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| ↑加世田(現南さつま市)を出発し、国道226号を西南の方へ進むと、やがて笠沙路の入口にさしかかったことを示す道標を見つけた。写真中央の野間岳に眼を留めながら、更に進むと次第に道幅が狭くなり、対向車とすれ違うこともなくなってきた。どうやら最果ての地に足を踏み入れたようだ。 |
| 「 ここに天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に麗しき美人に遇ひたまひき。ここに誰が女ぞと問ひたまへば、答え白さく、大山津見神の女、名は神阿多都比売、またの名は木花之佐久夜毘売といふとまをしき。」以上が古事記の内容であるが、ニニギノ命が阿多のコノハナノサクヤ姫に出会ったのは阿多隼人の本拠地である笠沙の岬とされている。ニニギノ命はやがてコノハナノサクヤ姫を妻に迎えることとなる。そしてコノハナノサクヤ姫が生んだ子が後の火照命(海幸彦)であり、火遠理命(山幸彦)である。古事記に描かれた神話の内容は天孫降臨以降南九州を中心に展開されることになるが、これは九州南部の豪族、隼人との融和をはかるための政策的な記述であるとされている。 |
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| 左、中、右:野間岬ウインドパーク 断崖絶壁の海岸線をゆっくり進むとやがて視界が開け、岬の上に垂直に並んだ10基の風力発電の巨大な羽根が姿を現す。 |
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| 左:野間岬を望む。「絶景」、それ以外適当な言葉が見つからない。 |
| 中:「神っ代の 笠狭の碕に わが足を ひとたびとどめ 心和ぎなむ」(斎藤茂吉の歌碑) |
| 右:野間岳 三国名勝図会には「嶽形頓に急峻にして、人肩の上に頭首あるに似たり」とある。 |
| *三国名勝図会 藩命により五代秀尭、橋口兼柄らが編纂。薩摩藩内の名勝を図解入りで解説してある。なお三国とは薩摩、大隅、日向をさす。 |
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| 左:杜氏の里(焼酎づくり伝承展示館) 笠沙町(現南さつま市)黒瀬集落は明治の頃より杜氏を数多く輩出してきた里として知られており、ここでは杜氏の伝統の技法を、文化的な遺産として後世に伝承していこうとする取組みがなされている。 |
| 中:展示館内部のようす 焼酎の製造工程をホロビジョンを交えて詳しく解説してくれる。写真はダレヤメを楽しむ様子。鹿児島の方言でダレヤメとは晩酌のことである。すなわち、ダレ(疲れ)をヤメ(止める)から来ている言葉である。 |
| 右:もろみの2次仕込みのようす 焼酎の製造工程→(1)蒸した米に麹を付着させて培養し、酵母と水を加えて1次もろみをつくる。(2)発酵が進む1次もろみに主原料である芋を加え、更に発酵させる。(3)ほぼ発酵の止まった状態のもろみを蒸留する。写真は丁度1次もろみに主原料(蒸かして粉砕した芋)を加えているところ。 |
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| 左:もろみの発酵を促すために、櫂で撹拌する。昔ながらのカメ仕込みによる作業工程である。 |
| 中:タル式蒸留機 手造りの少量生産に向いており、タルの木の香で独特の風味が付く。 |
| 右:杜氏の里で造られた焼酎 ここでしか販売していない。 |
| 杜氏の里(焼酎づくり伝承展示館)tel.0993(63)1002 |
| 宝永2年(1705)、「甘藷翁」こと前田利右衛門が琉球より薩摩へサツマイモを持ちかえり、その後起きた亨保の大飢饉(1732)では多くの人々を救うこととなった。このサツマイモを原料にした焼酎は一般に18世紀の中頃には誕生したものと考えられている。もともと藩制時代には自家醸造が広く認められていたが、明治に入って税制の確立とともに焼酎の産業化が進み、製造技術も発展していった。戦後は麹菌や製麹機の改良、発酵糟や蒸留機の大型化によって大量生産が可能になり、昭和50年代の第1次焼酎ブームがプラス材料となって焼酎の生産量は大きく伸びた。最近の度重なる増税にもかかわらず消費の伸びは衰えず、一方で昔ながらのかめ仕込みによる手造り焼酎の良さが見直されてきている。 |