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応竜 おうりゅう


 古書では「應龍」の字が使われる。人物、というより、文字通り竜である。
 『山海経』につけられた郭璞の注などによると、その姿は「龍の翼あるもの」を言うとされる。
 一般に東洋の龍は翼が無いといわれるが、実際には前足のつけ根に小振りな翼のようなものを持つ図像がかなり存在しており、応竜はそうした龍か、それらの中でも特に翼の大きな物をさすようだ。

 『淮南子』地形訓によれば、応竜は獣類の先祖・毛犢から生まれた。応竜はまた健馬を生み、健馬から生まれたのが獣類の長・麒麟である。麒麟からは庶獣が生まれ、この庶獣がすべての毛皮を持つ動物の先祖となったのだ。

 また、『述異記』巻上によれば、

 水虺は五百年たつと化して蛟となり、蛟は千年で化して龍となり、龍は五百年で角を為し、龍は千年で應龍となる

とされている。
 ここでは、応竜は、成長した龍の究極の姿とされているわけだ。

・蚩尤・夸父を殺す

 応竜と三皇五帝のかかわりとしては、黄帝蚩尤の争いにおいて、黄帝の部下として戦ったことがあげられる。
 蚩尤黄帝に攻撃をしかけた時、応竜黄帝の命をうけ、蚩尤を冀州の野にむかえうった。

 蚩尤は兵器を作って黄帝を伐つ。そこで黄帝応竜をしてこれを冀州の野に攻めさせた。応竜は水をたくわえ、蚩尤雨師風伯をまねき、暴風雨をほしいままにした。
 そこで黄帝は天女のをあまくだした。雨はやんでついに蚩尤を殺した。
        (『山海経』大荒北経

 「応竜は水をたくわえ……」の部分は意味が取りづらいが、林巳奈夫氏は著書『龍の話』のなかで、水に縁が深い龍族である応竜が拠点として溜め池をつくったのを、蚩尤の命を受けた雨師風伯が暴風雨によって破壊してしまったのだ、と解釈している。

 その後、応竜は、太陽に追いつこうとして力尽きた巨人・夸父も殺している。

 夸父はわが力も量らずに太陽を追わんとし、禺谷でこれに追いついた。
 (のどが渇いたので)河に水を飲まんとして水たらず、大沢に走らんとして、まだ到着せぬうちに死んでしまった。
        (『山海経』大荒北経

 『山海経』に注をほどこした東晋の郭璞は、夸父の死は水が足りずに渇き死にしたものだ、としているが、『山海経』本文ではこの直後に「応竜蚩尤を殺し、また夸父も殺した」と書かれているところをみると、『山海経』の原著者は河(おそらく黄河)から大沢へ向かう途中の夸父を、応竜が襲撃して殺した、と考えていたのだろう。
 応竜夸父を殺した理由は不明だが、あるいは太陽と争う巨人を倒し、世界を守る意味があったのだろうか。

・水神としての応竜

 『山海経』大荒東経によれば、応竜蚩尤夸父を殺したために、天に帰ることができなくなり、そのため、天下にしばしば日照りが起きるのだという。
 天に帰れなくなった応竜は南極に住んでおり、そのため、南方は雨が多いのだ、とされている。
 『山海経』大荒東経には、日照りの時に応竜の形をまねたものを作ると、やがて大雨が降り出す、という話がのっている。

 『楚辞』天問に、

 應龍何畫 河海何歴
 何所營 何所成

 (応竜はなぜ地に画き 河から海へどこを通った
  は何を計画し は何を成就したか)
        (目加田誠・訳)

 という一節がある。
 宋の洪興祖はこの一節に補注して、「昔、が洪水を治めたとき、応竜が尾を引いて、地に筋を引いて、水が流通した。」という『山海経』の逸文を引用している。

 このように、応竜には治水や雨乞いに関連する水神としての性格がよく見られる。
 前に上げた応竜が巨人・夸父を殺す話も、黄河の水を飲みつくし、さらに大沢をも干上がらせようとした夸父を、水神としての応竜が退治して水を守った、という解釈もできるかもしれない。


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