、俄かに空は陰り、戌亥の方角(北西)より黒雲が出現し、

雨が降ってきました。

その雨は、国じゅうに降り、旱魃は止まったのです。

これ以後、天下が旱魃の時には、弘法大師の流れを受け継ぐ者によって、

神泉苑で請雨経の法が行われるようになったのです。

請雨経の法が行われると、必ず雨が降りました。

このことは、今まで絶えず行われていると、語り伝えられているのです。



参照  今昔物語
弘法大師修請雨経法降雨語

弘法大師 称号「空海」
774〜835
生まれは、讃岐国
804年に入唐、恵果けいかに胎蔵の法・金剛の法を受ける。
帰国後、嵯峨天皇に奉請して高野山に金剛峰寺を開く。
その後、東寺(教王護国寺)を下賜され根本道場とする。

神泉苑
神泉苑


ここで請雨経の法が行われた。
大内裏の南東隣りに位置し、八町の規模を有する苑池であった。
現在、その一部が残存する。




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