雉(きじ)の生肉
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時は平安中期のことです。

関白藤原兼通(ふじわらのかねみち)は、卯酒(卯の刻頃に飲む酒)の肴に、

たった今、殺した雉(きじ)を食していました。

しかし、その時刻にいつも間に合わすのは難しいので、

宵のうちより生きた雉を用意していました。

高階業遠(たかしなのなりとお)が、まだ六位で兼通邸の家司として、

初めて使えた夜のことです。

業遠が御沓櫃(くつびつ)の辺りに座っていると、

櫃の中から物音が聞こえてくるのです。

業遠が、そっと櫃を開けてみると、雉の雄鶏がかがんでいたのです。

業遠は思いました。

「世間の噂は本当だったのだ。」

業遠は人の寝静まった頃に、その雉を櫃から取り出し懐へ入れて、

冷泉院の山に放してやりました。

雉は、ほろほろと飛び去っていきました。

業遠は思いました。

「雉を逃がしてやった気持ちは実に素晴らしい。私は善根を積んだ幸せ者なのだ。」

そして業遠は、後にこのことを人に話したそうです。

殺生は身分の高い方々皆が行うことですが、なんとも無益なことでありましょう。



藤原兼通 ふじわらのかねみち
925〜977
邸が堀河院であったため、堀川殿と呼ばれた


卯酒 ぼうしゅ
卯の刻、すなわち朝の6時頃に飲むお酒



参照、 「大鏡」


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