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鯀 こん


[魚玄]とも書く。の父。顓頊の子とされる。
『史記』五帝本紀・夏本紀やその元になった『書経』堯典では、

 (が洪水を治める適任者を四岳に推挙させると)みな「がよいでしょう」と言った。
 帝堯は「ああそれはいけない。我が命をきかず、一族を害するやつだ」
 四岳は「それでも、試しにやらせてみればよいでしょう」
 帝堯は「では行け。つつしむのだぞ」と言ってを送り出したが、九年経っても成果が上がらなかった。
   (中略)
 (後にが登用されると)共工を幽洲に流し、驩頭を崇山に放ち、三苗を三危に流罪にし、を羽山で処刑した。
        (『史記』五帝本紀

 とされ、あくまでも聖天子たるの引き立て役のような扱いである。

 だが、他の文献を見ると話はだいぶ違ってくる。
『山海経』海内経にはこんな記述がある。

 洪水は天にみなぎり、は帝の息壌(生きている土。勝手に増えていくという)をぬすんで、洪水をふさいだ。ただし帝の命令を待たなかったので、帝は祝融に命じて、を羽山の郊野において殺させた。
 はまた、を生んだ。帝はそこでに命じ、ついに国土を分かち、九州を定めさせたという。

 引用した文中の「はまた、を生んだ」の原文は「復生」であり、この部分は「はよみがえり、を生んだ」と訳す説もある。

・変化する鯀

 羽山で死後に変化したの話は『山海経』以外の書物にも見える。

 に命じて洪水を治めさせたがその任を全うすることができず、ついに羽山においてを誅殺したところ、は「黄能」に化して羽泉に入っていったという。
 今、会稽の住民はの廟で祭をするときに熊肉を用いない。
 「黄能」は「黄熊」とも言う。陸にいるときは「熊」といい、水中にいるときは「能」と言うのだ。
       (『述異記』巻上

 黄熊と化したの話は『春秋左氏伝』昭公七年(535B.C.)にも見られる。
 晋の平公が三ヶ月も病床に伏せっていることを心配した晋国の韓宣子は、使節としてやってきた鄭国の子産に、

「……山川の神々にことごとくお祈りしたが、病は重くなるばかりで好転しない。こんどは黄熊が寝室に入ってきた夢を見られたと言うが、いったいいかなる悪鬼であろうか」

 と相談したところ、子産

「……昔、が羽山でを処刑した折、その精霊は化して黄熊となって羽淵に跳び込み、以来、夏王朝では郊祭という祭りを捧げられ、夏・商・周の三王朝にわたってずっと祀ってきています。晋は諸侯の盟主になられたのに、まだこれを祀っていないのではありませんか。」

と答えた。
 韓宣子が夏王朝の郊祭を行うと、平公の病気は次第に良くなったという。

 また、『楚辞』天問には、以下のような一節がある。

 永く遏(とど)まりて羽山に在り、それ何ぞ三年施(か)わらざる
 伯禹より腹(う)まる、それ何を以って変化せる

 この一節は、羽山で誅殺されたの死体を三年後に呉刀で裂いたところ、が生まれたという説話を示しているらしい。
 の死体を裂いてが生まれたというのは、に生まれ変わったことを意味する可能性が高い。

・鯀の異説

『呂子春秋』には、一風変わったの話が収録されている。
 帝堯に天下を譲ろうとしたとき、諸侯の一人であったはそれが不満で、

「天の道を得たものは帝となり、地の道を得たものは三公(三人の最高官)となるのが道理というものだ。現在、自分は地の道を得ている。それにもかかわらず、自分を三公にしないのはけしからぬ」といい、「は道理をわきまえていない」と強く非難した。そして三公の地位を力ずくで手に入れようと、猛獣そのものになっていきり立ち、獣の角を並べて城塞を造り、その尾を高々と上げて旗印として、反乱を起こそうとした。
        (『呂子春秋』行論

 結局この反乱はによって鎮圧され、は他の伝説同様、羽山で殺されて呉刀で死体をさかれてしまう。
 興味深いのは反乱を起こしたの描写で、『呂子春秋』ではあくまで人間の様子としているものの、招聘に応じず「山野を徘徊」したは、本来の説話では恐らく本当に獣に変身していたのだろう。
 が死後、黄熊と化した伝説と関係があるのではないだろうか。

 また『山海経』大荒北経には、楡山の近くに「、程州を攻むるの山あり」とある。
 後世の伝承ではただ誅殺されるだけだったにも、『呂子春秋』『山海経』に見られるように荒々しく戦った伝説があったようだ。

『楚辞』の中で屈原の作とされる詞には、しばしばの名前が出てくる。
 その内容は、

は剛直すぎて身を亡ぼした」
         (『離騒』
「みなが心配ないと言ったからといって、(帝堯は)なんで試しもせずに彼を派遣したのか」
「欲するままに功を成そうとしたのを、帝はなぜ処刑したのか」
「なぜ(「四罪」として他の悪人と)合わせて追放され、を憎む声がいつまでも世に満ちているのか」
         (『天問』

 など、に同情的な表現が多い。
 自らも剛直すぎて楚の宮廷を追放された屈原は、民のために努力しながらも功成らずして誅殺されたに、かなりのシンパシーを持っていたのだろう。


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