実因僧都 (身体強力の僧都)
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比叡山西塔 比叡山西塔の中心

「釈迦堂」


今は昔、比叡山の西塔に実因じついんという僧都そうずがいました。

実因僧都は顕教・密教にすぐれているだけでなく、身体も強力な僧でした。

ある日のこと、僧都が昼寝していると、若い弟子たちが師の力を試そうと

胡桃を八つ持ってきて、実因の足の指の間に一個ずつ挟みました。

僧都は狸寝入りをしていたので、寝ころんだまま背伸びをし、 

「うん」とうめくと、一瞬にして八つの胡桃を砕いたのでした。



実因僧都が一条天皇のところへ祈祷のため参内したときのことです。

祈祷が終わってからも、僧都は夜更けまで宮中で時を過ごしました。

先に退出した伴の僧や童子は待っているだろうと思っていたのですが、

もう誰も待っていません。

しかたがないので、実因僧都は一人で帰ることにしました。

月のとても明るい夜だったので、武徳殿の方へ散歩気分で歩いていると

軽装の男が一人寄ってきて僧都に語りかけました。

「どうして一人でいらっしゃるのですか。私が背負ってお送り申し上げましょう。」

「まことにありがたい。」

僧都は、そう答えると気軽に応じました。

男は僧都を背負って走り出しました。

大宮二条の辻まできたときです。

「ここで降りろ」

男が言うのです。

「私はこんな所へ来るつもりなどない。壇所に行きたいと思っている。」                 

実因僧都がそう答えると、男は声を荒げて怒鳴りました。

「なにを背から降りないで、ぐずぐずしているのだ。やい、坊主。

命が惜しくないのか。着ている衣をよこせ。」

「私が一人帰るのを気の毒に思い背負ってくれたものと思ったのに、

こんなことだったのか。この寒いのに衣を脱ぐわけにはゆかぬわい」

そう答えると実因僧都は、男の腰を両足でひしと挟んだのです。

それは太刀で腰を切るほどの痛さでした。

男はたまらず

「たいへんな考え違いをしていました。あなた様に危害を加えようなどと、

私の至らぬところでした。

どこにでもお連れいたしますから、腰を少し緩めてください。

目玉が飛び出してしまいます。」

と、実因僧都に許しを乞うたのです。

「それが身のためだ。」

僧都はそう言うと腰を緩めてやりました。

「どちらにお出でなさいますか?」

と問う男に、僧都はこう命じました。

「宴の松原に行って月見をさせい。」

男は宴の松原まで僧都を背負っていきました。

「それでは降りてください。これでごめんこうむります。」

そう男は言いましたが、僧都は許さず、背負われたまま月を眺め、

詩歌などを吹いて一向に降りようとしません。

だいぶ経ってから、僧都が言いました。

「右近の馬場へ行ってみたい。そこまで連れて行け。」

男が、「なんでそんなところまで参れましょう。」と答えると、

僧都は、「ならばこうじゃ」と言って、また男の腰を挟もうとしたので、

男は、「ああ耐えられぬ、行きます行きます」と叫び、

結局、右近の馬場まで僧都を背負ったまま行ったのでした。

僧都は、右近の馬場では延々と歌など口ずさみ、

「次は喜辻の馬場へ行け」と命じます。

男はいやとも言えず、泣きべそをかきながら背負って行きました。

僧都は喜辻の馬場で時を過ごした後、「次は西宮へ行け」と命じます。

このように男は夜通し僧都を背負い、明け方やっと許されました。

結局、男は衣だけはもらいましたが、ひどい目にあい逃げ帰ったのです。

実因僧都はこのように極めて強力であったと言い伝えられているのです。





参照、「今昔物語」
比叡山の実因僧都の強力の語

右近の馬場 北野天満宮の塀のすぐ東

現在の「右近の馬場」




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