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女媧 じょか


 女岐氏女希氏ともいう。三皇五帝中、唯一の女性。
 女媧の姿は人面蛇身というから、女性というより「女神」というほうが正確かもしれない。

 姓は風姓。徳は木徳。
 伏羲にかわって王位につき、女希(じょき)氏と号した。
 伏羲時代の制度を改めることはなく、ただ笙簧(楽器)を作っただけだった。
 ……特に女媧氏を三皇の内に上げるのは、その功績が高くて三皇に匹敵するからだ。
        (唐・司馬貞・補撰『史記』三皇本紀より抜粋)

 ……という感じで「三皇本紀」には彼女の治世に関してはあまり書かれていない。それどころか「三皇本紀」では、女媧が女性だとはどこにも書かれていないのだ。
 女媧がもともと女性だったことは、女媧伏羲の妹、かつ妻であるとする伝説があることから間違いなさそうだが、唐の司馬貞がそのことを明記しなかったのは男尊女卑的な儒教思想の影響だろうか?

 伏羲が文化英雄神的な性格が強いのに対して、女媧は次に述べる「女媧補天」神話や、人間の創造といった天地創造神話に出てくることが多く、このため伊藤清司著『中国の神話・伝説』では、伏羲女媧を兄妹または夫婦とみなす説話は、やや後の時代に成立したものではないか、としている。
 もっとも、人面蛇身の対偶神を二匹の竜が交合する姿で現すことは、殷王朝のころから既に行われていたらしい(「伏羲」の項を参照)。

・女媧補天

 女媧の末年にあたって、諸侯に共工氏というものがあり、知謀に優れ、よく刑罰を用いたので強大になり、覇者となったが、王者にはなれなかった。
 そこでみずから水徳の王を名のり、木徳の女媧氏の天下を奪おうとして、洪水をおこして木を押し流そうとした。
 しかし火徳の祝融と戦って敗れ、怒って頭を不周山にぶつけ、崩してしまった。
 不周山は天を支える山だったので、天を支える柱が折れ、地をつなぐ綱が切れて天地が傾いてしまった。女媧氏は五色の石をねって天を補い、鼇(あおがめ)の足を切って地の四方をつなぐ柱をたて、葦の灰を集めて大洪水を押さえて、冀州(ここでは、中国全土の意味)を救った。
        (『史記』三皇本紀

 この「女媧補天」の物語にはいろいろなバリエーションがあって、

 ……などなど、登場人物や事件の順序を入れ換えたいろいろな異説が伝わっている。

・人間の創造

 女媧の登場するもう一つの有名な創世神話が、先に少しふれた「人間の創造」伝説である。

 天地が出来た後、女媧は人間を作ることにした。
 はじめ、女媧は黄土を手でこねて人間を一人一人作っていたが、手間がかかってなかなかはかどらなかった。
 そのうち女媧は、縄を泥の中で引き回し、これを引き上げる方法を思いついた。引き上げた縄から泥が滴り落ちると、それがみんな人間になった。
 最初に手間をかけて作った人間は金持ちや高貴な人間になったのに対して、縄から滴って出来た人間は貧乏人や愚か者になった。
  (後漢『風俗通義』

 もう一つ、女媧に関する説話として、女媧が「原初の兄妹の一人」という伝説がある。

 太古、昆侖山に女媧兄妹がいる以外、人間は存在しなかった。そこで兄妹は夫婦になることにしたが、同朋婚は良くないことと考え、天意を知るために昆侖山頂へ連れだって登り、それぞれ火を焚いて、「我々兄妹が夫婦になることを認めるなら焚火の煙を一つにするよう、認めないなら煙を別々にするように」と祈った。
 すると煙が一つになって立ち上ったため、二人は夫婦となり、その子孫が地上に広まった。
  (唐・李冗『独異志』

 ここで名前の登場してこない女媧の兄が、一般に伏羲と同一視されることになる。
 この神話にもいろいろバリエーションがあって、

 悪い人間を滅ぼすための大洪水に生き残った善良な兄妹が、玉皇大帝(いわゆる天帝)に「夫婦になるように」と命じられたが、「兄妹で夫婦になるわけにはいかない」と断り、かわりに玉皇大帝を手伝って泥をこねて人間を作った。

 というものは、泥をこねての人間創造神話とミックスされていたりする。

・女媧の墓所

 唐の時代、女媧の墓所と伝えられるものが虢州(今の河南省霊宝県の南)に存在したという。
 『酉陽雑俎』巻一・忠志に、安禄山の乱を避けた唐の粛宗皇帝(玄宗皇帝の皇太子。流浪中に譲位され即位した)の一行のもとへ、女媧が現れたという話をのせている。
 それによると、二匹の鯉(宮廷の身分証明にあたる「魚符」を暗示する)を持った背の高い婦人が営門に現れて「皇帝はどこにいる?」と声をはりあげた。人々は狂人ではないかと思って監視していたが、ひとしきりしゃべり終わって大木の下に立ち止まった婦人に兵士が近づいてよく見たところ、その腕に鱗がはえていることがわかった。
 その婦人は、突然空が暗くなると同時に姿を消してしまったが、粛宗が都・長安へ帰還した後、虢州の長官から女媧の墓についての上奏があった。

 天宝十三年(西暦754年)大雨がふり、まっくらとなった。今月一日夜、河(黄河)のほとりで、ある者が風雷の音に気づいた。明け方、その墓が隆起し、墓の上に二本の柳がはえ、高さは一丈余り、下に巨大な石があったと、絵図を添えて上呈した。
  (『酉陽雑俎』巻一・忠志

 このことから、先の婦人が女媧であったのではないかと人々は考えた、ということだ。

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