厚生労働省の情報隠しを弾劾する


大熊の本  
最近、イタリアのトリエステ県での精神医療改革を描いた本を読んだ。「精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本」というもので大熊一夫が書いている。岩波書店より2009年10月に発行されたものだ。

大熊一夫といえば、1970年ごろに「ルポ精神病棟」を書いた元朝日新聞の記者だ。この本に対する評価は二分されていたのを思い出す。当時世間は知らないことになっていた精神病院の闇を明るみに出し、世間も知らないことには出来なくなった。と言っても「世間」の人はもともと精神病院が悲惨なところだということは知っていた。精神病院での患者殺しは時々には報道されていたからだ。しかし、「世間」はそれを知らないことにすることで肩に荷を背負うことを免れていた。それを大熊の本は明るみに出して、「世間」は逃げも隠れもできなくなったのだ。そういう積極的なことを正当に評価する人は多かった。

片方で、このルポは「アルコール中毒」を装って、中くらいに悪い(良い)精神病院に入院したことを書いたものなのだが、大熊は1週間しか入院に耐えられなかった。精神病院の環境がもともとなかった拘禁性の精神病をもたらすものであることがあり、大熊も一週間でこの限界点に達した。もしそれ以上入院していたら彼は本物の「精神病者」になっていたことだろう。大熊は命からがらそこから救出された。しかし、たった一週間で何がわかるかという批判があったことも事実だ。また、「健常者」のルポだから「世間」が評価したのであり、もし「精神病者」が同じ本を書いてもそのような評価は受けなかっただろうという批判もある。

ルポ精神病棟はこのような評価を受けていた本なのだが、今回のイタリア精神病院のルポも評価は二分されている。しかし、それはイタリアの精神医療に対する評価が二分されていることの反映だ。精神医療改革など不可能だという諦観的立場からの批判については無視が一番の反批判だろう。

大熊の本の欠陥は、肝心要の「精神病者」の声が聞こえてこないことだ。「ルポ精神病棟」でもそうだったのだが、大熊にとっては「精神病者」は客体であり、せいぜい良くてお客さんであり、闘う主体とは捉えられていないのだ。


イタリアの精神医療改革  
イタリアの精神医療改革とはなんだったのかからはじめよう。1970年を前後する全世界的な革命の嵐を背景としてイタリアでも大きな社会改革のうねりがあった。そのなかでトリエステ県で精神保健行政のチーフとなったのがバザーリアという医者だ。

バザーリアはフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルを師と仰でいた。この本ではサルトルの思想については書かれていない。サルトルは人間の精神的存在は自由なものであり、何にも縛られないから、人生の選択もまた自由に行なわれていると考えた。「在るようには無く、無いように在る」のが人間の精神の作用だと考えた。ナチズムもまた人間によって担われたのであり、「理想とされるべき人間性」という抽象存在はないと考えた。キリスト教的な抽象化された、かく在るべき「人間性」というものの存在を真っ向から否定した。ナチズムも人間のやったことなのだから、ナチスもまた一つの人間性であるというように考えた。人間は自分の選択した存在になるのだから、自分が何者であるかの責任を自ら背負わねばならないと考えた。ナチスを許したのは「君であり私である」と、人々は責任を負わねばならないと考えた。

バザーリアもまた誰よりも自由を希求し、自分が何ものになるかは自分の選択によると考えたであろう。当時の精神病院の地獄の番人になることを良しとしなかったのだろうと容易に想像される。

バザーリアが赴任したときの精神病院は、日本のそれと同じ位悪い状態だった。患者は日常的に拘束されており、拘束衣で縛られて日光浴をしている患者たちの写真が今でも残っている。鍵と鉄格子の閉鎖病棟で、一旦精神病院に入れられたら一生出られないと言われていた。それも今の日本の精神病院とかぶさる。

バザーリアはその現実を変えなければならないと思った。「自由こそ治療だ」というスローガンを掲げた。患者の自由は大幅に拡大された。患者たちは徒党を組み、青い色の木馬を押し立ててトリエステの街中で無届デモンストレーションをおこなった。その木馬が精神病院から外に出るのに高い塀が邪魔だったのでバザーリアは率先してその塀を破壊した。楽しみが必要だというので一日航空機を借り受けて、患者に遊覧飛行を楽しませたりした。  

そして、ついに広大な敷地を持つ精神病院を解体してしまった。 精神病院の院長室は患者が日常を暮らす場に変えられた。患者たちは町で暮らすようになり、それを支援するための地域精神医療センターが各地に作られた。精神病院での閉鎖的医療が解体され地域精神医療に取って代わられた。

バサーリアの試みは完全に成功した。「精神病者」たちは地域で尊厳を持って暮らせる人たちであることが証明された。各地には日本で言うところのケアホーム・グループホームが作られた。もちろん単身による住まいもある。街で暮らすことが困難な人は解体された精神病院の院長室での生活が保障された。もちろん鍵も鉄格子もそこには存在しない。徹底的に地域生活を支える体制が組まれていった。患者たちは次々に地域に出て自立生活を始めた。社会生活を送ることなど二度と出来ないと見なされていた患者たちは、自ら社会で生活する能力が立派に備わっていることを証明した。

そこで重要な役割を果たしたのが協同組合だ。イタリアでは協同組合の文化があるそうだ。患者たちは絵を書く組合、家具を作る組合などなどと地域に根を張った協同組合を設立していった。それが日本における「作業所」と決定的に違うのは、作業所の賃金が月に数千円と最低賃金より遥かに少ないのに比して、協同組合では充分に生活のできる賃金を得られることだ。協同組合の賃金によって、患者たちは地域自立生活が可能なのだ。

かくしてトリエステ県では精神病院は解体され、博物館になってかつての姿を展示している。


バザーリアの先進性  
バザーリアの先進性の核心は、「病気を治す必要はない」という思想に立ったことだ。「精神病の者に社会生活は出来ない。完治しなければ社会に出せる存在ではない」という常識的考え方を180度ひっくり返し、「病気と付き合いながら地域で生活すればいい」と考えたのだ。これにはサルトルの思想が影響しているのだろう。キリスト教的な理想的人間像を否定し、「人間存在の本質」を否定したのがサルトルの思想だ。人間は「かくあるべき存在」であるというような本質を持つのではなく、今はない状態に在りたいと望んだ時に獲得するのが人間性だと考えた。人間は「ああなりたいな」と思ったようになる存在だと考えた。「精神病者」もあるがままで人間的な存在であると考えられる。ありたいと思う存在になる自由があるべきだ。キリスト教的規範にあてはまらないものは非人間的存在という宗教的価値観を根底的に否定した革命性がそこには存在する。

バザーリアに精神医療改革を可能としたのは、背景に左翼勢力が政権に就くというイタリア独特の政治環境があったのは間違いない。そのこと抜きには改革は不可能であったろう。それが日本で単純に同じことを実現はできないという政治的背景でもある。だからといって諦めてどうする。小規模であっても精神医療改革を目指す医師はいるし、日本には患者会という革命的な手法がある。患者会を医師や医療従事者に従属させようという輩がいるのはとんでもないことだ。


反バザーリア派との闘い  
バザーリアはトリエステ県だけで満足しなかった。イタリア全土から精神病院をなくすための法律・バザーリア法の制定に尽力し、イタリアでは単科精神病院は姿を消した。といっても根強く隔離収容を追及する精神科医たちはたくさん残っており、バザーリア派と反バザーリア派はいまでも激しく争っている。バザーリア自身は急病で亡くなっているのだが、そのあとを継ぐ医師や医療従事者たちが頑張っている。

バザーリア法により単科の精神病院はすべて廃止されたが総合病院の精神科病棟は残っている。また地域精神保健センターには小規模の入院施設がある。司法精神病院には約1000人が収容されている。反バザーリア派はそれらを閉鎖的な精神病棟として活用している。また地域精神医療センターを十分に生かさずに精神病院の閉鎖だけを行った地域もある。これでは「精神病者」はホームレスになってしまうしかないが、反バザーリア派の策謀だ。

地域精神医療センターを機能させずに患者を精神病院から追い出した先例としてアメリカのケネディ改革がある。ケネディは地域精神保健を志していたのだが、実行する前に殺されてしまった。後継の大統領はそういう志はなかったから、ただ単に患者を病院から追い出し、大量の「精神病者」のホームレスが生まれてしまった。レーガン改革でその反動は加速され、極めて多数の「精神病者」のホームレスがいるのが現実だ。


日本の惨状  
外国のことばかりではなく、日本でもホームレスの6割以上が「精神病者」だ。日本人は歴史的総括を苦手としている。日本では、ナチスの反省のような契機が欠落している。日本では天皇制がナチスと同様にアジア人民の血の犠牲の上に存在している。しかし、天皇制は人間性の否定という歴史的評価を経験していない。総括しない国民なのはあらゆる面に現われている。

日本では精神医療改革運動はやはり1970年代の革命の嵐とともに存在していた。関東での精医連(東大精神科医師連合)や関西でのプシ共闘(精神科医全国共闘会議)という形で一定の勢力をもっていた。しかし、それらは何の総括もなく消滅してしまった。

また、その頃から自主的・自立的な患者会が生まれて独自の文化をなしている。ひょうせいれんはその一つとして、自立的に運営されている。

国際的にも改革派と守旧派が激しく争っている。日本でもまた、激しい抗争が闘われてきたし、今も闘われている。大熊の本はその闘争に思想的決着をつけるための格好の材料となるだろう。




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