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共工 きょうこう


 共工氏『楚辞』天問では康囘(康回)と呼ばれる。
 その姿は人面蛇身で、朱い髪、人の手足を持つ、とも伝えられる。

・三皇五帝の敵対者

 共工の名前は、三皇五帝説話の中でいろいろな場所に現れているが、一貫しているのは、共工が三皇五帝と敵対する存在であるということだ。
 主な記録をあげてみよう。

 伏羲・女媧
 女媧の末年、諸侯に共工氏というものがいて、知謀に優れ、よく刑罰を用いたので強大になり、覇者となったが、王者にはなれなかった。
 そこでみずから水徳だといい、木徳の女媧氏の天下を奪おうと、洪水をおこして木をおし流そうとした。
 しかし火徳の祝融と戦って敗れ、怒って頭を不周山にぶつけ、崩してしまった。
        (『史記』三皇本紀

 顓頊高陽氏
 その昔、共工顓頊と帝位をあらそい、怒りのあまり不周山にぶつかり、天の柱が折れ、地の維が絶ちきれた。天蓋は西北に高く傾き、日月・星辰は西北へ移っていった。大地は東南がおちこんで空きができ、水潦と塵埃とはそこへと向かっていった。
        (前漢・劉安・編『淮南子』天文訓

 帝嚳高辛氏
 そのかみ共工は、不周の山にあたって大地を東南に傾けたほどの力を持ちながら、高辛氏と帝位を争った末、ついに淵に沈められ、宗族滅んで子孫による祀りも絶えた。
        (『淮南子』原道訓

 重黎帝嚳高辛の火正の官におり、はなはだ功労があった。
 ……帝嚳が彼に祝融と命名した。共工氏が反乱を起こすと、帝嚳は、重黎にこれを誅伐させた。重黎は功を完うすることができなかった。
        (『史記』楚世家

 堯・舜・禹
 が天下をにゆずろうとした時……共工は諌めた。
 「不吉です。天下を平民にゆずるものが、どこにいましょうか」
 は、この言をきかないで、兵をおこして共工を幽州の都でせめ殺した。
        (韓非『韓非子』外儲説篇・右上

 の時には、共工が洪水をひき起こし……海内は水びたしとなり、民はみな丘陵や樹木に殺到した。よってに命じて、(治水工事を行って)水を東の海に注がせた。
        (前漢・劉安・編『淮南子』本経訓

 讙兜共工を登用するように進言したとき、は「だめだ」といったが、ためしに工師(百工の長)にしてみたところ、共工ははたしてデタラメで偏っていた。
 ……そこで、は巡幸から帰って帝()に言上して、共工を幽陵に流して北狄と同化させた。
        (『史記』五帝本紀

 以上、三皇五帝に名前の上がっている帝王の多くが、何らかの形で共工と敵対した、という伝説を残しているのだ。

 また、バリエーションとして、三皇五帝が共工の家臣と戦ったという話もある。
 顓頊高陽氏には

浮遊という名の共工の臣を戦いで破り、淮水へ沈めた。

 という伝説があり、には

 共工の家臣で「人面蛇身で九つの頭、身体が触れて土が掘り返されたところは沢や谷となる」という相柳を殺した。
 相柳の血の流れたところは五穀を植えることもできず、深い穴を掘っても崩れてしまったため、相柳を埋めた場所に帝の臺(=陵墓)を作った。

 という説話がある。

・共工の素性

 説話の中での共工の素性は様々である。
 上にあげた説話の中でも、

 といったようにいろいろな解釈がされている。
 聞 一多・著『伏羲考』によると、『淮南子』覧冥訓に見える「女媧補天」説話(「女媧」の頁を参照)の「黒竜を斬り殺して大雨を停止させ」たという一節の「黒竜」も、共工のことであろう、としている。
 また、少数民族に伝わる洪水説話で伏羲女媧雷神が対立していることから、『山海経』に、

 雷沢の中に雷神あり、竜身で人頭、その腹をたたく。呉の西にあり。
        (『山海経』海内東経

 と記されている「雷神」も、共工と同一視している。

 また、が追放した「四凶」の一人、少昊氏の不才の子・窮奇も、

 ……信を毀ち忠を廃し、康回を靖讚し……天下の民、これを窮奇と謂う。
        (『春秋左氏伝』文公十八年

 という一節の「康回」が、『楚辞』天問に出てくる共工の別名と同じことから、本来、共工のことだったのではないか、という説がある。

・古帝王としての共工

 後世では、天を支える不周山をへし折り、大洪水を起こして大地を破壊するという邪悪なイメージでしか語られなくなった共工氏だが、元来は三皇五帝と並ぶ天下の支配者だったらしい。
 『春秋左氏伝』昭公十七年の項には、少昊氏の官名の由来について質問された郯(たん)の領主は、黄帝氏炎帝氏大皡氏少昊氏と並ぶ太古の君主として、共工氏の名をあげている。
 この共工氏について『春秋左氏伝』に注を付けた杜預は、「諸侯を以て九州を覇有せし者なり、神農の前、大皡の後にあり」と記している。
 また、『国語』魯語にも、

 共工氏の九有(九州=中国全土)に伯たるや、その子を后土という。

 という一節がある。
 すなわち共工はもともと中国全土の支配者であり、その子が后土(土地神)として祭られるほど尊ばれていたのだ。
 白川 静著『中国の神話』によると、共工は元来、姜姓の神であり、羌人の信仰していた神であったらしい。
 信者である羌人たちが、伏羲女媧を奉ずる苗人や、を始祖と崇める夏人たちに中原を追われていった結果、その神である共工も愚かで邪悪な魔物としてしか語られなくなってしまったのだろう。

 『漢書』古今人表第八は、上古~秦末ごろまでの著名な人物 1,900人以上を、上の上~下の下まで、九段階に分類した一覧表だが、その「上の中 仁人」に女媧氏などとならんで「共工氏」が挙げられている一方で、「下の下 愚人」にも蚩尤らとともに「共工」の名が挙げられている。
 『漢書』を書いた班固は儒教道徳の崇拝者であり、少昊氏らと並ぶ天子とされる共工氏を、らに討伐された共工と同一人物だとすることが納得できなかったのだろう。


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