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蒼頡 そうけつ


 倉頡とも書き、まれに史皇とも呼ばれる。
 その姿は四つの目を持つ人間で、『三才図会』等の図では、総髪で草木の葉で作った衣を着ている。

・蒼頡作書

 蒼頡は普通、黄帝の史(書記官)とされており、

 黄帝の史官の蒼頡は鳥獣の爪跡や足跡がいろいろ違っているのを見て、それにならってはじめて文字を作った。
        (後漢・許慎・編『説文解字』 叙

と言われる。

 「蒼頡作書(蒼頡が書を作る)」という伝説は戦国時代末期(B.C.3世紀ごろ)には既に存在していたらしく、『韓非子』五蠹篇『呂氏春秋』君主篇等の書物に蒼頡の文字創造に関する記述がある。
 この伝説には面白い話が伝わっている。

 そのかみ、蒼頡が文字を発明するに及んで、天は粟の雨を降らせ、鬼神は夜啼きした。
        (前漢・劉安・編『淮南子』本経訓

 これだけ読むと瑞兆なのか凶兆なのかよくわからないが、本文にはこの後に「智能がまさるにつれて、徳性は薄れるのだ」と書かれているから、どうやらあまりいい意味には取られていないらしい。
 『淮南子』に注釈を施した後漢末の人・高誘も、この文に対して、

 蒼頡がいろいろな鳥の爪跡を見て文字を作ったところ、この世に嘘やいつわりが芽生えるようになった……(中略)……(人々は)わずかばかりの利益を得るのに血まなことなり、田畑での生産活動を放棄した。
 その結果、人間はやがて飢えに苦しむようになるだろうと、天は穀物を雨のように降らせた。
 他方、鬼神たちは(呪力をもち、天地交流の重要な手段とされる)文字によっておびやかされるようになることを怖れて悲しみ、夜半、声を上げて泣くのである。
        (『淮南子』本経訓の高誘による注釈

 と書いている。
 無為自然を尊ぶ道家思想を中心とした『淮南子』の立場からすると、文字の発明は人間の「小賢しい作為」の代表と見なされるのだろう。

 ちなみに、漢代の画像石にはなぜか蒼頡神農氏が対になって描かれているものがいくつか存在する。
 これが「文字」と「農耕」という文明の二大発明の当事者だからか、大地の恵みを受ける「農耕(=生産労働)」と作為を働かせる「文字(=非生産労働)」の対比として並べられたのかは、よくわかっていないようである。

・「蒼帝」としての蒼頡

 漢代までは黄帝の史官という伝説が主流だった蒼頡だが、その後、彼を神話時代の帝王の一人とみなす説が現れた。
 『淮南子』にも、

 史皇(蒼頡)は生まれながらにして文字を書く能力があった。
        (『淮南子』脩務訓

 という記述があるが、ここでの「史皇」という呼び方は、あるいは単に「史(=書記官)の皇(=王)」という程度の意味かもしれない。
 だが、漢代に書かれた緯書(「緯」は「よこいと」の意味。正統となる「経書」に対して、それを補足するものとされた書物)の一つには、

 蒼帝史皇氏は、名は、姓は侯岡である。
 竜顔は広く、四目は霊光を放っていた。まことに徳のある容貌で、生まれつき書を能くした。
        (『春秋元命苞』

 と書かれている。
 文字の発明者としての蒼頡の権威が高まって帝王とみなされた、とも取れるが、おそらくこれは万物を木・火・土・金・水の五つに分類する「五行説」の流行により、蒼帝(「蒼」は「青」の意味)・赤帝黄帝白帝黒帝の「五帝」が想定された時に、蒼帝の「蒼」の字が蒼頡の「蒼」と同じだったために混同された、という可能性が強いだろう。

 ちなみに、蒼頡は現代でも文字の神様として祭られているが、北京の蒼頡廟ではいつの頃からかその神像は「二つ目の、ごく普通の役人の服装をした神様」になってしまっていたらしい。
 四つ目の蒼頡に関する伝説が途絶えてしまったわけではないようなので、もしかしたらこの二つ目の蒼頡像も「蒼頡蒼帝説」の影響によってつくられた、「より聖人君子らしい」神像なのかもしれない。


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