げい
ゲイ([羽/廾])は、夷ゲイ、后ゲイとも言う。
古来、弓の名手の代名詞とされており、『淮南子』脩務訓によれば左の腕が長かったと言う。
ゲイには二種類の伝説が存在する。すなわち、堯の時の英雄であるとする話と、禹の孫・太康の時に、夏王朝を一時打倒した有窮の后(きみ、首長の意)であるとする話である。
まずは設定年代の古い、堯の功臣としてのゲイを見て見よう。
堯の時になると、日輪が十個ならび出て穀物や草木を焦がし、民は食を失った。
アツユ(「アツ」は「究」の上部に「契」、「ユ」は「究」の上部に「[瓜瓜]」)、鑿歯、九嬰、大風、封キ、修蛇(それぞれ、怪物や悪神の名)がこもごも害をなした。
よって堯はゲイに命じて、疇華の野で鑿歯を除き、凶水のほとりで九嬰を殺し、青丘の沢で大風をいとゆみ([糸へんに激のつくり]、鳥を獲るための糸の付いた矢)にかけ、上は十日を射て下はアツユを殺し、洞庭で修蛇を斬り、桑林で封キを擒にした。
万民は歓喜して堯を天子に迎え、これより天下の広狭・険易・遠近が明らかになった。
(前漢・劉安・編『淮南子』本経訓)
多数の太陽が出現して大地が焼き尽くされそうになった時、一つを残して太陽を射落とした英雄の神話は、北はアムール川流域から南はマライ、スマトラまでの広い地域に伝えられている。
『山海経』海内経では、「帝・俊はゲイにあかい弓と白羽の矢を賜い、もって天下をたすけしめた」とあり、ゲイに功をあげさせたのは舜とされている。
また、『楚辞』天問とその注によれば、ゲイが九個の太陽をを射落とした時、日輪の中にいた烏の羽根が落ちてきた、という。
いずれにせよ、ここでのゲイは大活躍の末に民を救った、颯爽たる英雄として描かれている。
こうして民を焼死や飢饉から救い、怪獣・悪神を滅ぼしたゲイだったが、その後の彼には意外な不幸が待っていた。
いつしか死を怖れるようになったゲイは、仙女達の長である西王母のもとを尋ね、不老不死の薬を手に入れた。
ところがこの不死の薬を、あろうことかゲイの妻・嫦娥が盗み出してしまったのだ。
逃げ出すにあたって嫦娥は有黄という者に占ってもらうと、
「吉だ。軽やかな帰妹(易の卦の一つ)、ただ一人西方へ旅立とうとしている。
途中で天がまっ暗になっても、恐れたり驚いたりしてはならぬ。やがては大いに栄えるであろう」
との答えを得た。
こうして嫦娥はゲイをおいて、一人、月へと逃げて行ったのである。
(晋・干宝『捜神記』など。)
その後、嫦娥は月の仙女となったとも、月で蟾蜍(ヒキガエル)になってしまったとも伝えられる。
嫦娥がヒキガエルになったとする伝承は、月の表面の模様をヒキガエルと見たり、あるいはでこぼこして見える表面をヒキガエルの皮膚と見立てたことによるものだろう。
かくして妻に逃げられたゲイには、この後さらなる悲劇が待っているのだが、さすがにそれでは彼が可哀想、と思った人がいるらしい。
明の時代の『説郛』という書物に引用されている『三余帖』によれば、日夜、嫦娥を思い煩って病気になってしまったゲイのもとへ、正月十四日の夜、一人の童子がやってきてこう告げた。
「私めはあなたのご夫人の使いの者です。ご夫人はあなたが思いこがれていらっしゃるのを存じておりますが、どうしてもこの世に降りてくることができません。
明日の夜は満月です。どうぞ米の粉で満月のように丸い団子を作ってお部屋の西北にお供えし、三度ご夫人のお名前をお呼びください。そうすれば降ってくることができます」
ゲイが言われたとおりにすると、月から嫦娥が降りてきて、二人はもとどおり夫婦となったという。
これはおそらく、夫を捨てて逃げた嫦娥が一人平和に暮らしているのをよしとしない後世の人が、十五夜の祭りの起源にことよせて創作したものだろう。
今まで見てきた説話は主にゲイを神話中の存在として扱っていたが、彼にはもう一つ、より歴史的な説話が存在している。
『史記』夏本紀、『春秋左氏伝』文公十八年の項などによれば、彼は三皇五帝の後、夏王朝初期の時代の有窮の后(首長)であった。
そして彼は、政治に関心の薄かった夏の帝太康(帝啓の子、禹の孫)を放逐し、夏の領土を一時支配したのだ。
夏后啓帝が崩じて、その子の帝太康が立った。
帝太康は田猟(かり)に熱中して民事につとめず、ゲイに逐われて国都に帰ることができなかった。
(『史記』夏本紀)
しかし、夏王朝を倒したゲイは、あっさり帝太康の轍を踏んでしまう。
自らも民政を省みず狩猟に熱中し、武羅・伯因・熊コン(「髪」の上半分に「几」)・尨圉の四賢人を退け、寒サク(「さんずい」に足、「ソク」とも読む)という奸臣を側近にして重用した。
「……寒サクは宮内(の婦人たち)には媚を売り、群臣には贈与を振りまき、民をたぶらかし、ゲイを狩猟に熱中させました。
これだけの詐欺悪徳で国を乗っ取ろうというのに、宮内・群臣、誰も異議をとなえません。ゲイはそれでも改めず、狩猟から帰る途中で、部下に殺され烹られてしまいました。……」
(『春秋左氏伝』文公十八年)
その後、夏王朝は大臣の靡が擁立した太康の子・少康によって復興されることになる。
この説話におけるゲイは、弓射に秀でた英雄ではあるが、失政の末に国を失った暗君の意味合いが強いようだ。
ゲイは『淮南子』の射日神話の中でも多くの怪物を退治していたが、彼には他にも神と戦った説話がある。
『楚辞』天問篇のゲイの夏王朝征服に関する部分に、こんな一節がある。
天帝はゲイを下して
夏の民の禍を改めさせたのに
なぜにゲイは黄河の神(河伯)を射て
洛水の女神(洛嬪)を妻としたのか
(『楚辞』天問)
後漢の王逸による『楚辞』の注によると、河伯が白竜に変身して水辺に遊んでいたところ、ゲイがこれを見つけて弓を射かけ、その左目をつぶした。
河伯は怒って天帝に訴えたが、天帝は、
「お前が神霊を守らず、虫獣になっていたから、人に射られたのは当然だ」
と答えたという。
この説話とそっくりな話が、前漢末に編纂された『説苑』に「白竜魚服の話」として出てきているが、そこでは魚に変身した白竜が、予且という漁師に片目を射られた、となっている。
この説話について、白川 静著『中国の神話』では、ゲイを奉じる夷系の民族・有窮が、夏系の民族から黄河・洛水の祭祀権を奪ったことを示している、と見なしている。
また、同書では、『春秋左氏伝』昭公二十八年にある、
昔、有仍氏に女が生まれ、髪は黒々として美しく輝き、鏡にして映せるほどだったので「玄妻」と名づけられた。
楽正(楽官)の后キ(「キ」の字形は『山海経索引・外字一覧』[S336]を参照)がこれを妻に迎えて、伯封が生まれたが、これが豕(ぶた)のように貪欲、非道に限りが無いので、「封豕」と呼ばれ、有窮の后ゲイが(有仍氏を)滅ぼすと、キも祀られなくなった……。
という一節も、夷系と夏系の民族の対立を示すゲイによる悪神退治の説話だとしている。
ゲイの最期に至る事情についてはいくつかの話が伝わっているが、彼の死に方に関してはすべての物語が一致している。
ゲイの弓射の弟子である、逢蒙に殺されたのだ。
逢蒙は弓射をゲイに学び、ゲイの教えを極め尽くしたとき、
「この天下に、弓射の腕で自分より優っているのは、ただゲイ一人だ」と考えた。
そこで逢蒙はゲイを殺してしまった。
(『孟子』第八 離婁章句下)
逢蒙は「天下一の弓射の名手」となるために、師のゲイを殺したのだ。
また、彼の死についてはこんな話もある。
后ゲイが巴山で狩りをして驢馬ほどの大きい兎を捕まえた。
不思議な兎だと思って檻に入れておいたが、いつの間にか姿が見えなくなった。
その夜、ゲイの夢に、王のように冠をかぶり衣服を着た見知らぬ者が現れ、ゲイに対してこう申し渡した。
「わしは[宛鳥]扶君と申すこの土地の神である。しかるに、汝は何ゆえわしを辱めるのか。わしは逢蒙の手を借りるであろう」
次の日、逢蒙はゲイを殺して彼の位を奪った。
(『説郛』所引『芸窗私志』)
『淮南子』詮言訓や説山訓によれば、ゲイは桃部という土地で殺されたとも、桃の木で作った大きな杖で撃ち殺されたとも伝えられている。
いずれにしろ、『山海経』海内西経の昆侖の様子を説明した一節に、
「仁徳あるゲイの如き人でないと(昆侖の周囲にそびえる)岡の巌を登ることができない。」
とまで書かれた英雄らしからぬ、非業の最期を遂げたのだった。
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