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時は平安中期のことです。
藤原伊周(ふじわらのこれちか)は参内した時、朔平門(さくへいもん)から入り、 西の方へ向かいました。 その時、ちょうど藤原道長(ふじわらのみちなが)も参内してきており、 梅壷の東の塀の外側の狭い所に、道長の下人が大勢いました。 伊周の供の者たちは、道長の下人たちを一方的に追い払いました。 道長の下人たちは行き場がなくなり、梅壷の塀の内へ入りました。 道長は、これはいったいどうしたことかと思いながら見ていました。 道長の供の者も、けしからんと思いながら見ていましたが、 伊周に遠慮して手出しできずにいました。 その時、道長のある随身の者が主人の名誉を守るため、 そ知らぬ顔をして、伊周の供の者たちを荒々しく梅壷から追い返しました。 伊周の供の者たちは、追い返されて梅壷から外へなだれ出てきました。 伊周は太っていたので、すぐに退くこともできず、 筋向いの登花殿の塀に押し付けられてしまいました。 伊周は「やや」と言いましたが、狭い所に雑人たちが多く追い払われてきたので、 退くにも退けず、大変な不体裁なことでした。 身分の低い雑人に、体を押され接触されるなどということは、 身分の高い貴族としてはあってはならないことだったのです。 このことは伊周の過失というわけではありませんが、 「伊周が派手な出歩きや振る舞いをしなければ、このように軽んじられまいに」 と人々は申したそうです。
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| 参照、 「大鏡」 |
| 内裏を模倣している京都御所 | |
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