八坂神社・・・牛頭天王(こずてんのう)伝説
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昔、天竺の北方に九相という国がありました。
 
九相国の王、牛頭天王(こずてんのう)は、竜王の娘を娶るため、
 
一族を連れて旅に出ました。
 
旅の途中、牛頭天王一行は巨旦将来(こたんしょうらい)という者の屋敷に
 
宿を請いました。
 
ところが貧欲な巨旦将来は、その頼みを断ります。
 
天王は、次に蘇民将来(そみんしょうらい)という者に宿を請います。
 
蘇民将来は、快く応じ歓待してくれたのでした。
 
その後、牛頭天王は旅を続け、目的である竜王の娘を娶ります。
 
旅の戻り道、天王は再びこの地を通り、蘇民将来の家に立ち寄って

こう言いました。
 
「私は、これから疫病神となって荒れ狂うであろう。
 
しかし、そなたの親切には報いたい。そなたの子孫のみは、
 
親切にしてくれた御礼に助けるであろう。」
 
そして、恨みを抱いている巨旦将来の屋敷へと向かいました。
 
巨旦将来は相師の占いにより、牛頭天王の襲撃を察知していました。
 
千人の僧に大般若経を購読させ、牛頭天王が館に入って来れないよう

結界を張っていたのです。
 
ところが、僧のひとりが眠気から、一字を読み間違えてしまいました。
 
牛頭天王はその隙を見逃さず、館に侵入すると巨旦将来の一族を
 
皆殺しにしてしまったのです。

そして、蘇民将来のもとに戻ってきて、こう言いました。

「あなたの子孫にこう伝えなさい。もし後世に疫病が流行ることあらば、

『私は蘇民将来の子孫である』と名乗って、茅の輪を腰に巻きなさい。

されば疫病から免れ得るであろう。」
 
その後、牛頭天王は疫病神として各地で怖れられ、
 
後世に言い伝えられるのです。
 
現在も各地で行われている茅の輪くぐりは、ここからきているのです。
 




時は移り、貞観11年(869)のこと。

京の都に疫病が流行し多数の死者がでました。

これはきっと、牛頭天王の祟りだという噂が都に広まりました。

そこで祗園の社に牛頭天王をまつり、疫病退散を祈願して鉾をたて、

祈願したのです。

これが現在の祇園祭の始まりとされています。
 



 
 牛頭天王
(こずてんのう)
  
インドの祇園精舎(北インドにその遺跡が残っている)の
守護神といわれている。
疫病よけの神様として日本全国の各地で祭られている。


 
八坂神社
   
八坂神社と呼ばれるようになったのは、明治以降である。
江戸時代までは、祗園社または祗園感神院と呼ばれていた。
京都人々は、現在でも祗園さんと呼んでいる。
現在の主祭神はスサノオの命ということになっている。
一般には、スサノオの命=牛頭天王と考えられている。
ただし、真偽のほどはわからない。



 
八坂神社
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