[BACK]

(写真をクリックすると大きくなります。)

2006年11月27日撮影
左:薩摩藩主、島津斉彬による、集成館事業150年を記念して鋳造された150ポンド砲のレプリカ。島津家の別邸、仙巌園(磯庭園)に設置された。後方は反射炉跡。
中:大砲を鋳造した反射炉跡。炉の温度が熱くなり過ぎ、耐火煉瓦までも溶け出し、その製造には並々ならぬ苦労があったようだ。
右:桜島を背景に、150ポンド砲の迫力が伝わってくる。右手の人間の背丈に比べて、この大砲が如何に大きいかが分かるはずだ。
 19世紀に入ると、イギリスやフランスなどのヨーロッパの強国が、アジアへの植民地拡大を目指した。1840年のアヘン戦争により清がイギリスに降伏し、香港などの領土の割譲を余儀無くされた。清の敗北は幕府、並びに薩摩にも大きな衝撃を与えた。薩摩藩主、島津斉彬は、この西欧列強の軍事力を警戒し、日本の独立を守るためには軍事力の強化を図らねばならないと考えた。
 斉彬は独力で大砲を鋳造するために反射炉の建設に取り掛かった。佐賀藩から手に入れたオランダ人による大砲の鋳造に関する手引書をもとに、苦心のすえ、1856年(安政3年)に大砲の鋳造に成功した。この大砲は1863年の薩英戦争ではイギリスの艦隊7隻に砲撃を加え、そのうち2隻に壊滅的なダメージを与えた。
 大砲は砲弾の重さから150ポンド砲と呼ばれている。砲身の口径は28センチで、全長4.56メートル、高さは3.5メートル、射程距離は3キロにもなる。実際見上げるほどに鎮座しているその姿は迫力満点で、150年も昔に、薩摩藩が独力でこの大砲の鋳造に成功したことに驚嘆してしまった。


[HOME]

DEC/21/2006/NO.15