第一相
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時は平安中期のことです。

東三条院詮子(せんし)が、加持祈祷のため権僧正を招いた時に、

観相のよくできる供僧がついて来ました。

女房たちは、その供僧を呼んで人相を見てもらいましたが、

ある女房が尋ねました。

「内大臣殿(藤原道隆)の相は、どのようですか?」

その供僧は答えました。

「まことに立派です。天下を取る相をしています。

しかし、中宮大夫殿(藤原道長)こそ、最も素晴らしい相をしています。」

ある女房が粟田殿(藤原道兼)のことを尋ねました。

供僧は答えました。

「それもまた立派です。大臣となる相があります。

それにしても中宮大夫殿(藤原道長)こそ、真に素晴らしい相です。」

今度は、ある女房が権大納言殿(藤原伊周)のことを尋ねました。

供僧はこう答えました。

「それも立派な相です。雷(いかづち)の相をしています。」

「雷の相とはいかなるものか?」と尋ねると、供僧は答えました。

「一時は権勢も凄いが、最後まで成し遂げることのない相です。

されば、後々のことが危ぶまれます。

中宮大夫殿(藤原道長)こそ、限りなく栄える相をしています。」

このように、供僧は必ず中宮大夫殿(藤原道長)を引き合いに出しました。

「なぜそのように、中宮大夫殿(藤原道長)を引き合いに出すのですか?」

ある女房が尋ねると、供僧は答えました。

「第一相は、虎の子が深き山の峰を渡るが如きものと言われております。

中宮大夫殿(藤原道長)の相は、まさに毘沙門天の生き見本のようです。

相がこのように素晴らしいからには、他の誰よりも優れているでしょう。」

この供僧の言った事は、そのとおりになりました。

供僧は、本当に優れた観相の名人だったのでしょう。

権大納言殿(藤原伊周)は、大臣までは異例の昇進を遂げたことを、

一時は権勢も凄いと予言したのでしょう。

権大納言殿(藤原伊周)の相を「雷の相」と言いましたが、

雷は落ちてもまた空に上りますから、どうせなら「星の落ちて石になる」

に例えた方がよかったかもしれません。

それこそ二度と上ることはないのですから。


藤原道隆 ふじわらのみちたか
兼家の長男
関白職990〜995
藤原道兼 ふじわらのみちかね
兼家の三男
関白職になるも、在職七日にして流行病のため没す
藤原道長 ふじわらのみちなが
兼家の五男
後に摂関政治の極繁を実現し、御堂関白と呼ばれる
藤原伊周 ふじわらのこれちか
道隆の二男
父道隆の死後、衰退し左遷される
詮子 せんし
兼家の娘
一条天皇の母

摂関政治



参照、 「大鏡」

東三条院址 東三条院(とうさんじょういん)址
(押小路釡座角の立札)


詮子は出家して東三条院と称した
その後、邸は藤原道長に引き継がれた


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