生きて問ふべき
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今は昔、藤原教通ふじわらののりみちは、小式部内侍こしきぶのないしを 愛していました。

しかしそのうち、逢うことも途絶えがちになってしまいました。

そんな時、教通は病気になり、しばらく床に臥せました。

体が回復して後、教通が上東門院(藤原彰子・教通の姉)を訪れた時、

小式部内侍が台盤所にいました。

「死んでしまうところだった。

なぜ、来てはくれなかったのか?」

教通はそう言うと、そのまま小式部内侍の前を通り過ぎて行こうとしました。

その時、小式部内侍は教通の直衣のうしの裾を引き止め、一首詠みました。

「死ぬばかりなげきにこそは歎かしき 生きて問ふべき身にしあらねば」

私は、死んでしまいたいほど歎いておりました。
どうせ生きている間に、あなたをお尋ねできるはずのない
身の上なれば、
という意味


小式部内侍は、瞬時に「生きて」を「行きて」に掛けて、

病気見舞いに行ける立場でない自分の心の歎きを詠んだのです。

この歌を聞いて、教通はどうしようもなく小式部内侍が愛しくなり、

小式部内侍を抱き、小式部の部屋で一夜を過ごしたのです。



参照、「宇治拾遺物語」
大二条殿に小式部内侍、歌詠みかけ奉る事


小式部内侍 こしきぶのないし
生年未詳〜1025
母の和泉式部とともに、上東門院(藤原彰子)に仕える
父は橘道貞
関白藤原教通の子を産む(静円僧正)
その後、藤原公成の子を産んだ直後、若くして没す


藤原教通 ふじわらののりみち
996〜1075
藤原道長の三男
関白、太政大臣など歴任


後拾遺和歌集  小式部内侍
死ぬばかり歎きにこそは歎かしき生きて問ふべき身にしあらねば


百人一首60番  小式部内侍
大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立


百人一首



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