悪 霊
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時は平安中期のことです。

藤原朝成ふじわらのあさひらは、 藤原伊尹ふじわらのこれまさとの出世争いに敗れ、大変屈辱的な目にあいました。

藤原朝成は、こう誓いながら亡くなりました。

「伊尹一族を永久に絶えさせてやろう。

もし男子なり女子なりがあっても、順調な人生など送らせはしない。

このことを気の毒などと言う者がいれば、その者も恨んでやろう。」

そして朝成は悪霊となったのです。

時が経ち、伊尹の孫である藤原行成ふじわらのゆきなりが蔵人頭の時のことです。

左大臣藤原道長ふじわらのみちながは、夢をみました。

紫宸殿の北廂、そこは清涼殿の殿上に向かうときに必ず通る所なのですが、

そこに人が立っているのです。

誰だろうかと思って見ようとすると、顔は戸の上の方に隠れていて、よく見えません。

「誰だ!誰だ!」

道長は不思議に思い、何度も問いました。

すると、その人らしき者が答えました。

「朝成でございます。」

道長は恐怖を感じながらも聞きました。

「なぜ、こうして立っていらっしゃるのですか?」

すると朝成の霊は答えました。

「行成が参内してくるのを待っているのです。」

そこで道長は目が覚めました。

道長は思いました。

「今日は公事のある日なれば、行成は朝から参内するだろう。

困ったことになった。」

道長は、急いで行成宛に手紙を書きました。

「あなたの御身のことで、夢に見たことがあります。

今日は病気ということにでもして、物忌を厳重にし、参内する必要はありません。

まずは取り急ぎ。」

しかし、この手紙は行き違いとなり、行成は参内していました。

ところが行成は、神仏の加護堅固だったのでしょう。

行成は、その朝、普段の参内とは違う道を通って、清涼殿へ参内していたのです。

道長は、行成の顔を見ると言いました。

「これは如何したことですか。差し上げた手紙はご覧にならなかったのですか?

私は、かような夢を見たのですよ。」

その話を聞くと行成は、手をぱちんと打ち、詳しい話を聞こうともせず、

すぐ退出しました。

それから行成は、祈祷などして、しばらく参内をしませんでした。

その後、行成は、この悪霊の祟りから逃れることができたそうです。

この物の怪の邸は、三条よりは北、西洞院より西にあったそうです。

伊尹の一族は、決して足を踏み入れない所なのです。



朝成邸、本当は何処?
「大鏡」説    三条西洞院の北西
「十訓抄」説  三条東洞院通あたり
「拾介抄」説  三条西洞院の南東
「古事談」説  三条西洞院あたり


藤原行成 ふじわらのゆきなり
972〜1027
藤原伊尹の孫、父が早世したため伊尹の養子となる
「士は己を知る者のために死す」 を口癖にする
大変優れた能書家であった


藤原朝成 ふじわらのあさひら
917〜974
平安中期の公卿
官職争いで藤原伊尹に敗れ、怨霊となって伊尹の子孫に祟り続けたといわれている



参照、 「大鏡」

紫宸殿から清涼殿へ向かう廊下 (京都御所)
「紫宸殿」から「清涼殿」へ向かう廊下


平安京の内裏を模倣している


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