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その他の関連人物 − 堯・舜・禹


・親族など

 [ 娥皇 ] がこう

 [ 女英 ] じょえい

 帝・の娘。帝・の妻。
 『史記』五帝本紀によれば、周囲からを推薦されたは、その人物を試すため、自分の二人の娘をの妻として、が二人をどのように感化するかを観察したという。
 二人の娘がの家族に対して正しく婦道をつくすのを見て、の起用を決めたという。

 『史記』五帝本紀には二人の娘の名前は無いが、任[日方]『述異記』『烈女伝』有虞二妃などの書物には、二人の名をそれぞれ娥皇女英としている。
 『述異記』によれば、が南方を巡幸中に崩御して蒼梧の野に葬られた時、の二女、娥皇女英の二人は急を聞いて駆けつけたが、ついにの死に目に間に合わなかった。
 この時、慟哭した二人の涙が近くの竹にかかった痕が、「斑竹」とよばれる竹に残る斑点だということだ。

 また、娥皇は単独で『山海経』などに名前が出ており、古くから帝・の妻として、神話に登場していたものらしい。
 『山海経』大荒南経によれば、三つの身体を持つ人が住む三身の国の住人は、娥皇の産んだものの子孫だとなっている。

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 [ 繋 ] けい

 の妹。
 両親やの弟・を殺そうとするのを哀れみ、の妻となった娥皇女英らと仲良くつきあった。
『烈女伝』有虞二妃

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 [ 后稷 ] こうしょく

 名は。元は農業の神の一人だったらしい。
 『史記』五帝本紀では帝コクの子・帝の臣とされているが、『山海経』大荒西経では、帝・の子とされている。

 帝コクの正妃・姜原が巨人の足跡を踏んで懐妊したが、不吉なことと思われて、はじめは路地裏へ捨てられた。
 しかし、路地裏では通り過ぎる牛馬がみなこれを避けて通り、林の中へ移せば山林の中を行き交う人が増え、また溝の中の氷の上に置くと、鳥が飛んできて翼で覆って温めた。
 不思議なことだと思った姜原はついにその子を手元におさめ、はじめは捨てようとしたことから「(捨てる、という意味)」と名づけて彼を育てることにした。
 成長したは、帝から、農事を司る后稷に任じられた。
 后稷の姓は姫氏で、後に周王朝の先祖として崇められた。

 后稷を葬った場所はテイ(「低」からにんべんをとる)国の西にあり、山水に取り巻かれているという。
『山海経』海内西経

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 [ 象 ] しょう

 の異母弟。両親に愛され、両親と共謀して兄のをたびたび殺害しようとした。
 を生き埋めにして殺害に成功したと思いこんだは、両親に「この計略はもともと自分が企んだのだから、が娶ったの二女と琴は私がもらおう。牛羊と倉廩はあなたがたにあげよう」と言っての家に入り、その琴を弾いていた。
 そこへが生きて帰ってきたため、は驚いていやな顔をしながら、「私はのことを思って、ふさいでいたのです」と言った。
 は「お前なら多分そうだったろう」と言い、それ以上追求しなかった。

 の禅譲を受けて天子となった後、有[广卑]の地に封じられ、諸侯として生涯を終えた。

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 [ 中容 ] ちゅうよう

 帝・俊(舜)の子。
 中容の国の人は、獣や木の実を食し、四鳥・虎・豹・熊・羆を馴らして使うという。
『山海経』大荒東経

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 [ 晏竜 ] あんりゅう

 [ 司幽 ] しゆう

 晏竜は帝・俊(舜)の子。司幽を生む。
 司幽の子孫である思の男女は、配偶者を持たず、気に感じて子を生むという。
『山海経』大荒東経

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 [ 帝鴻 ] ていこう

 [ 白民 ] はくみん

 帝鴻は帝・俊(舜)の子。白民を生む。
 白民は姓を銷といい、黍を食し、四鳥・虎・豹・熊・羆を馴らして使うという。
『山海経』大荒東経
 帝鴻氏とは黄帝の別名でもあり、古くは帝鴻氏の神話が帝俊(舜)の神話の下に取り込まれていたものと思われる。

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 [ 黒歯 ] こくし

 帝・俊(舜)の子。姓は姜。
 黒歯の国の人々は、黍を食し、四鳥を馴らして使うという。
『山海経』大荒東経

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 [ 戲 ] 

 [ 揺民 ] ようみん

 は帝・俊(舜)の子。揺民を生む。
 揺民は海内に、女丑というものと一緒にいるという。
『山海経』大荒東経

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 [ 季釐 ] きり

 帝・俊(舜)の子。季釐の国の祖。
 重陰の山にいて獣を食しているという。
『山海経』大荒東経

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 [ 無淫 ] むいん

 帝・の子。降ってチツ(「テツ」とも。[哉の口を至にする])という土地に住み、巫チツの民の祖となった。
 巫チツの民の姓はフン([月分])で、穀物を食するが、紡がず織らずして衣服を着、植えも耕しもせずに食料を獲るという。
『山海経』大荒南経

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・臣民など

 [ 放斉 ] ほうせい

 の臣。
 の後継者としての嫡男・丹朱を「開明である」として推挙したが、
丹朱は徳をこととはせず、訴訟ごとが好きだ。用いることはできない」
 と言って退けた。
『史記』五帝本紀

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 [ 讙兜 ] かんとう

 の臣。驩頭とも書く。
 の後継者として諸侯の共工を「広く衆に功を布いている」と推挙したが、
共工は言葉は巧みであるが心は邪僻だ。恭敬に似ているが実は天をも侮るような人物だ。用いるべきではない」
 と言って退けた。
 その後、の摂政となったにより、南方の崇山へ送られて南蛮に同化させられ、共工三苗と並んで「四罪」と呼ばれた。
『史記』五帝本紀

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 [ 皋陶 ] こうよう

 の臣。法理に通じ、法を立てて五刑を制定し、また獄を作った。
 その容姿は『淮南子』脩務訓によれば馬のような口元をしており、同じく『淮南子』主術訓によれば「おし」であったとされる。
 彼はカイチという有罪者を見分けられる一角獣を飼っており、その力で常に公平な裁判を行った。
 から後継者に指名されていたが、に先立ってなくなったという。
 『史記』五帝本紀によると、彼の子孫は英、六、許といった国に封じられた。

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 [ 皋子 ] こうし

 皋陶の子。『列女伝』弁通伝「斉管妾[女青]」の項に「生まれて五歳にしてを助けた」という言い伝えが出てくる。
 一説にのことだともいう。

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