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時は平安中期のことです。
東三条院詮子(せんし)が、加持祈祷のため権僧正を招いた時に、 観相のよくできる供僧がついて来ました。 女房たちは、その供僧を呼んで人相を見てもらいましたが、 ある女房が尋ねました。 「内大臣殿(藤原道隆)の相は、どのようですか?」 その供僧は答えました。 「まことに立派です。天下を取る相をしています。 しかし、中宮大夫殿(藤原道長)こそ、最も素晴らしい相をしています。」 ある女房が粟田殿(藤原道兼)のことを尋ねました。 供僧は答えました。 「それもまた立派です。大臣となる相があります。 それにしても中宮大夫殿(藤原道長)こそ、真に素晴らしい相です。」 今度は、ある女房が権大納言殿(藤原伊周)のことを尋ねました。 供僧はこう答えました。 「それも立派な相です。雷(いかづち)の相をしています。」 「雷の相とはいかなるものか?」と尋ねると、供僧は答えました。 「一時は権勢も凄いが、最後まで成し遂げることのない相です。 されば、後々のことが危ぶまれます。 中宮大夫殿(藤原道長)こそ、限りなく栄える相をしています。」 このように、供僧は必ず中宮大夫殿(藤原道長)を引き合いに出しました。 「なぜそのように、中宮大夫殿(藤原道長)を引き合いに出すのですか?」 ある女房が尋ねると、供僧は答えました。 「第一相は、虎の子が深き山の峰を渡るが如きものと言われております。 中宮大夫殿(藤原道長)の相は、まさに毘沙門天の生き見本のようです。 相がこのように素晴らしいからには、他の誰よりも優れているでしょう。」 この供僧の言った事は、そのとおりになりました。 供僧は、本当に優れた観相の名人だったのでしょう。 権大納言殿(藤原伊周)は、大臣までは異例の昇進を遂げたことを、 一時は権勢も凄いと予言したのでしょう。 権大納言殿(藤原伊周)の相を「雷の相」と言いましたが、 雷は落ちてもまた空に上りますから、どうせなら「星の落ちて石になる」 に例えた方がよかったかもしれません。 それこそ二度と上ることはないのですから。
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| 参照、 「大鏡」 |
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東三条院(とうさんじょういん)址
(押小路釡座角の立札) 詮子は出家して東三条院と称した その後、邸は藤原道長に引き継がれた |
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