無 悪 善
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今は昔、小野篁おののたかむらという人物がいました。

嵯峨天皇(786〜842)の時のことです。

「無悪善」と書かれた札が、何者かにより内裏に立てられました。

嵯峨天皇は、漢籍に優れている小野篁を早速呼び出しました。

嵯峨天皇が「これを読め」と言うので、篁は答えました。

「読むことは読みましょう。しかし畏れ多いことですので、

あえて申し上げますまい。」

それを聞いて天皇は言いました。

「かまわず申せ。」

しかたなく、篁は答えました。

「さがなくてよからん」

「すなわち、御君を呪い申しているのです。」

「悪」という文字は「さが」という読みがあるので、

篁は、「悪」は「嵯峨」を表していると考えたのです。

無悪善、すなわち、悪(嵯峨)無(なくて)善(よからん)

篁の答えを聞いた嵯峨天皇が言いました。

「お前以外に誰が書こうか。」

「それだから申し上げますまいと申したのです。」

篁がそう答えると、天皇は言いました。

「それでは何でも書いたものなら読めるというのだな。」

「何でもお読み申し上げます。」

篁は答えました。

すると天皇は「子」という文字を12書いて、「これを読め」と言いました。

子子子子子子子子子子子子

篁は、読みました。

「猫の子の子の子猫、獅子の子の子獅子」

この当時、「子」の読みは、音が「シ」、訓が「コ」と「ネ」だったのです。

子子(ネコ)ノ子(コ)ノ子子子(コネコ)子子(シシ)ノ子(コ)ノ子子子(コジシ)

これを聞いた嵯峨天皇は微笑み、篁は何のおとがめもなくすんだのでした。



参照、「宇治拾遺物語」
小野篁広才の事


小野篁 おののたかむら
802〜852
当時、漢籍では群を抜いて優れていたと言われている。
直情径行、反骨精神の強さから「野狂」と呼ばれた。
遣唐副使を拒み隠岐へ流されるも一年あまりで復帰、
その後、参議、左大弁など歴任。


紫宸殿
現在の京都御所 「紫宸殿」

内裏の中の正殿である紫宸殿
平安京の内裏を参照している

大内裏略図

小野篁の世界

百人一首

百人一首11番  参議篁
わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよあまの釣り船




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