久島です。 さる10/25に第66回日本音楽コンクールのピアノ部門本選を聴いてきました。その 感想です(長文)。 今年の本選課題曲は以下の(a)(b)(c)。これを40-50分にまとめて演奏する。 (a) Haydon, Mozartのソナタまたは変奏曲 (b) Beethoven, Schubert, Chopin, Schumann, Liszt, Franck, Brahms,    Mussorgsky, Rachmaninovの作品から20分程度の曲 (c) 1950年以降の作品 去年が協奏曲形式だったので、今年はリサイタル形式である。場所は例年通り池 袋の東京芸術劇場。 以下出演順に演奏曲目と感想を(敬称略)。 ・伊藤 野笛(東京芸大大学院2年)  (1) Mozart: ドセードの「ジュリー」の「リゾンは眠った」による9つの変奏曲 (2) Brahms: ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ (3) Casterede: セロニアス・モンク賛 最初のMozartは初めて聴く曲だが、演奏は悪くない。トリルがきれいに決まって 気持ちがいい。ペダルのせいか、あるいはホールの残響のせいか、細かいところ でややクリアでないところもあるが、技術的には(特にスケールやアルペジオな どの名人芸的パッセージで)とても安定している。 次のBrahmsも淡々と変奏を消化していく。普通ならタメを作ったりミエを切った りするかな、と思うところでもスッと通り過ぎていって、いわゆるアッサリ、ス ッキリ系というか、思い入れが少ないと言おうか、それでいて技術的にはしっか りしている、そんな演奏だ(2年前に優勝した野田清隆君を思い出させる)。し かし途中のゆったりした変奏ではもう少し歌を聴かせてくれてもいいかな、と思 うところもある。でも男性だけあって強奏でも音がきれいである(芯がある)。 最後のCasteradeは去年の3次予選でも弾いて、そのときとても感銘を受けた曲。 今年も弾いてくれるとはうれしい。しかし、去年は良い演奏をした(と思う)の に3次で落ちたのはこの曲が審査員に気に召さなかったせいではないか、と勝手 に思っている私としては、今年もこれを選んだ彼の度胸に拍手(それだけ好きな 曲なんだろうな)。曲の前半は前衛的で相変わらず私にはよくわからないが、ビ ート(オスティナート)が入る後半からは盛り上がってきて、最後は圧倒的な迫 力で終わる。聴衆にも受けたようで、しばらく拍手がなりやまなかった(今日一 日を通じて拍手は彼が一番長かった)。 全体的に彼は(ヴィルトゥオーソタイプではないが)技術的安定性が目立つ。 ・永原 緑(東京芸大4年)  (1) Mozart: ソナタイ短調 K.310 (2) Ginastera: ソナタ第1番から第1、4楽章  (3) Brahms: ソナタ第2番 Mozartの第1楽章では右手の細かいパッセージで多少不安定なところがあったが、 これはまだ手が暖まってないせいか。が、第2、3楽章はよかった。ドラマティ ックというか、表情付けに音楽性を感じさせる演奏である。 Ginasteraの第1楽章はロマンティックなGinasteraとでも言おうか。普通、無機 的に演奏されることが多いこの曲で、これだけ詩情を感じさせるとはなかなかで ある。第4楽章もまずまず。スピード感(モーター的リズム)にはやや欠けるが、 音をしっかり出しているのはよい。 最後のBrahmsも悪くない。彼女は女性にしては音がよく響き(伊藤君よりよく響 いていたかも)、和音がボワっとしてしまわないところがよい。技術的にもしっ かりしている。難を言えば選んだ曲が地味なことか(笑)。特に第4楽章、あま り盛り上がらずに終わってしまったと感じたのは私だけか(この曲を聴き慣れて いないせいかも)。 *** ここまで2人聴いて、さすがに3次予選から1ヵ月以上間があいてよく練習でき たせいか、皆完成度が高い。3次予選がウソのようだ(と言ったら言い過ぎか)。 実は今日、聴きに来ようか迷ったのだが(是非また聴きたいという演奏者もいな かったので)、来てよかった。 ・斎藤 香織(東京芸大3年)  (1) Haydn: ソナタ変ホ長調 Hob.XVI-52 (2) Messian: 4つのリズムエチュードから火の島 第2 (3) Liszt: ソナタロ短調 彼女の音は独特なものを感じる。(特に右手に関して)音が軽いというか、(悪 い意味でなく)芯がないというか、何かちょっとグールドを思い出させる。それ に比べると低音(左手)は充実していて、もしかしたら左利きかもしれない。 Haydnは第3楽章の出だしの(ト音の)連打の音が独特の響きがあって印象的だっ たが、その後の右手の16分音符の速い走句は少し弱いのが残念(第1楽章でもそ のように感じるところがあった)。彼女の演奏は(第3予選のパガニーニ変奏曲 でも感じたが)技術的にはちょっと弱いところがあると感じたが、このHaydnでも そんな気がした。 次のメシアンは初めて聴く曲だったがなかなかおもしろい。演奏が水準と比べて どうだったかはわからないが。 最後のリストはやはり個性的な演奏。冒頭の音をスタカートではなくテヌートす るとこからちょっと変わっている。技巧もまずまずで、悪くないと思っていたら、 途中で大きなミスをしてしまった。曲の前半部、途中で止まって、ちょっと(結 構)前から弾き直してしまった(すぐ弾き直したので空白時間はなかったが)。 これがなければ結構いい出来だっただけに、残念である(彼女も退場するときそ んな表情をしていた)。 全体的に、彼女の演奏には強い個性を感じる。ただ先生の言う通りに弾いている ようなところが全く感じられないのが好ましい。 ・岸本 雅美(大阪音楽大学大学院終了) (1) Haydn: ソナタ変ホ長調 Hob.XVI-49 (2) 平吉 毅州: ピアノのためのエレジー (3) Mussorgsky: 組曲「展覧会の絵」 Haydnは落ち着いているというか、しっとりした優しい音である(グールドのよう な弾けるような演奏とは対照的)。技術的安定性に加えて音楽性が感じられる。 この曲を聴いて、もしかしたら彼女が優勝するのではないかと、そんな予感がし た。少なくとも今日聴いた古典派の中では一番よいと思った。 次の平吉毅州の曲は初めて聴く曲。前衛的というか、ビートレスと言うか、単に 不協な和音と言うかフレーズを並べただけという感じがして、私向きの曲ではな かった。 最後の展覧会の絵は冒頭のプロムナードからハッとするほどフォルテがよく響く。 彼女は手が大きいようで、オクターブも余裕を持って弾いている(音の大きさで は今日一番ではないかな)。ただ、チュイルリーやひな鳥の踊りのような「軽い」 曲に少し難がある気がした(クリアさが少し足りない)。と思っていたら、リモ ージュの市場はやっぱりイマイチ。スピードはあるのだが、ありすぎて音がやや ダンゴ気味。スピードを落としてももう少し落ち着いて弾いてもいいのではない かと思った。最後から2つめ、ババ・ヤーガではすごい迫力。だが迫力がありす ぎて乱暴に聞こえなくもない(こういうのは審査員にいい印象を与えないのでは ないかな)。最後のキエフの大門は、途中、右手のオクターブの下降が入るとこ ろをゆっくり始めるのは私好みではなかったが(ここはワイセンベルクのように 一気に駆け降りて欲しい)まずまず。特に鐘の音(変ホ音)がよく響いていた。 全体的に彼女の演奏はいわゆる大人の演奏というか、高い音楽性を感じる。(そ う言えば3次のBachでも、一番納得がいく音楽の作り方であった。) ・石岡 千弘(東京芸大1年) (1) Mozart: ソナタイ短調 K.310 (2) 武満 徹: リタニからI.アダージョ (3) Schumann: 謝肉祭 Mozartの第1楽章は表現が(他の演奏者の手練手管と比べると)幼いというか、 単純過ぎる感じがする。表情の付け方もやや常套的(繰り返しの2回目でソフト ペダルを使うなど)で、音色の変化も少ない。トリルも少し安定感に欠ける(切 り上げがちょっと早い?)。第3楽章はちょっとおとなしい。 次の武満は初めて聴いた曲だが、予想に反してそれほど前衛的ではなく、調性的 な感じがする(でもあまり好みの曲ではなかった)。 最後の謝肉祭もあまりいい出来とは思わなかった。一番の問題は(特にオクター ブの和音で)音に輝きというか、余裕のある響きがないことで、これはやはり彼 女の手があまり大きくないせいか。フィナーレではテンポが上がって盛り上がっ て来ているのに、跳躍のような難所で一瞬テンポを落とすところ(ブレーキを踏 む感じ)が残念である。途中では悪くない演奏もあったが。 全体に彼女には厳しいことを書いてしまったが、実は彼女の演奏は2次から聴い ているが、まさか本選まで来るとは思っていなかったというのが正直なところで ある。審査員と私とは見方が全く違うのだろう。 *** 全員の演奏を聴いて、私が付けた順位は以下。ただしこれには3次予選での演奏 も考慮に入れている(本当の審査も3次の得点の60%を加える)。  1. 岸本 雅美 2. 伊藤 野笛 3. 斎藤 香織 4. 永原 緑 5. 石岡 千弘 このうち、1と2は同じくらい。また3と4もほとんど同じである。(永原さんは今 日の演奏はなかなかよかったけど、3次の印象が薄かったのでこの順位に。) で、実際の結果は以下の通り。 1位 なし  2位 永原 緑     石岡 千弘  3位 伊藤 野笛  入賞 斎藤 香織 なんと、1位は該当者なし(ちなみにこれは昭和57年に1位なしが認められるよ うになってから、ピアノ部門では初めてのこと)。そしてもっと驚くべきことは、 残りの1人(岸本雅美さん)が「審査辞退」で順位なしということ。しかし「審 査辞退」とはいったい何だ? それにしても石岡さんが2位とは…(石岡さんに恨みはないが)審査員の聴き方 はよくわからない。 今年の日本音楽コンクールは(3次予選のレポートにも書いたが)いつもの年よ り審査に疑問が残ることが多かったが、最後がこのような幕切れになるとは、別 の意味で印象に残るコンクールであった。