[BACK]

開聞岳・なのはな号の旅(JAN.26.2004.NO.7)
 薩摩半島の南端に開聞岳はある。錦江湾の入り口にそびえるため、海門という文字を宛行う人もいるこの山は、天平の昔に唐の鑑真和上一行が初めて眼にした日本本土の山でもあった。この自然のランドマークたる秀峰の頂上を目指して、指宿枕崎線を利用してみようと考えた。華やかな黄色に彩られた「なのはな」号は、海と山々が織りなすコントラストに見事に映え、南薩周遊に文字どおり花を添えてくれる。そしてもしも南薩摩に開聞岳がなかったなら、この地の風景を他に何によって形容できるだろうか。開聞岳とはそんな山なのである。

鹿児島市電(FEB.22.2003.NO.6)
 大正元年(1912)12月、鹿児島電気軌道株式会社が武之橋〜谷山間6.4kmで路面電車の運行を開始した。全国で28番目のことであった。以来、90年にわたって路面電車は鹿児島市民の身近な足として市民生活を支えてきた。自動車の普及によって一時期、利用が低迷したが、近年は低公害かつ環境に優しい乗物として見直されつつあり、再び巷間の話題を集めることとなった。また昨年(平成14年)には超低床電車が導入され、バリアフリー社会実現に向けた具体的な取組みが注目されている。

霧島縦走(JUNE.23.2002.NO.5)
 霧島は昭和9年、日本で最初の国立公園に指定され、域内には貴重な動植物の生態を垣間見ることができる。また主峰の一つ、高千穂峰は天孫降臨伝説の地であり、神話によるわが国創始の伝承が絶えることなく受け継がれてきた。風薫る五月の末に韓国岳より稜線に沿って、獅子戸岳、新燃岳、中岳とめぐり、深山の新緑に浴することの出来たことは無上の幸福であった。

長島・天草(APR.8.2002.NO.4)
 天草諸島の大部分が雲仙天草国立公園内に分布している。この地域は大小120余りの島々から成り、山は手付かずの常緑樹帯で被われ、海にはサンゴの群落や亜熱帯性の魚類を観察できる。現在、長島は鹿児島県に属し、天草は熊本県に属するが、もともとは一つのまとまった歴史的、文化的背景を共有していた。穏やかな海の似合う景観を満喫しつつ、歴史的に稀な歩みを続けたこの地独特の雰囲気に浸った、そんな天草諸島二日間の旅だった。

笠沙・坊津(JAN.17.2002.NO.3
 鹿児島市から南へ、JR指宿枕崎線にほぼ平行するように延びている道がある。国道226号である。226号は枕崎を過ぎると、そこから先は半島の西南のリアス式の入組んだ海岸線に沿うように走り、やがて加世田市(現南さつま市)に入り終点となる。この半島の西南部の穏やかな東シナ海に面している笠沙と坊津は、神話の時代より度々日本史の舞台に登場し、大陸と深いかかわりを持ち続けた。今回、加世田市を出発し、笠沙、坊津と巡り、この薩南の街道の魅力に接してみたい。

肥薩線(OCT.24.2001.NO.2)
 明治34年(1901)6月、鹿児島と国分の間に鹿児島県内では初の鉄道が開業。明治42年、吉松、人吉間の開通によって、東京と鹿児島が一本の線で結ばれることとなった。明治の富国強兵の時代から平成のITの時代まで、100年。熊本の八代と鹿児島の隼人を結ぶ、124.4KMはその名も鹿児島本線から肥薩線へ、そして担う役割も大きく変貌した。けれども単なるローカル線として片付けられない歴史の重みがここにはある。

照葉樹の森(MAY.10.2001.NO.1)
 「照葉樹の森」は鹿児島県肝属郡田代町(現錦江町)に2000年4月28日オープン。大隅半島南端の稲尾岳、木場岳を中心としたこの一帯は宮崎県の綾の森と並んで、西日本有数の照葉樹林帯を形成している。1,400haにも及ぶ森林にはタブ、カシ、イス、モミなどの照葉樹が原生林として繁茂し、有史以前より現在に至っている。2001年4月初旬、そこは春の翠嵐に満ち溢れていた。

(▲トップへ戻る)

[HOME][BLOG][E-MAIL]

Copyright(C)2008 "LAPOMMEDETERRE" All rights reserved.