嫉妬心
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時は平安中期のことです。

清涼殿の中にある「藤壺ふじつぼの上の御局」と 「弘徽殿こきでんの上の御局」とは、

隣り合う部屋にありました。

廊下
  北廂    
  藤壺上
御局
弘徽殿上
御局
   
 


ある日のことです。

藤壺の御局には、小一条の女御芳子ほうしが、

弘徽殿の御局には、帝(村上天皇)の后である安子あんしが、

同時に上っていました。

安子は、そのことが面白くなく、我慢なりませんでした。

そこで安子は、両御局を隔てている壁に穴を開け、向こうの部屋を覗きました。

すると向こうの部屋にいる芳子は、可愛く美しい容貌をしていました。

安子は思いました。

「なるほど、帝が夢中になるはずだ。」

安子は見ているうちに、ますます腹が立ってきました。

そして安子は、陶器のかけらを壁の穴から投げつけました。

その場には、ちょうど帝が居合わせました。

これには帝も我慢ならず、配下の者に命じました。

「このようなことは、女房はやるまい。

伊尹これまさ兼通かねみち兼家かねいえなどが、女房たちをけしかけてやらせたにちがいない。」

そして、清涼殿の殿上の間に伺候していた3人を謹慎させてしまいました。

安子は、この処置にいっそう腹を立て、使いを帝のもとへ寄こしました。

「私の局までお出でください下さいませ。」

帝は出向きませんでしたが、安子は何度も何度も使いを寄こしました。

「是非にも、お出で下さいませ。」

帝は、安子のことを恐ろしくも、また哀れにも感じて、

安子のいる局まで出向きました。

すぐに安子は、帝に訴えました。

「なぜこのような処置を命じたのですか!

例え大悪罪の罪があったとしても、3人は私に免じて赦すべきです。

まして私がした事に対しての処置だとしたら、あまりにも情けないことです。

今直ちに、3人をお召し還して下さい!」

強い口調で詰寄る安子に対して、帝が答えました。

「なんで今すぐ赦せようか。体裁の悪いことだ。」

しかし安子は強い口調で、帝を責め続けました。

「そんなことは許せません!」

ついに帝は折れました。

「わかった。」

そうとだけ言うと、帝は帰ろうとしました。

しかし、安子は帝を引きとめ、さらに言い続けました。

「お帰りになったならば、すぐには赦さないでしょう。

今ただちに、ここでお召し還し下さい!」

安子はそう言いながら、帝の袖を掴んで、帰らせません。

帝は、どうしようもないと諦め、3人に参上せよとの宣旨を下し、

謹慎を解いたのでした。



安子については、このような類の話が幾つも世間に伝わっているのです。


参照、 「大鏡」


清涼殿
現在の京都御所の「清涼殿」


藤原氏
師輔 師尹
長男・伊尹 長男・済時
二男・兼通 娘・芳子
三男・兼家  
娘・安子  


安 子 あんし
927〜964
藤原師輔の娘
東宮成明親王(村上天皇)の後宮に入り、親王が天皇に就いて後に女御となる。
第二皇子憲平親王(冷泉天皇)を産んで中宮となる。
第三皇子為平親王、第四皇子(円融天皇)、他にも多くを産む。
師輔、兼家、道長とつながる藤原氏の外戚政治繁栄の貢献者。




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