ラルシュとラルシュ・かなの家について説明します。 |
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ラルシュ(フランス語で契約の櫃、ノアの「方舟」の意)とは ジャン・バニエは1964年に施設や病院にいる知的ハンディを持つ人たちの苦しみに触れ、そこで二人の知的ハンディを持つ人を招き、フランスの一寒村トロリーに家庭(ホーム)を創りました。たとえ施設で色々面倒をみられても「なぜ私は、家庭で生活できないのか」と言う内面の大きな苦しみに応えるために生活を分ち合おうとしたのです。これがラルシュの始まりです。 このように生活しながら知的ハンディを持つ仲間の素晴らしさに気づき始めます。愛するとはまず何かをしてあげることでなく「その人の素晴らしさに気づく事だ」と知らされます。 この人間の弱い所、最も深い所で一つになろうとする交わりを大切にしながら単純に生活し、お互いが人間として深みのあるものに成長すれば競争、争いでなく、愛をもった広い家族が生まれるとラルシュはとらえるのです。 これは、多くの人の共鳴を得、少しずつ広がりました。現在オーストラリア、ブラジル、ホンヂュラス、カナダ、象牙海岸、インド、ハンディガリー、フィリッピン、ウガンダ等2003年現在29カ国122コミュニティ−に広がっています。それぞれのコミュニティ−は異なった顔を持っていますが、弱い人を高めるために、仲間の素晴らしさを見つめ照らされ、具体的な生活、組織、交流、分ち合いを通して世界に広がる家族を現実のものにして行きます。 |
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![]() かなの家を訪問したジャン・バニエ |
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ラルシュの目的 ラルシュの目的は知的ハンディを持つ人を迎え入れるコミュニティ−をつくることです。この人たちがコミュニティ−の中心で、共に生活する人を招くのも、深い意味でこの仲間なのです。(ラルシュの憲章より)このように弱い人が「高みに挙げられる」という事は、心の問題に触れる事です。 そこで、障害があるなしにかかわらず、各自が人間的に成長する事が求められます。障害を持つ人を保護する施設ではなく、道を求める生活コミュニティ−なのです。弱い人のそばに行き、自己の弱さを見出し、弱さを受諾し、尊ぶという事はその背後に何があるか見出さなければ歩めません。 それで、ラルシュは宗教を大切にします。世界中のコミュニティ−はキリストの山上での「至福の教え」を生きようとしています。インドはヒンズ−、イスラム、キリスト教徒が共に祈り生活しています。そして、人間は、弱さを受け入れることから、人々が手を取り合って人類家族を作れるという光(希望)を灯したいと望んでいます。 弱さは確かに辛いのですが、同時にそこには神からの力が与えられるという体験を味わい深めて行こうとします。このようにして、知的ハンディを持つ人は、善行の対象ではなく、私たちを導いてくれる一人の人間として共に生きることが実現して行きます。 |
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ラルシュ・かなの家 ラルシュ・かなの家はジャン・バニエが創立したラルシュ・コミュニティ−の連盟に所属しています。 ラルシュ・かなの家は2年程の準備の後、1978年に大きな更生施設の実習所として開設しました。施設から何人かの人は就職して社会復帰できたのですが、人間関係がうまく行かなかったり、さまざまな問題がありました。施設は一時的には良いとしても一生過ごすためには人間的とは言えません。そこで、より家庭的に人間らしく生活できないものかと普通の家を使って始められました。 しかし、この形は法的援助の対象とはならず、施設から独立して歩む事になりました。自活するために仕事にかなり重きを置き進んできました。その中で仲間たちの驚くほどの変化を見たのです。しかし、仕事中心の生活では、仕事が出来ない人がどうしても重んじられず、やはり壁ができました。 ラルシュと出会い7、8年の交流から「人のつながり」「家庭の」の意味について気づかされ、さらに具体的に深めるよう少しずつ歩む事ができました。この変化が認められ、1991年に国際ラルシュに加盟が認められました。 |
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ラルシュ・かなの家の沿革
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