きょうこう
共工氏、『楚辞』天問では康囘(康回)と呼ばれる。
その姿は人面蛇身で、朱い髪、人の手足を持つ、とも伝えられる。
共工の名前は、三皇五帝説話の中でいろいろな場所に現れているが、一貫しているのは、共工が三皇五帝と敵対する存在であるということだ。
主な記録をあげてみよう。
以上、三皇五帝に名前の上がっている帝王の多くが、何らかの形で共工と敵対した、という伝説を残しているのだ。
また、バリエーションとして、三皇五帝が共工の家臣と戦ったという話もある。
顓頊高陽氏には
浮遊という名の共工の臣を戦いで破り、淮水へ沈めた。
という伝説があり、禹には
共工の家臣で「人面蛇身で九つの頭、身体が触れて土が掘り返されたところは沢や谷となる」という相柳を殺した。
相柳の血の流れたところは五穀を植えることもできず、深い穴を掘っても崩れてしまったため、禹は相柳を埋めた場所に帝の臺(=陵墓)を作った。
という説話がある。
説話の中での共工の素性は様々である。
上にあげた説話の中でも、
といったようにいろいろな解釈がされている。
聞 一多・著『伏羲考』によると、『淮南子』覧冥訓に見える「女媧補天」説話(「女媧」の頁を参照)の「黒竜を斬り殺して大雨を停止させ」たという一節の「黒竜」も、共工のことであろう、としている。
また、少数民族に伝わる洪水説話で伏羲・女媧と雷神が対立していることから、『山海経』に、
雷沢の中に雷神あり、竜身で人頭、その腹をたたく。呉の西にあり。
(『山海経』海内東経)
と記されている「雷神」も、共工と同一視している。
また、舜が追放した「四凶」の一人、少昊氏の不才の子・窮奇も、
……信を毀ち忠を廃し、康回を靖讚し……天下の民、これを窮奇と謂う。
(『春秋左氏伝』文公十八年)
という一節の「康回」が、『楚辞』天問に出てくる共工の別名と同じことから、本来、共工のことだったのではないか、という説がある。
後世では、天を支える不周山をへし折り、大洪水を起こして大地を破壊するという邪悪なイメージでしか語られなくなった共工氏だが、元来は三皇五帝と並ぶ天下の支配者だったらしい。
『春秋左氏伝』昭公十七年の項には、少昊氏の官名の由来について質問された郯(たん)の領主は、黄帝氏、炎帝氏、大皡氏、少昊氏と並ぶ太古の君主として、共工氏の名をあげている。
この共工氏について『春秋左氏伝』に注を付けた杜預は、「諸侯を以て九州を覇有せし者なり、神農の前、大皡の後にあり」と記している。
また、『国語』魯語にも、
共工氏の九有(九州=中国全土)に伯たるや、その子を后土という。
という一節がある。
すなわち共工はもともと中国全土の支配者であり、その子が后土(土地神)として祭られるほど尊ばれていたのだ。
白川 静著『中国の神話』によると、共工は元来、姜姓の神であり、羌人の信仰していた神であったらしい。
信者である羌人たちが、伏羲・女媧を奉ずる苗人や、禹を始祖と崇める夏人たちに中原を追われていった結果、その神である共工も愚かで邪悪な魔物としてしか語られなくなってしまったのだろう。
『漢書』古今人表第八は、上古~秦末ごろまでの著名な人物 1,900人以上を、上の上~下の下まで、九段階に分類した一覧表だが、その「上の中 仁人」に女媧氏などとならんで「共工氏」が挙げられている一方で、「下の下 愚人」にも蚩尤らとともに「共工」の名が挙げられている。
『漢書』を書いた班固は儒教道徳の崇拝者であり、少昊氏らと並ぶ天子とされる共工氏を、堯・舜らに討伐された共工と同一人物だとすることが納得できなかったのだろう。
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