人生奥の院

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★07.8.24 真如苑について (2)
  
 真如苑は真言密教と大般涅槃経、真如霊能の3つがより合わさっている。真言密教の法脈を受け継ぎながら、現代の悩める人、向上しようとする人に、霊的方法で仏の慈悲と救いの手をさしのべ、向上の道を示す実践的で良い意味で現世利益的な教えである。入信のきっかけは、ほとんどが自分や家族の病気、家庭的あるいは会社での人間関係、子供の登校拒否や非行など、現代人の多くが持つ悩みである。
 真如苑HPを見ると、信者数50〜100万となっているが、実際はもっと多いとも言われる。また外国人の入信者も多い。特にキリスト教の人たちは、キリスト教を捨てずに入信しているケースが多い。真如苑では自分の宗教を改めなくても受け入れ(摂受)入信しても家族の昔からの宗教を大事にするように言う。
 キリスト教の懺悔のように何々をするな、というのではなく、接心でいただいた霊言をかみ砕いて、今の自分ができる範囲で実践するように教える。接心で心の中にあるものを見せてもらって、今から自分はこういう風にしようという積極的なイメージがわいてくるという。一神教では神は絶対的な存在であり、人間と神は別物である。信じる者が神によって救われる。仏教では信じて行うことによって覚者(仏)になることが究極の姿である。
 真如苑は在家で修行する教団であるので、自分たちの生活する社会がすなわち道場と考える。布教(おたすけ)も信者の教化も正攻法に徹しており、指導者的な人は厳しい霊的修行を修めないとなれないため、信者の増加に対し、指導者不足が教団の悩みといえる。信心の本旨は自己の究明によって人格完成をすると同時に、因縁(その人の運命に影響を与える過去の傾向性、霊的事情)切りのためである。
 ここで接心について触れておこう。苑内で霊能者と対座し、瞑想、問答、思惟しながら己の精神状況の向上を目指す瞑想行である。接心は 向上接心、向上相談接心、教化接心、相談接心、特別相談接心、鑑定接心 がある。
 霊的なことを重んじることについて述べておく。科学のみで全てを解決しようとするのは迷信、科学を否定する信仰も本当の信仰ではない。(信仰ばかりも迷信、科学ばかりも迷信)病気で言えば、医者に診てもらってきちんと治療を受けなさいと教えるが、医学的な治療だけでなく、病気の起こる因縁をみつめることが大事と教える。かといって霊的な世界にとらわれて、それを追究するよりも、自分の信じる宗教観をプラスして、人生の中に活かしていくことを教える。み教えを足許に現す、つまり大乗利他の行いを自分の周囲、家庭や社会で実践していくことである。
 教団は誇大宣伝はおろか、閉鎖的と言われるくらい宣伝しない。お金儲けみたいなことは関心がなく(ただ寄進は年間数十万円しているケースが多いらしい)、苦しんでいる人を一人一人救っていくことに徹している。教団の出している書物はほとんど手に入らない。社会貢献として、全国の公園やトイレの早朝清掃や、アンコールワットの修復事業やカンボジアの子供たちに文房具を送る運動など、金銭的にも人的にも幅広く行っている。
 真乗の長女と次女はゴタゴタの後、苑を脱退して後、創価学会に入信し、その頃から創価学会による攻撃が激化したと言われる。
  


★07.8.24 真如苑(しんにょえん)について (1)
  
 参考文献:「ルポタージュ真如苑」─その現代性と革新性をさぐる、ひろたみを、知人館、1990.
      「真如苑─祈りの世紀へ」、本多順子、原生林、2003.
      「燈火 念々」、伊藤真乗、真如苑刊、1975.
  
 1936年に真如苑は伊藤真乗(しんじょう)、友司(ともじ)夫妻が宗教一筋の生活に入ることを決意し、「まこと教団」を経て1951年に「真如苑」と改称し、真乗が教主、友司が苑主に就任した。現在の継承者は伊藤真聡(真乗の三女)である。
 真如苑と私の関わりは、5年以上前、当時姫路工大と言っていた処へ非常勤で数学を教えての帰りの新快速の隣に坐っている若者が素晴らしい道歌を読んでいるのを横からのぞき見したことに始まる。その本を買いたいのだが、と声をかけると、工大の学生さんで、実に丁寧に対応してくれたのだが、これは信者しか手に入れることは出来ないとのことであった。心に残る歌で、真如苑について知りたいと思ったが、それっきりになった。
 タンスにゴンの沢口靖子や高橋惠子が信者であることは知っている人も多いと思うが、かなりの芸能人、一流の芸術家や科学者が信者だそうである。ただし、本人が言う以外を除いて教団は沈黙している。
  
 真如苑は大般涅槃経(だいはつねはんきょう)を中心教典とする仏教系の新興宗教である。創立した教主は真言宗醍醐寺で大変な修行を完了して大阿闍梨となり、その後、台蜜と東蜜と異なる真如蜜を確立(密教公認)している。
 ここで大般涅槃経について解説しておくと、上座部系の原始教典に属するものと、大乗仏教系のものとがある。前者は釈迦の晩年から入滅、さらに入滅後の舎利の分配などが詳述されている。自分の死後は「法を依りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)、「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めよ」と諭したことが重要な点である。
 後者の大乗涅槃経の基本的教理は、
1.如来常住
2.一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
3.常楽我浄
4.一闡題成仏(いっせんだいじょうぶつ)
に要約される。
2.のすべての衆生はことごとく仏性を有するということは、近代の大乗仏教ににおいて人間以外の山川草木や動物などすべてに仏性がある(一切悉有仏性)と言われるようになった。
3.涅槃(迷いの火を吹き消した状態)は永遠、安楽、絶対、清浄であるということである。
4.一闡題とは大乗仏法を誹謗する者で、釈迦の教えでは仏になる可能性を持たないとされたが、それは方便説で可能性はあるとする。ただし可能性であるが。
 要するに、釈迦の衆生の機根に合わせて教えを説いた段階的説法の最終形といえる。
  


  

★06.12,16 金光教について(2) (出典:「神と人とを取り次いで」玉井光雄、春秋社)
  
 玉井光雄(1931〜)は当初画家を目指したが、1954年、岡山県早島町に教会を開いていた父の死去にともない、金光教教師となる。才崎教会三代教会長片岡次郎師に師事。1955年より早島教会にて取り次ぎに奉仕し、現在に至る。
 金光教は、教祖様(金光大神)以来の伝統で、人のところへ出向いて布教をするようなことはしない。寄進をお願いすることも禁じられている。じっと坐って、難儀を抱えた人が参ってくるのを待つ。そして、参ってきた人の悩みを聞き、神様にお取り次ぎするのが教師の役目である。取り次ぎは、神様自身がしておられ、取り次ぎ者は、神様と一緒に、神様と同じ働きを、神様と一緒にさせていただくのである。お供えは、お結界でお受けするが、どんな高価なものがお供えされても、何もされなくても、「お洗米」(洗い米を12粒、包み紙に納めたもの)が下げられるだけである。
 教祖様は「天地の間に住む人間はみな神の氏子。身の上に痛み病気があっては、家業できがたし。身の上安全を願い、家業出精(しゅっせい)、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え」という。「氏子身の上のこと何なりとも、実意をもって願え」という実意とは、「私はこういう心の姿をしています」という自分の心の姿そのままのことで、神様の前にさらけ出して、お願いするということなのである。
 教祖様はこうもいう。「鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、鍬(くわ)でもさいかけ(刃先のはがねを加えて焼き直してもらう)をしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのがさいかけじゃ」
 教祖様は「人間は天地の神様の分け御霊(みたま)である」という。分け御霊とは親株から出てくる新芽のようなものである。つまり我々は親である神様と同質の心をいただいている。その神様と同質の心が目覚めて、信神が始まる。神心の芽をいかに育てていくか、いかに親神様のお心に近づいていくようにするかが、信神のお道である。「信神というのは、神様のお心と自分の心を比べてみることじゃ」と教えられている。無論、悩みや苦しみ、難儀がなくなるわけではないが、その難儀の中を神様と一緒に通らせていただこうというとき、本当の元気が心の底からわいてくる。
 自分がおかげを受けると、人の難儀を見ると、思わず知らず「どうかあの人を助けてあげて下さい」と神様に願わずにはおれなくなる。これは神の心と本質的に同じ、思い切っていえば神になることなのである。神様は親であるから子の幸せを願っていると同時に、親である自分と同じように神になってほしい、天地の間に住むすべての人の幸せを願える子になってほしいと思っている。
 世界の真の平和は、あくまで一人ひとりの助かりから始まるものである。「一つずつ、一つずつ」である。
  


★06.12.13 金光教について(1) (出典:「金光大神の生涯」村上重良、講談社)
  
 金光教を開いた金光大神、つまり香取源七(後、赤沢文治)は1814年に岡山県の、当時としてはごくありふれた貧しい自小作農を営む農民の次男として生まれた。仕事熱心で、神仏に対する信仰が篤かった。42歳の厄年の折に、医師が「九死一生」と見放すような大病をし、神仏にすがって奇跡を待つことになった。その際に金神と触れ合うという、その後の生涯を決めた不可思議な経験をする。
 金神とは陰陽道で祀られる遊行神で、この神のいる方位は大凶方とされ、祟りをなす神として恐れられた。岡山県は金神信仰がきわめて盛んな地域であった。金光大神は後に金神を祟り神から、世界の親神、人間の救済神へと発展させ、真心からの神への信心によって神の助けが受けることが出来ると説いた。
 1859年(安政6年)金光大神は「取り次ぎに専念せよ」というお知らせが神から下り、農業をやめ、取り次ぎ(神前に坐り、氏子の願いを神に届け、神の願いを氏子に伝える役目)に専念することになった。この時を立教の日としている。余談ながら、艮(うしとら)の金神を世の立て替え、立て直しの神として説いて、大本教を創始した出口なおは、金光教の影響を受けている。
 金光大神の宗教は、封建社会には求めるべくもなかった人間本意、現世中心の新しい教義をすでにはっきりと指向していた。金光大神が信者たちに与えたものは、彼等が期待していたような日柄方位の禁忌でよろわれ、恐怖と神秘に満たされた祟り神の金神のことばではなく、今現に生きている人間の日々の生活こそが一切の判断と行動の基準であることを諭すことばであった。
 金光大神55歳の時、お知らせがあり、最終的に「生神(いきがみ)金光大神」という神号が定まった。「生神」とは、ここに神が生まれるという意味で、取り次ぎのはたらきのある所に神が生きている、神意を体現して行動する人間という意味で、肥え担ぎと自ら称していた金光大神という人間を神格化するものではないと思われる。
 明治に入って国家神道によって国民を教化しようという流れの中で、幕末・維新期の創唱(はじめて唱えられた)宗教である天理教などとともに、金光教も国家神道に従属を迫られ、教派神道として位置づけられていくことになった。
 金光教の神は「天地金乃神」である。天の神、地の神を統一的にとらえた一神教の最高神的なものと把握されている。「拝めい」とも「何をせよ」とも云わん、只一つ、「真(まこと)の信心をせよ」と云う、神である。神を拝むのでなく、今月今日、現に自分が生きているこの時点に立って、願い事を神に頼めという教義である。
 金光教は「取り次ぎの宗教」と呼ばれる。広前に坐って取り次ぎを願う信者に対し、自分が受けたおかげに即して、それぞれの人のその時の具体的な問題について「理解」をすることを基本としていいる。取り次ぐ者は、拝めと言うのではなく、お願いを届けてあげましょうと言うのである。「神様へはなんでも願えい。神は頼まれるのが役じゃからのう」とすら言うのである。
  


★05.6.29 人生の成功とは何か(3)
  
 成長の思想を特徴づけるのは、人生の困難と格闘することによって、人間として成長すること、そして人間として成長し続けていくことを人生の成功と考える思想である。仕事の困難を通じて人間を磨くともいえようか。我々が一生懸命仕事をするのは、人間を磨き成長していくためで、またそれが楽しいのである。
 この思想を抱くと、人生における困難の意味が逆転する。否定的な意味を持つと思われた苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失というものが、肯定的な意味を持つようになる。
 達成の思想においても、苦労や困難が大きければ大きい程達成の喜びも大きくなる。しかし、現実の人生において否定的な出来事は必ずやってきて、それを必ずしも乗り越えて目標を達成できるとは限らない。成長の思想では、そういうときそれを糧とすることができる思想である。人生における困難とは、我々が自らの可能性を拓いていくための、我々が成長していくための素晴らしい機会に他ならない。
 我々は人生において、大きな夢を描く。それは困難に挑戦できるからである。我々は自身の成長のために大きな夢を描き、その実現のために歩む。もちろん夢は多くの人のためになる夢を抱く。ただその夢を実現するために、様々な困難に遭遇し、多くの苦労を味わい、一人の人間として成長できたなら、それは最高の報酬であり、結局自身のためになっているのである。
 我々は「人類・自然との共生」という見果てぬ夢を持とう。それは叶わぬ夢ではない。自分を成長させ、人々と連帯することにより、人類が成長することができ、そしていつかこの世に天国が実現する夢である。
 勝者の思想には勝利する強さ、達成の思想には達成する強さが求められる。こうした強さを賞賛するメッセージの洪水の中で、多くの人々が表面的には熱意を持ちながらも、心の奥深くで敗北感と挫折感を味わっている。必ず勝利する、必ず達成するという強さではなく、必ず成長するという強さは誰でも持ちうる。諦めない限り、千里の道も一歩から、というように一日一歩、二歩下がっても三歩進む・・・とにかく一歩一歩進むことは出来るのである。諦めつつも、十日に一歩、一月に一歩でもいいのである。我々が自分自身の中にあるその強さに気が付いた時、何故か静かな勇気が湧いてくる。
 素晴らしい人物にならなくてもよいのである。一日生きたとき、一日分成長する、ということでよいのである。一日が充足しておればよいのである。無為に一日を過ごしてしまってもよいのである。やがて一歩進めばよいのである。一日を生き切る心構えを身につけることは大事である。単に生きるのではなく生き切る、つまり悔いが無いという思いが起こればよいのである。また悔いることがあってもよいのである。しかし、いつか悔いのない一日を生き切ることが出来るように、成長していけばよいのである。
 この世界は、生命力に満ちて、そこに在る。成長を求めて、そこに在る。光り輝いて、そこに在る。この自分もまた、生命力に満ちて、ここに在る。成長を求めて、ここに在る。光り輝いて、ここに在る。必ず終わりがやってくる、このいのち。過去世で不充分だったことをこの世で克服するために与えられた、このいのち。いつ終わりがやってくるか分からないいのち。このかけがえのないいのちを精一杯に生き切ろう。このかけがいのない一日一日を、精一杯に成長していこう。
 人生の旅の途上で巡り会う人々は、深い因縁を持ち、巡り会う景色も深い意味を持っている。この旅に出ることが出来、少しでも成長することが出来た時、私は深い感謝を抱く。この旅の最期の一瞬に、悔いることのない一生を過ごせたことを感謝するだろう。
  


★05.6.29 人生の成功とは何か(2)
  
 勝者の思想を抱いて歩むかぎり、「競争で勝者となれるのは一握りの人間だけである」「その競争に勝ったとしても、更なる競争に勝ち続けなければならない」「それらの競争で勝ち続けたとしても、本当の成功の喜びは得られない」という根本的な問題に直面する。そこで我々は勝敗に左右されない思想を求めるようになる。それが達成の思想である。人生において目標を達成することを人生の成功と考える思想である。
 勝者の思想とは、他の登山家との競争をしながら誰よりも早く頂きに辿り着くことを喜びとする思想、誰よりも高い山に登ることを喜びとする思想である。これに対し達成の思想とは、他の登山家との勝敗にこだわることなく、自分自身のベストを尽くして登り続け、その山の頂きに辿り着くことそのものを喜びとする思想、自分自身が登ろうと考えた山の頂に辿り着くことを人生の成功と考える思想である。
 達成の思想を心に抱くとき、我々は自分の貢献が高く評価されること以上に、その仕事が素晴らしい仕事になることに喜びを感じる。そのとき我々は、他のメンバーと力を合わせ、智恵を出し合い、励まし合い、その仕事が素晴らしい成果を挙げられるように努力を尽くす。その結果、仕事が成果を挙げるだけでなく、自分も含めて、その仕事に参加したメンバー全員が大きな喜びを得ることができる。
 優劣競争が競い=切磋琢磨になり、互いに刺激し合い、腕を磨く良いライバル関係になる。ビジネスの世界で増えてきた「ウイン・ウイン」「コンペティション(競争)からコラボレーション(協働)へ」という言葉も、新しいパラダイムを模索するものであろう。
 他人の目による評価を意識し、自分の力を誇示するのではなく、自分らしさの表現(自己実現)を大切にし、自分自身にとって本当に価値が感じられるもの、自分自身が自分らしいと感じられるものを探し、それを目標に定め、その達成のために努力するのである。
 自分が本当は何を求めているのかを深く考えない思考停止に陥ると、たとえば必要な額を超えてひたすらに財産を増やすことを目指したりする、物神崇拝となりがちである。達成の思想においては自分が人生において本当に求めているものは何かを深く考えることになる。それには自分の自分らしさとは何かを考えることにもなる。この場合の人生の成功は、必ず自己探求に向かうことになる。その行き着くところが「清貧」であっても「清冨」であっても、それは深い自己探求の結果、自然に身に付いてくる生き方なのである。
 勝者の思想が他者との戦いに向かう思想であるのに対し、達成の思想は自己との戦いに向かう思想である。我々が人生において精神のエネルギーを他者との戦いに向けて浪費するか、自己との戦いに向けて充填するかで精神の成熟に大きな違いが生まれてくる。確かに戦いの相手を自分自身に定めると、最も厳しい戦いが始まるが、精神的には最も迷いのない戦いに臨める。最も厳しい戦いという意味は、すべての問題を自分に原因があると引き受け、その解決のために自分がどう成長すれば良いか考えることになるからである。
 ただこの達成の思想にも限界がある。まず人生において夢を実現できる、目標を達成できるとは限らないということである。世の中には「夢は必ず実現できる」「目標は必ず達成できる」というメッセージが溢れている。これらのメッセージは、実際に夢を実現した人や目標を達成した人のサクセスストーリーであり、学ぶべきことは多いが、人生の現実は必ずしもその言葉通りにはならない。人生には「努力」「才能」「境遇」に加えて「運」というものがあるからである。不可抗力とも思える事故によって夢を実現できないことは人生の厳然たる事実として有り得る。
 それと人生は続くということ。どれほど成功の物語を積み重ねても、その後に人生は続く。残された人生において達成の喜びを抱き生き続けていくことはできない。
 また目標を達成すると、更に高い目標に駆り立てられる。大きな目標を掲げ、挑戦し続ける生き方は意欲的と賞賛されるが、常に欠乏感(これで良しとしない)があるから意欲が湧いてくるわけである。
 この欠乏感にどう処するか。人間の意欲には二つの種類がある。欠乏感から生まれてくる意欲と、感謝から生まれてくる意欲である。後者は自分は小さな儚い存在だという、むしろ欠乏感が生まれてくるような認識から生まれてくる意欲である。この世に生をうけ、かけがえのない命を与えられた。それだけで自分は恵まれた存在である。自分は祝福された存在である。だから、この命を大切に使いたい。この感謝からの意欲によって高い目標を抱く時、達成の思想を超え、その先にある成長の思想へと深化していく。
  


★05.6.29 人生の成功とは何か(1)
  
 田坂広志の同名の著書(PHP)に従って述べる。
 人生で成功しようとする人に三つの思想がある。その一つは勝者の思想である。人生を競争と考え、その競争において勝者となることを人生の成功と考える思想である。特に日本では物心がついたときから、心に刻みつけられる。受験競争は3歳位から始まっていると聞く。これは子供や、若い世代だけがこの思想の影響を受けているのではない。社会全体が競争社会に向かっている。国全体の構造改革の推進、社会への市場原理の導入、企業での競争原理の徹底。そうした大きな流れの中で、競争が社会を良くするという思想が世の中に広く浸透している。
 競争社会の人間観は、競争に駆り立てなければ一生懸命努力をしない、ということである。人間は、素晴らしい夢を心に抱いた時、一生懸命に努力するという人間観が見失われている。
 政府の政策は、国民が将来への夢を描けるものになっているか。企業の経営は、社員が未来への夢を抱けるものになっているか。残念ながら、世の中に溢れるのは「競争が社会を良くする」というメッセージだけであり、国民の生き甲斐、社員の働き甲斐を感じる希望に満ちたメッセージは聞こえてこない。「競争での勝者=人生の成功者」という発想は素朴さと分かりやすさゆえに多くの人が影響を受け、我々の心の奥深くに入り込んでいる。
 競争の中で個性は抑圧されてきた。たとえ自分自身の個性を見出して自分の成功を目指しても、その生き方を貫くことは難しい。マスコミに溢れるのは「いかにして勝ち組になるか」というメッセージである。金と地位と名声を得ることが勝ち組になるということである。そのために自分を商品と考え、商品価値を高めるためにキャリア・アップすることを目指している。
 しかし、この思想の限界は「勝ち組になれるのは、一握りの人間だけである」ということである。確かに高度経済成長の時代は全員の給料が上がり、全員が昇進するということが可能であった。しかし現在の低経済成長の時代には不可能である。
 確かに若手の世代には、この思想は魅力的に映る。彼らには、まだ競争社会の勝敗が決まっていないからである。年配の世代は、期待と幻想よりも幻滅と寂寥を感じざるを得ない。年配になっても熱い言葉で「勝者の思想」を語る人がいるが、要するに勝ち組の人である。
 勝ち組になれるのは一握りの人間ということ意外に、勝者になっても成功の喜びを感じることが出来ないという問題に直面する。果てしない競争をし続けることが求められるからである。もし勝者になっても、それはつかの間の喜びと安らぎが与えられるだけで、すぐに、更に厳しく果てしない競争へと駆り立てられる。つまり精神的な充足がやってくるよりも、精神の荒廃がやってくる可能性が高い。たとえば心のゆとりを失い、思いやりを失うことがある。また勝者の驕りが敗者になることへの不安から生まれてくる。競争社会は、人間同士を徹底的に競争させる社会であるため、人間同士の深い結びつきが生まれにくく、壊れやすい社会である。
 こうして「果てしない競争」「精神の荒廃」「人間関係の疎外」という三つの問題は、企業だけでなく競争原理を導入した社会において生まれてくる事態である。
  


★04.5.27 共生するために
  
@他のありのままを知り、根本においてそれを認めること。まず根本的に悪人と思われる場合は適当に相手をし、余りかかずらわないこと。間違っても善人にしてやろうという気を起こさないこと。それが悪人との共生である。見かけは悪人風であるが根は善人と思える場合、折に触れて心から話し合うこと。宗教や主義が違う場合は、相手を自分のものと同じようにしようとせず、どうやれば共生できるかという視点から付き合い共生していくこと。相手と自分の宗教や主義が異なっていて、共に間違ったものでない場合(そういうことは大いにあり得る)自分の考えを押しつけようとしなければ、必ず個人的なレベルでは共生はできる。そしてお互いに学び合うことが大事である。組織として互いに批判し合っているような場合、その解決はエリートに委ねるしかない。時節が到来すれば必ずエリート同士で組織的な共生が可能となる。それまでは個人的レベルにとどめておくとよい。エリートは常にそういう風に話を展開できるよう、自分を磨く義務を負っている。
 相手が明らかに間違った宗教、主義に立っている場合、その人が悪人と思われるならほおっておくことである。根が善人と思われる場合、折に触れてお互いの宗教、主義の異なっている点について話し合い、何故異なっているのか、その考えを推し進めていったら皆が共生する支障にならないか、話し合うこと。決して洗脳しようとしたり、自分の考えを押しつけたりしないこと。相手または自分が自然に納得するまで、ゆっくり話し合うこと。
  
A人間同士の共生が@で最初は少しずつ、最後は一気に可能となると思われるが、基本的に問題なのは、環境問題である。人間、自然、ありとあらゆるものの共生を実現することが、人間に課せられた使命である。しかし人間同士の共生が実現していく過程で、人間は相当賢くなっているはずであり、環境問題もかなり解決していないと人間同士の共生は実現しない。また人間同士の共生ができないと環境問題も解決できないという関係にある。当面人間が共生する目的は、環境問題を解決して人間を含む自然がより美しくなることと考えてよいだろう。共生の実現には、善人による利他行が必要となる。しかし共生が実現した暁には「行」というものではなく、自然に振る舞うことによって、共生が維持、推進されていくと思われる。
  


★04.5.18 共生はいかにして実現できるか(出典:世界を考える 京都座会からの発言、PHP研究所編、所収)
  
 この本の最初の発言である松下幸之助の言葉を参考にして考えてみよう。まず世界に共生社会が実現するには、新しい秩序が構築されなければならない。共生社会は秩序社会であるからだ。その秩序は世界の人間が、お互いをあるがままに認め合い、互いに学ぶべきは学び、破壊されつつある地球環境の修復に一致協力していくことによって保たれ、しっかりしたものになっていく。従って、今現在のように人種民族間、宗教間で反目し、地球環境を破壊している人間の考え方を根本的に考え直さなければならない。
 まず人間の使命は一体どういうものか?目標はこの世の中の人皆が、それぞれのやり方で物心ともに豊かで幸せな生活をすることが出来、お互いに学び合いながら向上していくことにあるのではないだろうか。ところが今までは紆余曲折しながら長期的に見れば良くなった面もあるが、悪くなった面も多い。つまり目標が実現出来ているとはとても言えない。そのためには、各人が自分を磨くことだけでなく、世界の人が皆、上に挙げた目標を実現するために行動するという「利他行」を行うことが必要で、それが人間の使命と言えるのではないか。利他行を行うことによって、更に自分は磨かれ心豊かになるのである。
 考えてみれば、様々な人種民族が様々な文化、宗教を持っていることは、極めて好ましい、素晴らしいことなのだ。皆が同じだったらつまらないのであって、雑木林の春の新芽の萌え出る時期と、秋の色とりどりの紅葉の時期の美しさにたとえることが出来る。だから間違っても一色にしてしまおうとしてはならないのである。あるがままを認め合いながら、互いに学び合い、それぞれがより美しく素晴らしいものにしていく世界が実現するために、人種民族、文化宗教に初めから多様性があったのである。もし一色であったなら、世の中は発展せず退屈なものになる。先に言った目標を実現するために、初めから色とりどりに初期設定されているのである。このことを自覚し、目標に向かって邁進しよう。決してあせることなく。
  


★04.5.3 生きること、考えること(出典:池田晶子「あたりまえのことばかり」トランスビュー)
  
 標記の本の一部を参考にして、人生の奥の院に至る道程である「生きること、考えること」について考えてみよう。
 人間は生きて死ぬ。死ぬまで生きている。それなら楽しく心豊かに生きたいものだ。そのためには魂の世話を先ずすることである。教育も知恵を磨き、各々の魂をそれ自身の世話へと振り向けていくことを目的としなければならない。ところで魂とは何かというと、人は精神と肉体から成るが、その両者、特に精神の作用を司るものとして魂というものがあり、生命の存続を保ち、魂のあり方はその人の人生を決定する・・・そういうものである。
 人生とは生まれて生きて死ぬことである。この世界にどういう訳か気がつくと自分が生まれてきていて、ここにいて、人生について考えたりしている。つまり生きて死ぬとはどういうことか、あるいはどう生きて死にたいかなど。更にこの不可解な大宇宙における人類の意味と位置は何かと思いをめぐらす。魂のことは、感じ、考え始めるときりがなく、奥がどこまであるか分からないような不思議なものである。
 生命とか宇宙とかは神がそういう風に創造したというのでは納得出来ない人たち(神が創造したかどうかは信じるにしても信じないにしても)が、ここにある生命とか宇宙とかの不思議の一端を解明しようとした。それが科学的精神である。我々が科学を持ったのは、この不思議を知りたかったからである。ところがそういう純粋な認識欲から離れていって、科学技術は便利だからというのでどんどん開発を進めていき、ついには科学的方法によって全てが分かると思い始め、謙虚さを失った。これは科学の担い手が身分としての、あるいは精神の貴族から大衆化していったことも関係していると私は考えている。
 デカルトは物心二元論、つまり物質と精神は別々だ、だから別々に研究すべきであると主張した。ところがハイゼンベルグの不確定性原理が発見され、量子つまり物質を観測しようとすると(精神)、観測者が量子に影響を与えて、量子の位置と運動量を両方同時に決定することが出来ないことが分かった。精神と物質はそのように不思議なものである。科学も宗教も宇宙や生命の不思議を認識する一つの方法に過ぎない。別の言い方をすると、いくつかの方法があり得、認識する切り口はいくつもあり得るということである。科学者も宗教者もこの自覚を常に持っているべきである。簡単に言うと、宗教は直感的に信じるという方法で、科学は論理的に実証するという方法である。別な言い方をすると、宗教の信仰は知性を放棄すること、科学というのは逆に知性を駆使することである。分析してそれを組み立て直して総合する知性が科学的知性である。
 哲学は理性を使う。理性とは、そのことがどういうことであるかを知ろうとする働きのことで、事柄をその本質において知ろうとすることである。人生如何に生きるべきかと問う以前に、その生きているとはどういうことかを問題とする。いくら考えても先があることをきちんと考え続けていく。そうすると悩まなくなる。そういう自覚的に生きる人が増えていくと、社会は必ず変わる。宗教的信仰において不思議を信じることによって解決したことは別にかまわないのだが、不思議をいつしか忘却していったことをもう一度思い出すことと、何でも分かると思いこんでいる浅薄な科学技術万能主義を反省することに哲学は寄与することが可能である。
 人が自分を自分と思っているその自分というのはそれほど明確なものでないらしい。自分と宇宙、自分と他人というのはうまく分けられない、境目があいまいなものである。そして万物は流転しているらしい。この絶対的不可解さに気がつくと、人はおのずから倫理的になる。分からないということを忘れて、何でも分かった気になるから人は横暴、傲慢になる。分からなさを前にしたときの謙虚さということ以外に、我々の倫理性というものは発生し得ないとすら言える。個人と全体、自分と他人とはどうもうまく分けられないということに気づくと、宇宙的な視野から自分を見ることになり、争いは起こらない。個人の人生においても、その魂の不思議さをより自覚していく過程が、この人生を生きるということなのだということが分かってくる。この絶対不可解の自覚がおそらく人生の意味である。考えることによって固定観念から一つ一つ自由になっていく。今は大変な時代になっているが、だからこそ人はじっくり考える必要がある、ということが分かるであろう。
  


★04.4.13 なぜキリスト教は日本に根づかなかたか(出典:山折哲雄「宗教の力」PHP新書)
  
この問題は長い間、私には分からなかった問題だ。お隣の韓国人の大半が韓国的キリスト教に帰依しているのにである。日本人のキリスト教徒はあらゆる宗派をあわせても1%程度である。これは文明国では例外的で、カソリックなども理由が分からないらしく、かなりのミッション費用を投入していたと聞く。
 山折はこの問題について3つの観点から考える。
@政治・社会システムの圧力。ザビエルによって伝えられたキリスト教は16C半ば〜17C初めに十万人のキリシタンが出現したという。当時の人口は三千万人以下であろうから、短期間にかなりの勢いで浸透したといえる。しかしやがてキリシタン禁制の時代となり、宗門改めに続き寺壇関係が確立するに及んで、キリスト教伝播の息の根は止められた。そして仏教は神道との習合化を進め、江戸時代には死者は仏式によって葬られ、寺壇関係のもとに国民宗教化していった。
 神道は集団としての地域社会に密着して発展した。つまり地域社会に住む人々の共通の氏神であり祖先神であった。この関係は近代以後の日本社会においても基本的に変化することがなく、キリスト教はその勢力を伸ばせなかった。
A日本人の山岳信仰(山は死者の魂が昇る霊地であり、天上の神が天降る聖地であり、それ自体が神体山として崇拝の対象とされる異界であった。)に対し仏教は西方十万億土にある浄土を山中浄土観によってすりかえた。また古代の日本人は死後の霊魂の行方に関心はあったが、遺骸や遺骨には注意を向けなかった。ところが10〜11世紀の時期に、浄土教の影響で、天皇・貴族の遺骨を寺院に祀ることが始められ、その遺骨の一部を高野山に納めるという習慣が一般にも広がっていった。このことによって、仏教は土着化していった。ところが明治以降のキリスト教は、そういうことの重要性を認識することはなかった。
B日本の宗教の根幹である祖先崇拝に対し、仏教は受け入れて土着化し、キリスト教は日本人におけるそれの重要性を見誤り、土着化に失敗した。
 以上@ABの理由によってキリスト教は日本に根付かなかったが、今後も多分そうであろう。各宗派が、信者を増やそうとするのは使命みたいなものかもしれないが、もうここらでそういう考えは捨てて、各宗派がどうやったら世界的規模で共生していくことができるか、お互いに自分の信じる神が唯一絶対という考えは心の片隅においておいて、互いに学びあう必要があるのではないか。もう宗派分布図は飽和状態なんだし、国際問題の原因に宗派が共生できてないことが多くあるのであるから。世界の宗教が共生して皆で環境問題に取り組めたらどんなに素晴らしいことであろう。
  


★04.4.8 現代日本人の宗教心(出典:山折哲雄「宗教の力」PHP新書)
  
@日本人は元々無自覚的ではあるが、素晴らしい宗教心を持っていた。それは日本人の自然観と深く結びついている。
 西ヨーロッパには地震、台風が無く、洪水も少なく自然は安定している。従って西ヨーロッパの人は、自然を客観的に観察してその変化を予測したり分析し、自然を開発することができた。それが自然征服の思想を生んだ。これはキリスト教の「人間は地球の管理を神から任されている」という考えより一歩(悪い方向へ?)踏み出した考えである。
 それに反し、日本は地震、台風がよく起こり、洪水が多く自然は不安定である。自然が一度暴れ出すと、どうすることも出来ない。自然に比べると、人間は小さな存在でしかない。だからこそ常日頃から自然の脅威に対処し(植林・治水など)畏敬の念というか、天然自然の無常観を持っていた。おそらく縄文時代からずっと自然の中に神の声を聞き、自然の中に神が宿っていると感じてきた。大自然を神とする人が今でも多いのはそういう理由である。神道には教義といったものは基本的に無いが、それも上記の神意識に基づいている。
A仏教の伝来で、日本人の心に深い影響を与えたのが人生の無常観であり、日本人の天然自然の無常観とぴったり重なった。
 宗教をつきつめると、祈りというものに帰するが、日本人の宗教心は天然自然とその中に生かされている人生の無常観に基づく悲しみをともなう祈りである。一般のフツーの日本人の心の底に横たわっているのは、ゆるやかで穏やかな、おっとりとした宗教心で、宗派とか教義とか修行とか、そういうものにあまり重きを置かないものである。
Bところで日本人は自分の信じる宗教は何か、と外国人に聞かれると、無宗教と言ったりするのは何故だろうか。日本人の伝統的な宗教心が上のような独特のものであることに加えて、明治以降に取り入れた西洋文明と切っても切れないキリスト教的な考え方──1つの宗教を主体的に選び取るという「あれかこれか」の二者択一的な一神教的な信仰のあり方──が宗教であると考えるようになり、伝統的に仏と大自然なる神を「あれもこれも」という対し方で同時に信仰している日本人は、そういう意味では一神教的に尋ねられると、無宗教と言うしかないということである。なにせ、七・五・三は神社で、結婚式は教会で、葬式は仏式でやったりするのであるから。
Cそれと、現代日本人の中には宗教嫌いのお墓好き、信仰嫌いの遺骨好き、心の修練嫌いの霊おろし好きという、宗教の世俗化にともなう似非宗教心を持つ人と、30〜40歳代の人の本当の無神論層が目立つようになってきた。
 それは歴史的背景がある。まず織田信長が(イ)比叡山を焼き討ちにして伝統的なエリート的宗教の権威を地上に引きずりおろし、ほとんど息の根を止めた、(ロ)一向一揆の民衆の宗教的エネルギーを一つ一つ潰していって、最後に石山本願寺に結集した一揆勢力を陥落に追い込んだ、ということをやり、日本の社会は宗教的権威を認めない世俗社会になった。続いて徳川時代に今日まで続いている檀家制度が出来て、世俗化は決定的になった。
 無神論層は、宗教については学校では通り一遍のことしか教わらなかったから分からない、という戦後教育の結果に基づく。それと阪神大震災で高く評価されたのは宗教者ではなく、現場で汗を流していたボランティアであり、カウンセラーや精神科医達であった。心の救済を使命とするはずの宗教者は、その領域では為すすべがなかったことを考えると、宗教者にも通り一遍の宗教心しかなく、単なる宗派経営者に成り下がっていたことが暴露されたということもあるのであろう。
D私の人類二等分説から言うと、善人は宗派にこだわらない日本的宗教心を持っているか、そういうものをベースにしながらも何らかの機縁で一宗派を選択しているか、宗教臭は全くないが宗教の究極の目的である利他行を黙々とやっているかである。悪人は宗教嫌いのお墓好き、信仰嫌いの遺骨好き、心の修練嫌いの霊おろしや占い好きか、宗教的情操に欠ける無神論者なのであろう。
  


★04.4.2 宮沢賢治について(出典:山折哲雄「宗教の力」PHP新書)
  
 日本人は、というか大概の国の人はそうであろうが、宗教的に過激な行動をする人を必ずしも受け入れない。預言者は故郷では受け入れられないと言うように、身近な人に対しては特にそうである。
 宮沢賢治(1896〜1933)は今でこそエライ人ということになっているが、彼は体が丈夫でないのに花巻という厳しい寒さの地で、日蓮宗の信者として雪の日も薄着でお題目を唱えて歩く寒行をやっていたそうで、土地の人々は「き○が○賢治」とあざけっていたという。延暦寺の千日回峰行のようにシステム化された荒行をする人は、生き仏のように尊敬されるのであるが。外国の例でいえば、アッシジのフランチェスコ(1181,2〜1226)のような人は、一般の人のみならず彼の属する既成教団からも胡散臭いものと見られたようである。私は一種の正義に対する嫉妬じゃないか、と思っている。
 賢治の晩年に使っていた「黒い手帳」に記されて有名な「雨ニモマケズ」の詩の最後の方に「デクノボウになりたい」という趣旨の言葉が記されているが、最近の研究によると、このデクノボーは斉藤宗次郎という実在したキリスト教徒がモデルになっているのではないか、と言われている。
 斉藤という人は、やはり花巻の人で、曹洞宗の寺に生まれ、師範学校を出て小学校の教師になった人で、ちょうどその頃、無教会主義のキリスト教で後に近代思想史に大きな足跡を残した内村鑑三(1861〜1930)の文章を読んで大きな影響を受け熱烈なファンになった。内村は非戦の思想を説いて日露戦争反対の立場を取っていた関係で、斉藤はその小学校で非戦の思想を教え始める。やがて当然のごとく小学校をクビになって、牛乳配達、次に新聞配達をするようになり、これが次の天職となった。新聞を届けながらキリスト教の宣教活動をやり、10メートル歩いては祈り、10メートル歩いては感謝しながら、一日40キロの道を配達して歩いたという。そのうち賢治と知り合うようになり、新聞配達後賢治が勤める花巻農学校に立ち寄って色んなことを話し合ったことが、戦後、斉藤の没後に彼の詳細な日記が出てきて分かった。
 斉藤は新聞配達の途次、子供にはあめ玉を、病気の人には枕頭で慰めの言葉をかけていたそうで、まさに「東ニ病気ノコドモアレバ / 行ッテ看病シテヤリ / 西ニツカレタ母アレバ / 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ・・・」という生活を地でやっていたわけである。そういうことから賢治は過激な宗教活動をやっている半面、宗教とか宗派を乗り越えていくような所があり、そういう自由な精神の運動の中から、彼の童話の世界が紡ぎ出されていった。中でもキリスト教の影響が色濃くにじみ出ているのが、名作「銀河鉄道の夜」であろう。
  


★03.6.4 麻原彰晃「生死を超える」について
  
 この本を読んだ吉本隆明が麻原を高く評価したことは、有名な話である。もちろんオーム事件が起きる以前のことである。私はなぜ吉本隆明がひっかかったのか興味があったので、長い間この本を探していた。オーム関係の書店に行けばあるのであろうが、普通の本屋で注文しても駄目であった。通常の出版ルートにはのっていないらしい。最近ふっと気が付いて日本の古本屋でサーチすると、あった!それも一冊だけ!定価の2倍位の値段が付いていたが早速注文した。そして読んでみると、吉本隆明が高く評価した理由がわかった。麻原はヨーガでは、どうも修行をいきつくところまで(解脱)いっているようなのである。私は若い頃、独りで近くの山や川のほとりで座禅をしたときがあって、彼が書いている神秘体験には思い当たる節が随所にある。ではなぜあんなことになったのか。一般論からいうと、解脱をした、悟りを開いたと言ってもそれで修行はもう終わりと言うわけではなく、それからが大変なのである。その本(改訂版)には弟子達の体験談が色々書いてあって、彼らの解脱した日付が書いてある。ヨーガの行者としてはそうなのであろう。しかし麻原や弟子達に共通するのは、超能力的なものに対する開発に熱心だが、それを衆生のために使うという菩提心が稀薄である。もちろんヨーガは普通の意味の宗教ではない。だから大乗仏教とは別物で、小乗仏教とは考え方に近いものがある程度である。解脱しても禅では悟後の修行が大切だというように、衆生救済に身を粉にして働きながら、悟りをすりつぶしていく必要があるのである。悟り臭さを消してしまうというかねぇー。まあ実際はそこまではいかず?弟子の多くは決まった年数の修行を終えると親の寺に戻る(本当は禅ではおかしなことなのであるが)か、末寺を任されていく。
 麻原の場合は弟子を支部に派遣したり、××大臣などを担当させたりしている。彼らは麻原のロボットとして、そこで信者を新たに獲得して修行させることが、強いて言えば彼らなりの衆生救済ということであったのであろう。しかし宗教法人として組織が大きくなっていくと、組織を更に大きくすることが目指されるのは、組織の持つ宿命みたいなものである。そこで無教会というキリスト教の一派もあるわけである。麻原はエリートの弟子を育てる塾のようなものにとどめておけばよかったように思う。大体ヨーガの解脱など、普通の人には出来ないと思う(これをいっちゃー駄目なのだが)から、一般の超能力にあこがれている人を集めてもしょうがないわけなのだ。格好の金づるになったみたいだが。禅でも指導者の養成という目的に徹している。その指導者が衆生救済をになう仕組みである。
   これからは新しい宗教を起こしたり、自宗の信者を増やすことに熱心になるのは程々にすべきではないのか。一元論的宗旨はキリスト教(特にプロテスタント)とイスラム教で世界の2/3を占めている。日本人は二元論的、多元論的(多神論)な考えを世界に発信していくのが使命なのではないか。一元論(北朝鮮みたいなのもそう)が世界各地で起こっている火種の元凶なのだから。
  


★03.4.30 山崎弁栄について
  
 山崎弁栄(べんねい、1859〜1920)は浄土系の自力的な傾向の強い念仏者で、光明主義を主唱した天才仏教者であるが、普通の仏教大事典とか、百科事典とか、人名事典には出ていない。インターネットで調べると「真生同盟」という光明主義の流れを汲む一派のHPの中にあらましが出ている。
 千葉県に熱心な念仏者である父母のもとに生まれた。すごい修行をして、20歳台で基本的な思想を形成している。超能力がそなわり、米粒やゴマ粒に南無阿弥陀仏や般若心経、歌などを書いたことや、シラミや蚊なども殺さないよう注意していたことなどは有名である。法話を聞きに来た人のおみやげに、米粒を握って一粒一粒ひょいひょいと細字を書いていたということである。(現在でもそういう米粒は残っていて、時々展示会があるらしく、私の母方の祖父が感心していた。彼は浄土真宗大谷派(東本願寺系)のエライ坊さんであった。)
 弁栄は光明主義はすべての宗教にまさるものとし、阿弥陀仏を唯一の大御親(オオミオヤ)とし、諸仏の一仏としての阿弥陀仏ではなく、諸仏の根本仏であり、いわば宇宙の大生命であるととらえる。このオオミオヤの知恵と慈悲の光明のなかで生きていくことが光明生活で、そのために念仏三昧がすすめられ、三昧発得(三昧にひたることによって真理を体得すること)が求められた。光明主義がまだ萌芽的な組織の段階にあったときに、弁栄は61歳の生涯を閉じる。最後の言葉は「如来はいつもましますけれども衆生は知らない。それを知らせにきたのが弁栄である。」というものである。
 ところで弁栄の著書はいくつか持っているが、彼には体系的に完璧に述べようという指向があるらしい。まぁすべての宗教にまさる等と言うと、きばらざるを得ないのでしょうかね。そういうものは概して面白くないのであるが、彼の著作も私には面白くない。ところが彼のことを書いた「日本の光(弁栄上人伝)」は面白い。この本は現在は非売品というか、光明主義の人にのみ頒布しているのではないかと思う。
 私がどうやってそれを手に入れたかというと、神田の東陽堂(仏教関係専門の古書店)に入って在庫を尋ねると、品のいい店主がさっと指さした一箇所に弁栄関係の本が数冊並んでおり、その中にあったのである。店主によると、岡潔(1901〜78, 世界の数学者が独創的と認める数学者。人生奥の別院に「ゆかいすぎる数学者」として登場している。)の随筆集を卒業した人が、時々弁栄の本を探しに来るらしい。(図星!?)
 岡潔は死なばもろともと言っていた戦時中の人が、戦後食糧などの取り合いをするのを見て、生きるに生きられず死ぬに死ねない気持ちになって光明主義に入ったという。宗教はある、ないの問題ではなく、いる、いらないの問題だと思うとも書いている。最近出版された「天上の歌─岡潔の生涯」帯金充利、新泉社、では1946年6月、光明主義の世界に入ったとある。終戦直後、岡は、戦争中を生き抜くためには理性だけで十分だったが、戦後を生き抜くためにはどうしても宗教が必要だ、というせっぱつまった状況に追い込まれていたそうで、そんな岡に「光明主義」を勧めたのは奥さんの姉であった。そして弁栄の教えを学ぶうちに光明主義に帰依するようになったらしい。(私など理性だけで生き抜くなんてとてもできない意気地なしで、近頃ようやく自分の中の宗教も空気みたなものになってきたのだが。)
 ところで東陽堂で手に入れた「日本の光」であるが、周南文庫と蔵書印があり、赤線など書き込みが随所にあり、昭和三七年八月一九日読了とある。岡潔の最初の随筆「春宵十話」が本になったのが、昭和三八年二月十日で、それより以前に毎日新聞に連載していて、そこに光明主義のことがでているので、それを見てこの本を買ったのではないか。いずれにしてもその人はインテリで、丁寧に読んでいるが一回読んだだけだと思う。
 その本は昭和十一年七月二十一日発行となっており、箱入り、クロス綴じのかなりしっかりした製本がされているが、とにかくボロボロなのである。多分最初の購入者が熱心な信者で、繰り返し繰り返し読んでボロボロにしたと思われる。私はさーっと読んで、あーそういうことか、でおしまいなのだが世の中にはエライ人もいるもんだと思う。岡潔の高弟で光明主義に帰依している藤田収氏にその話をすると、にこにこしながら「その本は値打ちがあるんじゃぁないですか」と言っておられた。お宝鑑定団にでも出そうかしらん。
  


★03.4.10 キリスト教「異端」について
  
 C.S.クリフトン「異端事典」(三交社)を元にして考えてみよう。異端者とは地動説を主張したガリレイや、無限宇宙論を主張して火あぶりになったブルーノのように、時代に先んじていた者であるという思い込みは必ずしも正しくない。確かに「宗教は椰子の樹のように、頂上で繁茂する。枯れて落ちていく葉はすべて正統派であり、新しい葉はすべて異端者である」という見方はある一面をとらえてはいる。
 だが初期の女性異端者は、男性の教会聖職位階制度の外に霊的権威を置いたゆえに排斥されたし、一世紀のグノーシス主義者(簡単にいうと霊的真実の個人的理解を尊重し、彼ら独自の啓示や教説や預言の書を作成した一派)は教会より個人の霊的経験を重視する、教会には不都合な故に異端者とされた。しかし彼らを今日の目から見ると、富裕でひとりよがりな教会に対する改革者であり、その意味では敵対者であると考えられる。さらにかの妖術裁判では、農村の女性治療師に対する都市男性職業医による弾圧であり、財産没収による多額の金銭の獲得が目当てであった。つまり結局頂上で繁茂することはなく、切り捨てられた新しい葉であり、また椰子の樹の隣の、別の木がとばっちりを受けたということもあったのである。こうした時代以降、信教の自由という考え方がいくつかの地域で受け入れられるようになり、国教分離の社会が構築されていく種子とはなったのであるが。
 世界のおもな宗教のなかで、キリスト教とイスラム教だけがかなりの規模で異端者と戦いを繰り広げてきた。たとえば仏教ではどんどん分派してゆき、みな仏教と称している。大乗仏教では、釈迦だけでなくその後の覚者の著作も仏典としている。浄土真宗のように釈迦の教えの中心である八正道の修行すら、自力(はからい)として捨ててもである。また何世紀にもわたりカソリックと「異端者」の言葉を投げ合ったプロテスタントも、やがて教会の存続が確立した後では、多くの分派を生み出した。一枚岩を誇るカソリックは破門することによって正統?を守っているが。キリスト教とイスラム教は何を「行うか」より、何を「信じる」かをとりわけ重視し、特にキリスト教は「信仰告白の宗教」として、その核となる神の教えについて様々な解釈の中から「正しい」として定められた教説や信条を広めねばならなかった。当然「正しくない」解釈は異端とされるわけである。
 キリスト教は教会の歴史の当初において、同じ仲間うちでイエス・キリストとはいかなる者か、福音書の言葉のどの箇所がもっとも重要か、という問題について主に論争していた。これはその範囲にとどまっている限り悪いことではない。むしろ自らの信仰を深めるように作用するであろう。したがってこの時期には正統と異端は明確に定められておらず、判然とはしていなかった。たとえば初期キリスト教徒、それもとりわけ異教からの改宗者は、イエスが死すべき肉体の持ち主であることを決して信じようとはしなかった。異教の神々は時に死すべき人間の姿をとって仮に顕れても、目的を成就するや消え失せてしまうもので、この神々には死も復活もなかったからである。その一方で、イエスは本当は死すべき人間であり、その稀有なる徳ゆえに神から養子に迎えられ、神の息子と宣告された者であると信じるキリスト教徒もいた。三位一体の概念を受け入れたものの、どうして父なる神と子なるイエスが、ともに永遠不滅であるのか納得できないキリスト教徒もいた。また自分の在命中かあるいは近い将来にキリストの再臨を期待した初期キリスト教徒たちは、今で言う聖書と定められたものを持っていたわけではない。どれが聖パウロの著作やヨハネの黙示録と肩を並べるものであるかを教会が決定するまでには、しばらくの時を要したのである。
 しかし四世紀ローマ帝国がキリスト教を国教とし、529年にはついに全ローマ臣民はキリスト教に改宗するように命じられる。このようにしてキリスト教と世俗権力が結びつくというか、キリスト教がローマ帝国を支配するに至ると、東方のギリシャ正教であれ、西方のローマ・カソリック教会であれ、既存の教会を批判する者がしばしば異端者とされた。たとえその者が真摯な気持ちで教会を良くしようとし、あるいは真の理念に立ち戻らせようとしていたとしてもである。たとえば清貧を旨とするアッシジの聖フランチェスコの流れを汲む修道士たちの教団は、異端として死と隣り合わせの危険な道を歩んだのであった。
 現在では異端に対する糾弾は、教義上の論争のみにとどまり、投獄や拷問や死の恐れは、キリスト教ではないであろう。むしろ他宗教の容認や、かつての強制、弾圧を謝罪することさえある。世界の各宗教が棲み分けし、共に学び合うようになることを祈らずにはおれない。
  
 


★ 03.2.8 「妙好人 因幡の源左」
  
 柳宗悦・衣笠一省編、百華苑、に従って述べてみる。まず言行録より。
  
 (24) 障子: 「爺さん、子供が障子を破りおるがいなあ。なして叱らんだいのう」。 源左、「子供の時分でなけらにや、破る時がないだけのう」。
 (27) 居睡: 源左は家の御内佛の前で、よくぐんらりぐんらり居睡をしていた。行儀が悪いと咎める人があると、源左、「親さんの前だげな、なんともないだいなあ」。
 (97) 夕立雨: 源左が夕立雨に、びしょ濡れになって帰って来た。願正寺の和上さんが、「爺さん、よう濡れたのう」と云ふと、源左、「ありがとう御座んす。御院家さん、鼻が下に向いとるで有難いぞなあ」。
 (142) 猫: 或時源左が伯耆の江北といふところへ行つたとき、訪ねた家が養蚕の最中で余り忙しそうだつたので、「今日は忙(せは)しさあなけ、去(い)なして貰ひますわい」と云へば、家人が、「まあ、源左さん、折角来なはつたもんだけ、一口でもえゝから御縁に合はしなはれなあ」。こゝで源左、「こないだ家の猫が子を産んでやあ。親は子をくはへて上つたり下りたりするけつど、親はおとさんわいなあ」。
 (145) 佛源左(1): 源左が田圃へ出かけようとしてゐる丁度そこへ或人が尋ねて来て、「人が佛源左といふのは、あんたかいなあ」。源左、「おらのことで御座んせようで。この源左を佛にしたるつて親さんが云わしやるだけのう」。
 (148) 法味: 「お爺さん、いつも法味を味へてえゝなあ」。源左、「おらの法味ぢやないだけ。何もお慈悲のお蔭だいなあ。之ぢやいけんぞつちゅう御催促の法味だがやあ」。
 (156) 若衆: 村仕事で若衆と一緒に働き乍ら、源左、「若い衆は、ぼつぼつやんなはれよ、おらあ先が短いけれ、一生懸命(ほんぎ)にやるけれのう」。
 (175) 妙好人(2): 辛川和上、「お爺さん、あんたを妙好人傳に載せるがのう」。源左、「まんだまんだ出(だ)いてつかはんすなよ。これから監獄の厄介になるかも知れんけ」。和上、「何故だがやあ、八十七にもなつて」。源左、「煩悩具足の凡夫でござんすけえなあ、十悪五逆の罪を持つたおらでござんすけえなあ」。
 (183) 落第: 源左、「おらあえゝ時に生れてのう。今のやあに学校に行く時なら、毎年落第しとつたにのう」。
  
 ところで妙好人であるが、前回の才市のところで簡単に浄土真宗の篤信者と説明し、その意味を才市の言行を紹介することでわかってもらおうとした。しかし妙好人にも幾つかの型があり、才市と源左はある意味で対照的である。共に山陰の生まれであり、ほとんど同時代の人であり、いずれも西本願寺の門徒であった。
 だが才市は静的で、昼は下駄作りにいそしみ、夜は「口あひ」(歌)を記すのに時を忘れた。この単調な暮らしを二十年も続けた。地元の人ですら彼が何をしているかを気付く者は稀であった。彼が行く所は寺以外には余りなく、独り弥陀と日々を暮らし、南無阿弥陀仏の中に浸っていた。彼はその心の生活を歌に示すだけであり、それも見せるための作ではない。
 才市だけでなく妙好人はとかく往相回向(おうそうえこう)の面が強く、還相回向(げんそうえこう)の面に乏しいといわれる。往相回向とは浄土に往生することを慕い求めることであり、還相回向とは、浄土からまた戻ってきてこの世を済度(迷っている人を救うこと)するはたらきである。往相が即ち還相となるのが本来のあり方であり、それは仏教と云うか、宗教すべてについて云えることである。
 源左は才市が書いたような仮名すら書けなかった。かれは知的ではなかったが行動的であった。彼の信心は直ちに行いそのものに深まっていった。彼は絶えず聞法を怠らなかったが、同時に得たものを進んで人々と接することによって届けた。肩をもんだりしながら法話をしたのである。才市が自問自答をしていたのに対し、源左は好んで他の人々と語らい合った。彼を知らない者は近在には無く、寺からも大家(たいけ)からも百姓家からも招かれる身であり、人々を仏縁につなぐことに努めた。
 他力門からは妙好人は浄土真宗から出て、不思議と浄土宗からは出ていない。源左の如き人が出るので、真宗の教えが初めて教えになるとさえいえるのである。無論、真宗の教えが源左を生んだのは間違いないのであるが。
  


★ 02.8.4 妙好人才市 (出典:「浅原才市の歌」藤原利枝、法蔵館)
  
 浅原才市は江戸末期〜昭和初期の著名な妙好人(真宗の篤信者)である。島根県に生まれ、下駄を作ってかんな屑にかな書きの宗教詩を書いたりしたが、日記をつけていたので、鈴木大拙が「妙好人」法蔵館、にその境地を禅者の目から紹介している。浄土真宗は易行道といわれるが、真の信仰を得るのは宝くじに当たるよりむずかしい易行中の難行道である、という話を高僧が講演していると、一番前に座ってじっと聞いていた才市が、突然「そのくじ、わしがあたったぁー!」と言ったという。
  
  塵ほどもよい事ないがわしの仕合せ、善い事あればまるで落ちるよ。
  
才市は自分に有利な、よい事のないのがわしの仕合わせ、もし善い事づくめであれば、増上慢になって、落ちる自分であるといっている。不遇をかこつ人間が多いなかで。
  
  死んで参るじゃない、死ぬるまで悪をつくりて死なずに参る親の里、死なずに申す
  弥陀の念仏、南無阿弥陀仏。
  
四十八誓願と言って、法蔵菩薩がこの世の全ての人が悟りを開いて仏になるまで、自分は悟りを開いて先に仏にならないというような誓いを48個立てているのだが、なぜか法蔵菩薩は既に仏となって阿弥陀如来になっているという。これを弥陀の誓願不思議という。輪廻転生し循環する仏教的時間を体得しないと信じられない不思議である。生きているうちに心から反省をすれば必ず救われる、それをせずに死んでしもたら、来世に持ち越し、持ち越しして永久にダメになるというのが私の説なのであるが、阿弥陀仏は念仏をする人を必ず救うという(摂取不捨)というのを都合よく解釈して、口だけの空念仏を唱えているのはダメだとおもうんだけどねぇ。全ての人というけど、人が転生しても人になるとはかぎらんのが仏教だからね。ほんまにね。
  
  才市や、如来さんの前に、つかつか、何ちゅうこと、ちょっとは遠慮せい、遠慮
  すれば、親が泣きなさるよ。
  
如来さんのふところにだっこされた、子供のような才市がいる。
  
  この悪が、御恩よろこぶ不思議なことよ。何か一つのわけがある、わけはしらん、
  わけは知らねど南無阿弥陀仏。
  
罪重く、障り多き故に、ただ念仏の身となる不思議な世界である、この悪という自覚があり、反省してもまたおこってくるこの悪、それはやがて消えていく業想念の泡に過ぎないのであるが、そういうもの一切合切をお念仏の中に放り込んで、その中に才市はいる。
  


★ 02.7.6 人類二等分説補足
  
 ナザレ人イエスは、エッセネ派に属していたといわれる。エッセネ派はユダヤ教各派の中で唯一輪廻転生を信じている派であったという。ところでイエスはおよそ30歳位から活動を始め、実際に活動した期間は約2年ということらしい。青年時代から30歳位までの事跡は文献的には全くわかっていない。インドの方へ旅行して仏教を学んだともいわれる。釈迦は死後どうなるか、というような類の質問には基本的に答えないことにしていたが(そういうことを質問する人に返事をしても、その人の修行に役に立たないので)、バラモン教以来、インド人の基本的考え方である輪廻転生の考え方は、体得していたというか、色々な現象の原因を過去世においてどういう過ちを犯したからか、といったことを全てお見通しだったようである。霊界も自由に行き来するという神通力も持ち合わせていたようである。
 エッセネ派のイエスがそのような仏教を学んだとしたら、輪廻転生を確信したはずである。事実初期の新約聖書には、そういう考え方が入り混じっていたらしいが、何度でも生まれ変わるということは修行のやり直しが何度でもきくということになり、信徒に悪い影響を及ぼすと考えた人たちによって、畏れ多くも削除されたらしい。人間が輪廻転生しないで、霊が一旦天国にプールされていて、世の終わりに復活するという考え方は、どうも私の経験、実感に照らしてみて無理があるように思える。近頃よく言われている退行催眠(催眠術で子どもの頃に退行させて、幼児期のトラウマを心理療法家が見つける方法がよくなされていたが、あるとき間違ってその人の前世に退行させてしまい、色々前世のことを語るなどしたことがきかけになって一般化した。現世の精神障害も幼児期のトラウマだけでなく、前世までさかのぼってトラウマを見つけると、本人が癒されるケースが多いという。前世でやり残した精神的な課題をこの世で解決するという使命感を自覚するということが良い影響を与えるらしい。)は、人が輪廻転生するという状況証拠になるだろう。
 大川隆法が、イエス・キリストの霊を降霊させて、輪廻転生のことをもっとはっきりと言うとくべきであったと反省の弁を述べさせているが、当たっているような、当たっていないような・・・。
 私の考えている結論を言うと、人は輪廻転生する。更に人は初めから善人と悪人(神の救いにあずかる人と、そうでない人)に真半分に分かれており、何度輪廻転生しても、そのことは変わらない。たとえ途中で悪の道にそれても、いつか反省して輪廻転生しながら向上の道を進んでいく者、どうしても自分に甘く、何でも人のせいにして心から反省することのできない者に二等分されると考える。従って、神を素直に信じ、向上に励む人は地獄界や畜生界に落ちる心配をする必要はないし、何度でも修行がきくから今のうちは適当にやっておこうという人は、ほっとけばよい人であって、そんな人のことまで考えなくてもよいのである。どうも仏教にしろ、キリスト教にしろ、宗教家といわれる専門家が、自分の都合の良いように操作したり、善良な人を脅しているとしか思えない。何が真実であるかをあっちゃに置いといて、自分の都合、保身のためにものを言う人はどこの世界にでもいるのであるが、宗教家がそれをやると、その天罰はすごいものらしい。くわばら、くわばら。
  


★ 02.6.29 世の終わりに至る無限等比級数
  
 私は人類の半分は端的に言えば善人であり(根性真っ直ぐ)、半分は悪人(根性曲がり)であるという人類二等分説という仮説を「共生への道」で述べている。マタイ伝24章14節に、福音が全世界に宣べ伝えられてから(もうそれは既に終わっているはずである。)最後が来るとし、収穫の時になるまで良い麦も、悪い麦も、育つままにしておき、毒麦は収穫の時になったら集めて束にして焼かれるように、世の終わりにもその通りになる(マタイ伝24章、24〜30,36〜43節)としている。そこで焼かれる毒麦が、育つままになった麦の半分であるという直感的数学的根拠?を与えておこう。
 私が人類二等分説を立てているということは、実は私は秘かに人を善人と悪人に分類している人間なのであるということである。その人が善人か悪人か閻魔帳を秘かにつけて楽しんでいるのである。そういうことはやっちゃいけないことになっているのであるが、私はタブー破りの性癖がある。数学においてもタブーとされている問題の方に目がいく。宗教的には、語源を探ることや審判をすることなどはタブーとされているが、どうもやりたくなってしまう。人を善人悪人に分類することは一種の審判みたいなことなのね。ところでなぜ二等分されるかということは、大体経験的にそうなるとしか言いようがなかったのであるが、最近簡単な無限等比級数で説明されることがわかり、自分の審判が後で結構間違っていることに気付くことも説明でき、我ながら納得している。結論を先にいえば初項1/3,公比1/3の無限等比級数なのであるが、(その和は高校程度の数学で1/2ということがわかる。)どういうことか説明しよう。
 人間ははっきり善人とわかる人(あつい人)1/3と、はっきり悪人とわかる人(つめたい人)1/3がいる。残りの1/3はぬるい人であり、その時点ではなんとなくはっきりしない、割り切れない感が残ったり、完全に騙されたりして、結局善悪どっちかに分類する。しかし次の時期が来て分類し直すと、以前のぬるい人の中に誤判断もあったことがわかる。そのぬるい人たちも、その時期にははっきり善人とわかる人1/3と、はっきり悪人とわかる1/3と、残りのぬるい人1/3に分かれる。しかし、やっぱりその時期には善悪半々に思えて、なんとなくすっきりしないながらも二等分する。今までこれの繰り返し。すなわち本当に悪い人は
   1/3 + 1/3×3 + 1/3×3×3 + ・・・ = 1/2.
この1/3という数字はヨハネ黙示録9章18節を見ると、「この三つの災害、すなわち、彼らの口から出てくる火と煙と硫黄とによって、人間の三分の一は殺されてしまった。」というところに根拠を見出そうとすればできないこともない。神は各個人の信仰や行為、修行や努力とは関係無しにあらかじめある人々を救いに、ある人々を永遠の呪いに定めているという考え方がキリスト教にある。(予定説)それが丁度半々というのは、いかにも美しい仮説である。人は大体霊の系統によって類別され、輪廻転生してもどうも善悪に変化が生じそうもないし、人口が70億人いても、無限級数といっても、もう大体決着はついていると思うのだが、私が担当する学生は大体キャラの問題のない者が多いのは、毒麦がそうとはっきりわかったものから順に、すでに焼かれているのかもしれない。
  


★ 02.6.8 葬式の話  (出典:「ブッダ最後の旅」中村元訳、岩波文庫)
  
 「尊い方よ。修行完成者のご遺体に対して、われわれはどのようにしたらよいのでしょうか?」「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。アーナンダよ。王族の賢者たち、バラモンの賢者たち、資産者の賢者たちで、修行完成者(如来)に対して浄らかな信をいだいている人々がいる。かれらが、修行完成者の遺骨の崇拝をなすであろう。」  尊い方とは晩年の釈迦である。多聞第一(釈迦に常に付き添って、人として最も釈迦のことばを多く聞いた)の弟子阿難(アーナンダ)が釈迦の死後の供養の仕方について質問しているのである。修行して悟りを開くことを目的とする出家者は、遺骨供養にかかわらず、自分の修行に専念し、遺骨供養は一般の人にまかせよと釈迦は言っている。
 さて在家の普通の人はどうなのだろう。近頃大きな霊園があちこちにできている。そのうち、日本中お墓だらけになるのではないか、という気がしないでもない。お墓は一説によると天国のゴミ捨て場にほかしてあるそうである。嘘か本当か知らないけれど。今のああいうお墓が、現今盛んに言われている循環型でないことは確かだ。お骨は粉にして花の肥料にしたりとか、なんぼでも考え方はあるはずだ。花が悪人病になったりしても困るのだが。
 お墓に入る前に葬式をするが、葬式にはかなり金がかかる。戒名など自分で適当につけたらいいようなものまで専門家につけてもらうとすごい金がかかる。ちなみに私の戒名は数楽院抱拙居士と勝手に決めている。父はなんとか大居士で、いまなら一千万位かかるんと違いますかと葬式屋はいっていた。天台宗の葬式に来た坊主はうちの檀家には大居士は一人もいませんといっていた。あきれたはなしだ。要するに商売になっている。そして少数だが、ちゃんとやっている人はやっているのだが、昔のお寺の和尚さんがやっていたカウンセリング的なこと、教育的なことなんかどっかにいってしまって、境内を削って駐車場を経営したり、厳しい世間の荒波にもまれている普通の人にはまるでピントはずれの、おネムなお説教などをしたりしている。そのくせオームなどが問題になると、あれは宗教じゃないとかなんとか批判するが、あんたらがさぼってたから悩める若者の行くとこがなかったのよ、ほんまにね、といいたくなる。人間は輪廻転生する。これはほぼ間違いない。臨終のとき、いってらしゃーい、またね、って感じで誰も死を恐がりもしなければ、悲しみもしないという時代はもうすぐそこにきているのだけれど、損になることはどこの世界でも当事者はいわないのね。真理を語る専門家はお金の勘定に忙しいらしい。釈迦が化けてでなけりゃいいけれど。まっそんな品のないことはする人じゃないと思うけれど。

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