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時は平安中期、
藤原行成(ふじわらのゆきなり)がまだ昇殿も許されない身分の時のことです。 蔵人頭(くろうどのとう)である民部卿源俊賢(みなもとのとしかた)が 公卿に昇進することになったので、一条天皇は源俊賢に尋ねました。 「後任には誰が適当であろうか?」 俊賢は、「藤原行成こそ適任です」と答えました。 この当時は前蔵人頭の推挙によって、後任の蔵人頭が任ぜられていました。 「地下の者(まだ昇殿を許されない身分の者)は、どうであろうか?」 一条天皇がそう言ったので、俊賢は答えました。 「行成はまことに尊重すべき人物でございます。 地下(じげ)だからといって、ご遠慮するには及びません。 後々、何事につけても朝廷に対し、ご奉公するに十分な能力ある者でございます。 このような人物をお見分けなされないのは、世の中のためにもったいないことです。 天皇が善し悪しの道理をわきまえていらっしゃればこそ、 臣下も細心の注意を払ってお仕えするものです。 この際ご任用なされないのでしたら、まことに残念なことでありましょう。」 このような俊賢の強い推挙により、行成は一挙に蔵人頭に任ぜられたのでした。 自分こそが蔵人頭になるだろうと思っていた人が、 蔵人頭の任命が今夜と聞いて参内すると、行成と出会ったので尋ねました。 「どなたですか?」 「蔵人頭に任じていただきましたので、参内している次第です。」 行成がそう答えると、尋ねた人は思いもしなかったことに身動きもできず、 立ちすくんでしまうのでした。 その後も行成は昇進し従二位となり、位階は俊賢を超えましたが、 決して俊賢の上座には座りませんでした。 俊賢が出仕する日には、行成は病気の由を申し立てて欠勤し、 また一緒に出仕する日には、向かい合わせの席などに座りました。 行成は以前、俊賢が自分を蔵人頭に推挙奏請してくれたことを承知していたからです。 その後、俊賢が正二位に昇ったので、行成はもとのように自分の方が下の位階となり、 心遣いもいらなくなったということです。
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| 参照、 「大鏡」 |
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現在の京都御所 「紫宸殿」
場所はちがうが、平安京内裏の正殿である紫宸殿を模倣している |
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