ふくぎ
伏羲は伏儀、伏希、伏戲、また包羲、庖犠とも書き、羲皇、太皡とも呼ばれる。
姿はふつう人面蛇身とされ、もともと歴史上の天子というより神とみなされていたようだ。
以下に『史記』三皇本紀から、伏羲のプロフィールを上げてみる。
太皡庖犠氏は風姓である。燧人氏に代わって天位をついで王となった。母を華胥といった。華胥は神人の足跡を雷沢(現在の山東省。山西省とも)でふんで懐妊し、庖犠を成紀(甘粛省)で産んだ。庖犠は蛇身人面で、聖徳があった。(中略)
……民はみな帰服(伏)したので、フツ(宓、伏)犠氏という。牛・羊・豕などを家畜としてやしない、それを庖厨(くりや)で料理して、犠牲として神祗や祖霊をまつった。それ故に庖犠氏ともいう。
竜の瑞祥があったので、官名に竜という字をつけ、その軍隊を竜師といった。(中略)
木徳の王であった。(中略)
陳に都した。太山(泰山)にのぼり、封を行った。王位について百十一年で崩じた。
(唐・司馬貞・補撰『史記』三皇本紀より)
伏羲は易をはじめとして多くのものの発明者とされており、文化の創始者としての性格が強い。
『史記』三皇本紀に見える伏羲の発明品を列挙してみる。
伏羲は女媧と兄妹または夫婦(大抵はその両方)とされており、遅くとも漢代には互いに尾を絡み合わせた(交尾を意味する)人面蛇身の伏羲・女媧像が作られていた。
この兄妹に関する説話は、もともと中原から南へと追われていった苗族という民族のものだったらしい。
苗族系の少数民族の間には、現代にいたるまで伏羲・女媧兄妹の伝説が伝えられている。
これらの民族に伝えられている説話によると、この二人は太古の大洪水にただ二人生き残った兄妹(あるいは姉弟)であり、やがて二人が夫婦となって現在の人類の始祖となった、とされている。
この洪水神話の中には兄妹(姉弟)が匏瓜(ふくべ、ひょうたんのこと)の中に入って洪水から生き延びた、と言うものがある。
また洪水に生き残った二人が人類を創生する時にも、ひょうたんや瓜が関係している説話があり、聞一多は「包羲(=伏羲)」の「包」は「匏瓜」の「匏(古くは包と音が通じた)」から来ているのではないか、という説をとなえている。
文献上に伏羲・女媧、二人の名前が並んで出てくるのは前漢の『淮南子』が最初とされ、伊藤清司著『中国の神話・伝説』で言及されているように、伏羲の説話に女媧の様な天地創造神話との関りが見られないことから見て、二人を兄妹または夫婦とみなす説話はやや後の時代に成立したものではないか、とする説もある。
これは想像だが、苗族の神話が中原の説話に取り入れられていく間に、人面蛇身の兄妹(夫婦)神の片割れである伏羲へ、文化の発明者である聖王・太皡の説話が重ねられていったのかもしれない。