気まぐれ何でも館 (375) 照子集(最終回)
暑くなし寒くもなしと思ふ日の減(へ)りゆきて吾が齢(よはひ)ふけぬる
やはらかく土のほぐるる日あたりに鉄線の冬芽いくつ数ふる
夫の病いえしよろこびうかららと今日はおごれる昼食(ひるげ)かこめり
わが詠草にのこる先生の朱墨(しゅぼく)かなし妄批多罪茂吉山人と結びたまへり
いく度か家(いへ)かはりつつ移したる菩提樹なりし今日花咲きぬ
菩提樹の花さく見ればこれの実の数珠欲(ほ)りましし亡き母思ほゆ
光背の蓮のつぼみもほのぼのと女体(にょたい)におはす尼寺(にじ)のみ仏
飛火野にあたる冬の日あたたかに子鹿坐れりこちらを向きて
親しみて新薬師寺の御庭行くおぼえある井戸を覗きなどして
三月のあしたつめたき庭土に深山(みやま)のはなのかたくり咲けり
普賢桜はなのくれなゐ色濃きがうつむき咲けり八重のおもみに
東海寺の牡丹の種とふ黒く輝(て)る愛(かな)しき玉を数珠に通しぬ
霜とけて冬くさあをきみなみ庭叡山すみれかへり咲きせり
しづかなる思ひに今日も家ちかき桜づつみをともに歩めり
09.11.14 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (374) 照子集(12)
春めきて日光(ひかげ)のどかにさす縁に孫とゐならび空を見てをり
小雀の運びやしけむ芝草に松葉牡丹がまじりて咲きぬ
入日野の道のかへるさ孫が手に野菊もたしむ自(し)が母のため
このままに過ぎゆくものか病む顔をけさは鏡にうつし見てをり
病む顔を今日のいとまに揉みて見ついくらか癒ゆることもあるかと
小夜中の虫の音しげし眠られぬくせつのりゆくこの夜ごろかも
櫛目たち濡るるがに見ゆるありし日の君が黒髪おもほゆるかも
さり気なく語りまししわが友の深き心を知らざらめやも
妻ゆかせ愛娘(まなご)先立て遠国に病みこやります先生を思ふ
(足立註:先生=岡麓)
山かげの井の水汲みて君がめでし野あざみのはな手向けまつるも
厨べに立ちつつおもふ先生と友うしなひし年のいゆくを
09.11.7 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (373) 照子集(11)
敵機来襲しきりなるとき歯の痛み七日つづけて粥をすすれり
かぜひきてこやる小床に思ひをり春の日に蒔く畑のものなど
わが心なごみもやせむ土ふみて種まく春の日を恋ひ待たむ
みことのりかしこみおろす軍艦旗任務果たして大尉自決す
大洋(おほうみ)に帝国軍艦いまはなしかへり来ぬ子を母はうべなふ
一すぢの道を歩みていのちをば自らたちき若きいのちを
いささかの心たらひに七草の粥を炊かむとはこべらさがす
幼子負ひ雨の夕道かへり行きし吾娘のおもかげ夜半に思ほゆ
おのづから咲きそろひたる姫あやめ幾年(いくとせ)土に種はありけむ
姫あやめもとのままにて咲く見れば過ぎしたたかひ夢のごとしも
朝顔の蔓のびのびてとなりやの竹にまつはり花のさくかも
庭に向く障子あけたり築山のなだりにならぶどうだん紅葉
09.10.31 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (372) 照子集(10)
たのめども心をののく渡津海の海の戦はてしらなくに
朝(あした)咲き夕(ゆふべ)はしぼむはな芙蓉はかなきものの今宵身にしむ
野菊咲く頃とし思ふ兵もあらむみのり田に今日は秋の雨ふる
戦のさ中なれども春されば庭の山茱萸はな咲きにけり
ただ居ては済まぬ思ひに庭に出でて心はげまし草むしりすも
久々に今日いとまあり縁にさす日かげのびしを云ひつつ坐る
芙蓉さく縁に古綿ほぐしをり亡き吾が母のしたまひしごと
きぞの雨けさやみみにけり微風(そよかぜ)にこぼれてたまる銀木犀の花
秋の日のひなたの縁に吾子がをり軍刀とりて手入れあかなく
訪ね来し吾娘とゐならび見る庭の春めきにけり土のしめるに
さつまいも葉蔓ひろごるさ庭べに抜きのこしたる撫子の花
09.10.25 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (371) 照子集(9)
畑道のこる尾花に夕日さし見なれぬ小鳥下くぐりあそぶ
きぞ降りしはだれの庭に今日もまた曇るがままに馬酔木はな咲く
咲き揃ふこまかき花の姫あやめ吾が庭けさは花野の如し
花野なし庭もせに咲くひめあやめ折々風の渡りてゆれつ
縫ものの手もと暗きにやめて見る庭の桔梗の花に降る雨
撫子の花ゆれやまぬ風吹きて空雲もなし梅雨(つゆ)あけにけり
わが部屋の障子はづせば梅雨明けの風吹きとほす畳のうへを
この夏もこもり暮らさな庭草の花のゆふべは水をそそぎて
哨戒機のおとのみきこゆさ庭べの篁の上をながれゆく雲
夕日光(ゆふひかげ)のこるさ庭の片側にあかく目に立つみづひきの花
足の裏洗へどもおちぬ畑(はた)の土練馬に住みておちつきにけり
09.10.16 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (370) 照子集(8)
あたたかに日の背よりさす畑みち凧手に持ちて孫先に立つ
ひよどりの高鳴く声にうち仰ぐ槻の梢の空晴れて見ゆ
古き反古くりひろげをりかぜ癒えて冬日をこもる部屋のひなたに
御墓べの草むしりつつましまさばかにかくに思ふおもひむなしき
ひぐらしの鳴く声遠し厨べに今日も乏しき野菜洗へり
この空に敵機よせ来る日のありや動くとなしに遠き白雲
飯に炊く小豆もがもなわが生れし今日の一日を畑に遊ぶ
しめり持つ畑土くろし出来のよき早大根を見て歩むかも
たそがれを帰りて来れば厨べにあかりがつきてものきざむ音
山かげの庵の庭に雨やみぬ地に伏して咲く竜胆の花
さわがしき時世わすれて鎌倉の山路の落葉今日はふみゆく
09.10.10 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (369) 照子集(7)
いにしへの奈良の寺々御仏を語らふまでになりし吾が子や
何の根につきて来にけむ水引の伸び立つもとの小車(をぐるま)の花
秋の雨やまずふれれば田舎家のくらき太梁かびふきにけり
入口の腰高障子ほのじろし土間のかたすみこほろぎのなく
叱りしが吾が子愛(かな)しく思ひつつ野菊花さく道ゆきにけり
うす日照る庭に芙蓉の花咲けりしげみがもとに虫の声して
ありし日の母がしのばゆ茶の畑ここらなりけむ夕闇せまる
女手のなきこの家のたそがれに兄がすすめつあつき湯の茶を
云ひのこし出で行きまししいたはりの一言一日心はなれず
をりをりに草花の種集めしを秋のひなたの縁に干したり
田舎家の柱きよめて今朝すがし静かに匂ふ瓶の白菊
街道の夕闇せまるほのあかり店やのかどの山茶花のはな
09.9.30 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (368) 照子集(6)
男子(をのこご)のわが子の末をした思ひ暮れ行く川を見てゐたりけり
消えのこる雪に庭樹の影うつり雀さへづるこの朝けかも
春雨にうちしめりたる庭の面菊の若芽は伸び立ちにけり
さ庭べの馬酔木(あしび)の花に雨ふればこほしみ思ふ奈良の寺々
訪ひて来し吾娘とゐならび語りつつ椿の花を瓶にさしたり
ふりつぎし雨のをやみに青麦の畑をひくく燕よぎれり
孫を連れ来よと云ひやりたりしかど庭の山吹はな散り過ぎぬ
山吹のはな散る庭にこのゆふべ心しづかに草むしりつつ
うつし植ゑし樹々もことしはととのひて若葉の庭に胡蝶花(しゃが)のはな咲く
立樹々の静けき庭の夕闇にひらき初めたる月見草のはな
播磨野の野中ふるみち十年(ととせ)ぶり百日紅(ひゃくじつこう)さくみ墓べに来つ
遠き山倉の白壁ざくろの樹むかしのままに家のこりたり
09.9.24 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (367) 照子集(5)
わが庭に欲しき木草を思ふなり今朝いでて踏む土やはらかし
日あたりの縁の下土しめり持ち草萌え出でぬ二株ばかり
朝風にゆれあふ胡蝶花(しゃが)の花かげに雀のゑさを吾子はまきをり
つばくらめ来よと小板をのき下にうちて我家の家居ととのふ
梅雨ちかきゆふべ風なき曇り空海桐花(とべら)目だたぬ花をつけたり
待ちむかへまつる日あれと願へりしこの新家に君が訃を聞く
女郎花露おきおもる箱根路をしたがひ行きし時のこほしき
さへづれる庭の雀は茶の花の垣根くぐりて遊び居るらし
庭石におく霜しるきこのあした白玉つばき花咲きにけり
咲き出でし白玉つばきめづらしみ芯の黄色も見あかざりけり
09.9.20 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (366) 照子集(4)
人通りすくなき雨のやしき町しろき山茶花塀の上にさく
あら玉の年の始めや余念なく孫あそばせて独楽(こま)をまはすも
汝が母もかくてぞありし幼な孫わがかたはらに独楽もて遊ぶ
新しき家の図ひろげ冬の夜のあかりのもとにまとゐするかも
家々の前庭ひろし日あたりに筵がこひして煙草つくれり
くもり日は静かなるかも若葉さす庭に向ひて墨をすりをり
安らけき一日くれゆき庭の牡丹つぼみふくらむ雨となりにけり
降りつのる雨に暮れゆくさ庭べの垣に倒るる紫陽花のはな
欲をいはばかぎりはなしとあきらめむ吾が子思ひつつ道を歩めり
いささかの事いつ迄も気になれど竹にふる雨聞きて眠らむ
おのづから到らむ時のあるべしと気を取り直し墨すりはじめぬ
となりやの朝顔の花垣こえてこなたに咲けり髪を結ふ窓に
竜胆(りんだう)の咲く日もちかし障子しめて静かに座る秋となりにけり
至らざる吾が身ぞなげく眺め居る庭の白萩雨やまなくに
萩の花咲ける家居にむつみ住み身のさきはひを常に思はむ
思ひ出でて心和みぬ去年の旅奈良の御寺のしだれ桜を
09.9.12 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (365) 照子集(3)
山荘の朝しづかにもうち水に濡れたる石の苔のあをしも
東窓ひらきて見ればまむかひの明星ヶ嶽をかくすものなし
水かへて菜を洗ひつつ厨べになるがままにと事を思へり
わく雲に山はかくろひ遠くよりひびきを立てて雨はふりきぬ
朝なさな夏鶯のこゑきこゆ山に向ひて本をよみにけり
小雨ふる夏山道の葛の花茅(かや)のしげみにまつはり咲けり
崖下の湯の小屋てらす月あかりいづこともなく虫の声せり
手入れせぬ庭樹をぐらき下蔭に今をさかりの萩の花さく
あら草にまじりても咲く萩芙蓉秋の彼岸の日は照りつけぬ
山吹の花さくころの貴船路(きぶねぢ)をいゆきし春はかへりこぬかも
川添ひは古きかまへの家つづき垣の柊(ひひらぎ)はな咲きにけり
こやり居て一日(ひとひ)暮るるもさ庭べの八つ手の花に時雨かかれり
山茶花のはなのうす色踏み石のうへに散りたる庭の日あたり
09.9.9 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (364) 照子集(2)
暮れそめし古きみ堂のかたかげに静もりたてる石楠のはな
待ちまちし君をばむかへまゐらすと畳がへしてすがしむ吾は
父上を見出でたるやと問ひもしつまばたきもせず吾子はうなづく
つつがなく親子揃ひて七草の粥のあつきを吹きつつ笑ふ
門(かど)に立つ古木の梨の枝しげし雨ふりそそぐ夏となりにけり
すこやかに立ち働きてこよひまた池の蛙をききつつねむる
はろかなる東寺の塔も西山もさやかに見ゆる秋の空かな
花芙蓉はなのさかりは過ぎにけり君まさざりし日にぞよく見し
落葉かく手もと小暗くなりにけり呼べば遠くに吾子がこたふる
露にぬるるやま鷺草採りしかば心はずみて坂を下りぬ
こほしみし山の住居や暫くのひと日ひと日を惜しみ暮らさな
湖尻(うみじり)の秋草原にかぜ立ちて見えがくれするなでしこの花
09.8.29 抱拙庵にて。
気まぐれ何でも館 (363) 照子集(1)
和辻照子は倫理学者和辻哲郎氏(1889〜1960)夫人である。「和辻哲郎とともに」という著書を以前読んで、最近古書店からメールか冊子で送られて
きた目録を見て購入した。ネットで一番安いものを探すから、その古書店で買ったかどうかは分からない。昭和2年〜32年の間の歌を哲郎氏が集めて作ったらしい。
哲郎氏はその「序」に昭和24年に私どもは還暦の年になりましたが、そのとき夫人は第一歌集「夏草」を作りましたとある。要するにこの夫婦は同い年のようだ。
そんなことはどうでもいいことかもしれないが、ついでにこの本は非売品である。
國遠くおはすわが夫(せ)をした恋ひて髪ときさしつ小櫛手にして
たそがれはひとへの衣(きぬ)の肌寒し小さくなりし夕顔のはな
うす色の芙蓉の花はすぼまりて小雨になりぬこの夕庭は
年ゆかぬわが娘(こ)叱りてねむられず小夜ふけに聞くえんまこほろぎ
張りかへてあかるき窓に山茶花のかげきはやかにうつりたりけり
山峡に家居しせればまびさしをまろびて落つる樫の実の音
山茶花のはな散る土手の日だまりに小雀むれて何かあされる
恋しきにいささ小川の岸に来てはこべら摘めりその間忘れむ
君まさぬわが家(や)の庭も春なれや辛夷(こぶし)はな咲く今朝(けさ)うららかに
朝なさな鶯きなくわが家(いへ)の椿のはなはいまさかりなり
この朝け庭に来てなく鶯のこゑをききつつまた眠りたる
09.8.23 抱拙庵にて。