(写真をクリックすると大きくなります。)

新八代駅に到着する「リレーつばめ」 平成16年(2004)3月に新八代駅-鹿児島中央駅の間に九州新幹線が部分開業したため、それまで4時間近く要していた博多駅-鹿児島中央駅間が、約2時間20分ほどに短縮された。そのため新八代を出発した新幹線「つばめ」は、残り40分ほどで鹿児島中央駅に着くことになる。せっかくの南九州の旅。不知火海や天草の島々、そして穏やかな東シナ海に眼を遣りながら、のんびりと各駅停車の肥薩おれんじ鉄道の旅を満喫してはいかがだろう。

 昭和2年(1927)の鹿児島本線の開業にともない、それまでの内陸部を走る鹿児島線は肥薩線と改められた。鹿児島本線は明治44年(1911)に工事が着工した、鹿児島-東市来間が1913年開通、1914年には川内まで延びた。1926年には水俣まで、そして1927年に川内-八代間の完成で、門司-鹿児島間(399.5キロ)が全線開通した。
 平成16年3月(2004)の九州新幹線新八代-鹿児島中央間の部分開業にともない、JR九州の八代-川内間の営業権は「肥薩おれんじ鉄道株式会社」に譲渡された。これは熊本県、鹿児島県、沿線の10市町等が出資し、第三セクター鉄道会社として平成14年10月31日に九州新幹線開業に先んじて設立された。新幹線の開業にともない、特急「つばめ」や寝台列車「なは」といった長距離列車のサービスが終了し、この区間のローカル列車に利用が限られることとなったためである。

左:八代駅行きのJR九州815系
中:肥薩おれんじ鉄道のりば(八代駅)JR線と同じホームに隣接している。朝夕の通勤通学時にはかなり混雑する。
右:肥薩おれんじ鉄道のシンボルマークは建築家川西康之氏のデザイン。二つのオレンジは車輪を、更に熊本と鹿児島の両県を表している。緑の葉は路線図のかたちを意味するそうだ。

左:上田浦駅ホームにて
中、右:上田浦-肥後田浦 肥薩おれんじ鉄道の沿線で、最も優美な車窓を楽しめる区間。軌道が海岸線ぎりぎりまで迫り出しているために、不知火海(八代海)を挟んで、天草の島々を眺望できる。殊に夕景は素晴らしく、夕陽に映えた波打ち際の陰影がノスタルジックな雰囲気を醸し出す。鄙びた漁港の防波堤は丁寧に自然石を積み上げて造られており、都会的な喧噪とは無縁で、ゆったりとした時間の流れが感じられるのは肥薩おれんじ鉄道のまさに醍醐味である。

左:野坂の浦(芦北町、佐敷駅下車)御番所の鼻と呼ばれる海辺沿いに長田王の万葉集歌碑がある。「芦北の野坂の浦ゆ船出して水島へ行かむ波立つなゆめ」とある。尚長田王の万葉集歌碑は長島でも眼にすることができる。
中、右:徳富蘇峰、徳富盧花生家(水俣市、水俣駅下車)水俣は徳富蘇峰、徳富盧花の生誕の地である。水俣市が平成2年から復元工事をおこない、素晴らしい徳富兄弟の資料館として再生した。開館時間午前9時〜午後4時半(月曜定休)入館料無料 TEL0996-62-5899 とても親切に屋敷内を案内してくれるので、是非立ち寄ってもらいたい。

徳富蘇峰(1863-1957) ジャーナリスト、評論家 本名は猪一郎。肥後水俣の郷士、徳富一敬の長男。熊本洋学校に入学の後、同志社英学校で学ぶ。1881年(19歳)に熊本で大江義塾を開く。1886年(23歳)「将来之日本」が評判になり、上京する。1887年民友社を創設する。同年アメリカの雑誌、The Nationにちなんで「国民之友」を発刊、平民主義を掲げる。1890年には「国民新聞」を創刊。彼の論説は沈滞していたこの時期のジャーナリズムを活気づけることになる。日露戦争(1904)においては、国論の統一に尽力。1905年、日露戦争後のポーツマス講和条約に不満を持つ民衆による日比谷焼き討ち事件で、国民新聞社が襲撃を受ける。1918年、「近世日本国民史」の連載始まる。1945年、連合国によりA級戦犯容疑者に指名され、自宅拘禁にされる。1952年公職追放解除。同年「近世日本国民史」第100巻が完成する。日露戦争の勝利を近代日本史の頂点に掲げる彼の歴史観は、司馬遼太郎等の思想家に影響を与えた。1957年11月2日逝去、享年94歳。
徳富盧花(1868-1927) 明治、大正期の文豪。本名は健次郎で、蘇峰の実弟。蘇峰と大江義塾で学ぶ。明治33年「不如帰(ほととぎす)」で一躍有名になる。主な著に「自然と人生」「思出の記」「黒潮」などの名作がある。

左:イベント兼用型車両「おれんじちゃん」JR九州新幹線出水駅に隣接した旧JR九州鹿児島本線出水駅の敷地に肥薩おれんじ鉄道の車両基地がある。写真は整備庫にて待機中の「おれんじちゃん」。車両は貸し切ることができる。
中:出水市ツル観察センター(出水市、出水駅下車) 毎年、出水には越冬のために、中国やロシアから一万羽を超えるツルが飛来する。観察センターはそれに合わせて11月から3月まで営業し、ボランティアのガイドによるツルについての詳しい説明を聞くことができる。
右:牛ノ浜駅(阿久根市)国道3号線をはさんで向かいに東シナ海が望める。

薩摩藩の外城制度
 江戸時代、島津氏は領地を100を超える区画に分割し、そこに外城衆中と呼ばれる士族を配置し、それぞれの行政区で行政と防衛の任につかせた。これを外城制度という。外城には地頭所と呼ばれる藩の直轄地と私領とあり、肥後との国境のある出水は藩の直轄地として、重要な防衛上の役割を担っていた。その外城の中心地に麓と呼ばれる武士階級の居住地があり、出水麓地区は現在でも石垣に囲まれた瀟洒な武家屋敷が立ち並び往時の面影を垣間見ることができる。
出水平野のツル

 出水平野で越冬するツルはほとんどがナベヅルとマナヅルであるが、ナベヅルの全体の生息数は約1万羽で、その8割までもが出水に飛来する。そのため、近年国境を越えて伝染する鳥インフルエンザ等の影響による種の絶滅を危惧して、飛来地を分散して、伝染病の蔓延の危険負担を軽減する試みが検討されている。なお、ナベヅルとマナヅルの他に、クロヅル、ソデグロヅル、カナダヅルなどの希少種のすがたを観ることもできる。

出水平野のツル

(▲トップへ戻る)


[HOME]

JAN/24/2005/NO.8