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表紙目次>右手使いへの変更(左利き矯正)について―レフティやすおの左利き私論2

2004.3.31

右手使いへの変更(左利き矯正)について
―レフティやすおの左利き私論 2―

1・(かつては「左利き矯正」と呼ばれた)右手使いを試みる行為について:
「〈矯正〉すべきは〈右利き社会〉」

2・「(左利きの)矯正」を死語にしよう
3・再び「(左利きの)矯正」を死語にしよう―生きた言葉として使わないようにしよう
・「レフティやすおのお茶でっせ」における左利きの右手使いに関する最新記事
4・その他の「利き手判定/判別」に関する「レフティやすおのお茶でっせ」の記事
「矯正」という言葉の不使用のお願いアピールについてのアンケート


お知らせ
『横澤彪のチャンネルGメン69』「国分太一くん、箸は右手で持とうよ」
コメント欄リンクよりお越しの皆様へ!
ブログ「レフティやすおのお茶でっせ」にて、関連記事を書いています。

2007.6.30「横澤彪氏「国分太一くん、箸は右手で…」発言に思うこと」
(2007.7.2)
第二弾!
2007.7.5「横澤氏「太一くん…」発言に見る左手、利き手差別の構造」
(2007.7.5)
メルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
第90号(No.90) 2007/7/14
「<特別篇>横澤氏「太一くん...」発言から考える」

(2007.7.17)

(初出)2003.12/2005.7.17(最終)2007.7.17

左利きの矯正について

(かつては「左利き矯正」と呼ばれた)右手使いを試みる行為について
:「〈矯正〉すべきは〈右利き社会〉」

左利きの私にとっては残念なことですが、右利きの人で左利きに関心を持つ人は非常に少ないものです。こういう数少ない人々の大半はその身内に左利きの人を持っている人々です。たとえば親友が左利き、パートナーが左利き、子供が左利きという場合です。

 そして子供が左利きという人々が左利きに関して最も知りたいことは何か。ひとつは、左利きは日常生活において不便ではないのか、人生において不利ではないのか、ということ。そして、できることならわが子には苦労させたくない、では左利きを右利きに直せないか、というこの二点です。

 かつては左利きを「右利きに直そう」とする行為は「矯正」と呼ばれ、子供が左利きとわかった時点でほぼ強制的に親もしくは教育者によって行われてきました。
 特に漢字を書き、お箸で食事をする東アジアの諸国では、この二つの行為に関してはほぼ百パーセントの割合で行われていました。
 人前に出たとき肩身が狭い、見苦しいから、親は何をしていたのかと親の躾け不足とまで言われ世間から冷たく扱われるから、社会に出たとき苦労するから。
 というわけで、せめて字を書くこと箸を使うことぐらいは右手でできるように、という親心によって。そしてその試みに失敗した子は、協調性のない子、強情な子、不器用な子等々、落ちこぼれとして劣等感を植え付けられてきたものです。

 近年、左利きは生来のもので、固有の特質、ひとつの個性として尊重されるようになり、強制的に一律に特定の作業に右手使いを行うことは少なくなってきました。無理な訓練(矯正)がさまざまな弊害を与え、マイナスに働くという考えが普及したからでしょう。

 しかし現在でもこの右手使いを試行する行為(矯正)を当然のことのように考える人がいます。特に年配の人に多く見られます。漢字は右手で書くものだから、お箸は右手で持つものだ、といった固定観念に縛られてひとつの躾けとして右手使いを行おうとする人がいます。

 ここで「漢字は右手で書くもの」という見方を取り上げて見ましょう。本来文字というものはひとつのシンボルにすぎず、具体的なものから抽象的なものへ元の形を徐々に簡略化して成り立ったもので、初めからは右に偏向したものではなかったはずです。それが右利きの人が多かったため、より右手で書きやすいように工夫され、今日の筆順や美の基準が作られていったものと考えられます。もし左利きがもっと多かったら、半々ぐらいだったら、当然違った形のものになっていたのではないでしょうか。

 「右利き社会」が作り上げたルールにすぎないのです。

 わが子が苦労するのを回避するためには、わが子を無理に社会に従わせる「矯正」ではなく、社会そのものを右利きも左利きも等しく共存できるものに「矯正」すべきなのです。

 もし仮に一部の作業で右手使いに成功したとして、右手で字が書ける、箸が使えるようになったとしても、「使える」と「使いやすい」は違います。「右手も使える」イコール「右手が使いやすい」ではないのです。

 右利きの人でも左手は使えるでしょう。しかし本当に使いやすいのはどちらの手でしょうか? 当然右手です。それが利き手というものです。

 左利きの人は左手が利き手の人です。左手が「使いやすい」手なのです。それがその人の持ってうまれた能力なのです。それを活かすのが教育です。

 もちろん非利き手も使えた方が便利なのは事実です。しかしそれは左利きの人だけのことではありません。右利きの人も同じです。左利きの子にそれを言うのなら右利きの子にも同じように指導してあげるべきです。

 私は左利きの子に右手使いを試みる行為(矯正)には反対です。無理な「矯正」は「強制」以外のなにものでもありません。

 無理な訓練(矯正)はやめましょう。ただ利き手の研究はまだまだ途上にあります。利き手が確定するのは七、八歳だという研究結果を発表している科学者がいました。

 わが子が左利きのようだとわかった時点で無理な押し付けでなく、右手も使う機会を与えることを否定するものではありません。

 ただ、本当にわが子がかわいいのなら「矯正」はわが子に施すのではなく、左利きを不利に追い込むこの「右利き社会」の方を「矯正」すべきなのです。

 「左利き宣言」で、キング博士のスピーチを紹介しました。彼はかわいい自分の子が肌の色の違いだけで差別されるということがない社会の実現を訴えました。

 もしあなたが右利きの親でかわいいわが子が左利きであれば、利き手の違いだけでわが子が苦しむことのない社会の実現こそを願うべきではないでしょうか。

〈わが子より 右利き社会に 愛の鞭〉〜左利き川柳〜


「(左利きの)矯正」を死語にしよう

「(左利きの)矯正」という言葉について考えて見ます。


「矯正」を実際に受けた左利きの人の中にはこの言葉を「強制」と呼び換え、嫌う人がいます。「強制」的に右手使いに「矯正」され、心に傷を受けた人たちです。

ここでは、そういう被害者の心理を思い図るという観点からではなく、あくまでもその言葉の持つ意味という観点から考えてみたいと思います。


アンケート「左利きイメージ調査」の報告でも書きましたように、左利きを取り巻くマイナスイメージというものを感じる人が右利き左利きの区別なく存在するのです。

この目に見えないけれど確かにある悪い空気のような存在はなんでしょうか。

その昔からいわれている左利きに対する差別的な偏見が生き残っているのでしょうか。

もしそれが生き残っているとすればそれはどのようなところにあるのでしょう。

一番の根源は、実際の左利きの人を知らない右利きの人たちが抱いている、昔からの左利きに対する考え方に基づく誤解や偏見の類でしょう。

そして私は、「(左利きの)矯正」というこの言葉の存在自体が、それらの誤解や偏見を助長し、これらの悪い空気を醸成するのに一役買っているのでは、と考えています。

「「右利き」または「利き手」の問題を考える」という記事でもふれましたように、

「矯正」とは、

「欠点などを正しく改めさせること。まっすぐに直すこと。/「歯列―」「非行少年を―する」-三省堂国語辞典

本来、この「矯正」という言葉は、「善悪正邪」という価値判断を含む言葉であり、この言葉を使う「行為」はすなわち善であり正しい行為であるわけです。

視力矯正、歯列矯正、さらには先日見た新聞広告の本の題名「少年A矯正2500日全記録」のように、年少犯罪者の矯正という場合など。

では左利きの子が左手で箸を使ったり、字を書いたりする行為は悪いことなのでしょうか。

確かにかつては左手で箸を持つ行為は、無作法であり、見苦しいとされたこともありました。

字は右手で書くものだ、という考えもあるようです。

(また、今でも一部の宗教や作法の流儀の中には、左手使いをタブーとするところもあるようです。しかしそれはあくまでもそれらの人たちの間でのことでしょう。ローカルルールとしては尊重すべきかもしれませんが、決してグローバルスタンダード、世界的な標準ではないはずです。)

そのような時代にあっては、この言葉が正しい用法であったでしょう。

しかし今は違います。左利きの成因が脳神経科学の発達から生来のもので後天的に変えられるものではないと判明し、固有の性質として認めるべきものであると考えられるようになりました。

もはや現代では、左手使いは悪いこととは考えられていません。

ゆえに左手使いを右手使いに変更する―直す?―必要はありません。

しかし、左利きの人のなかにも、その偏り具合に差があり、人によっては右手も使える人がいるというのも事実です。そういう可能性を認めて、右手使いを試行する―試みる―ことを否定するものではありません。

ですが、その行為を「善/正しい」と考えるわけではありません。

それゆえ、この行為を「(左利きの)矯正」と呼ぶのは適切さに欠けた表現というべきで、左利きに対しなんら知識を持たない人に誤った先入観を与えることになります。

ではかわりにどのような言葉を使うのがよいのでしょう。

最もふさわしいものは、中立の立場にたったもので簡単な言葉であるべきでしょう。

私の考えでは「右手使いを試みる」というものです。

これならこの行為はあくまで、試行であり、訓練ではないので失敗に終わっても本人もさほど傷つくことはないでしょう。

「訓練」といってしまうと努力によって成否が左右されるような気がします。失敗する子は努力が足りぬと受け取られるかもしれません。

さて皆さんはどのように思われますか。

みんなで考えてみたいものです。

「レフティやすおのお茶でっせ」2004/4/2記事より
再び「(左利きの)矯正」を死語にしよう
―生きた言葉として使わないようにしよう

結論:「(左利きの)矯正」を「生きた言葉」として使わないようにしよう。

かつて「(左利きの)矯正」と言う言葉が使われていたが、というふうに「過去における歴史的表現」として使用する。

例文:私は左利きの子に右手使いを試みること(かつてはこれを「(左利きの)矯正」と呼んだ)を否定するものではありません。

今読んでいる『新・脳の探検』下巻(フロイド・E・ブーム他著中村克樹/久保田競監訳 講談社ブルーバックス

―ちなみに「利き手と大脳半球」というコラムがあります。左利きについて簡単に知りたい人は、立ち読みできる分量ですので一度のぞいてみてください。(本屋さん、ごめんなさい!)文化の影響についての記述では「右手でするように強制します」という表記が見られます。―

での統合失調症の記述は、見出しで「統合失調症(精神分裂病)」と記載されています。そしてこの項目の最初の部分で訳注が入り、「2003年に日本精神神経学会では精神分裂病を統合失調症とよぶことにしました」とあります。そして以後はすべて「統合失調症」の一語のみで記述されています。(別項目で記述されているときは「統合失調症(精神分裂病)」)

これに倣ってもよいのではないでしょう。

成人病も生活習慣病に名称が変更されました。実態を正確に反映していないという理由で。テレビの健康番組などで紹介されるときは、「生活習慣病、以前は成人病と呼ばれていた病気ですが」といった説明がされています。

トラックバックをいただいたひでゆきさんの主張されるところは、

<Webを使った発言の場だから>、<「左利き 矯正」などの検索語でサーチエンジンを使う>人のためにあえて使う、というものです。

私はWebについてもコンピューターについても素人ですから詳しいことは知りませんが、機械的検索ではその言葉が「生きた言葉」として使われているか、「死んだ言葉」として使われているかに関わらず、拾ってくれるのではないでしょうか。

多少わずらわしくても、上記の例に倣って「過去における歴史的表現」として、括弧書きの注意書きとして封じ込めてもよいのではないでしょうか。

各ファイルの冒頭でのみ1箇所このような併記をすれば、以後はその注意書きを省いてもそのファイル自体は拾ってもらえるのでは、と考えています。

それともこの方法では技術的に無理なのでしょうか?

もう一点の<言葉だけ言い換えて安心したくないから>に対して。

私は単に言葉の言い換えだけで満足しているものではありません。
これは過渡期におけるひとつのプロセスです。
小さな一歩かもしれません。しかし確かな歩みになるはずです

私の最終目標はあくまで左右共存社会の実現です。

そのために途中ブランクはありましたが十数年前から、新聞を発行したり小冊子を発行したりしてきました。確かに世間でその活動を知っている人は非常に少なく、一般の方々には信じていただけないかもしれませんが…。

しかし、これからも一時的に諸事情で休むことはあるかもしれませんが、左利きあるいは利き手の問題を自分のライフワークとして活動してゆくつもりでいます。

(さてさて自慢話は別にして、本題です。)

私がこのたび、「(左利きの)矯正」という言葉を現代において「生きた言葉」として使わないようにしたいという考えは、次代を担う子どもたちにマイナスのイメージを与えたくないからです。

子供たちにはよいイメージを持って育って欲しい、のです。子供の心は明るく清く育てたい、ということです。

左利きの子どもに左利きに対してマイナスのイメージを与えたくないのです。

私が小さい頃は残念ながら左利きに対してマイナスのイメージがいっぱいある中で育ってきました。当時はそれが左利きに対する平均的な反応でした。

それゆえに今でもかなりのコンプレックスを持っています。

これはいいことではありません。何かにつけてマイナスの反応しかしない人間になってしまいました。

(さて私のことは横に置いて、本題です。)

先の文章でも書きましたように、「(左利きの)矯正」という言葉は、現代においては不適切な用語です。これはどなたもご理解いただけると思います。

(ひでゆきさんもそのサイトで<利き手は「直すべき癖や習慣」ではないわけで、本当は矯正という言葉は不適当なのですが>と書いておられます。)

言い換えれば言葉の「誤用」です。

誤りを正して、左利きに対して誤ったイメージを与えないようにしたいのです。

単に言葉狩りをしようとか、この言葉に対する好き嫌いや快不快でいうのではないのです。

近年の子育て相談においても、この言葉を相談の依頼者側が使うことはあっても回答者側が使うことはまれになっているようです。

世の中には実際の左利きについてご存知でない方がまだまだおられます。わが子が左利きと判り初めて左利きの人間を見たと言う方もおられます。

「(左利きの)矯正」の「矯正」という言葉がどういうものか知ったときに、生半可な知識でさも「右使いが正しい」と判断する人が現れないとも限らない、と思うのです。(杞憂に終わればよいのですが。)

従来一般名詞として使われてきたから状況が変わってもそのまま使い続けるのは、私には単なる怠慢に思えます。より適切な言葉を考えるのが言葉を道具とする人の取るべき態度だと考えます。

過去にいろんな言葉が実情に合わせて置き換えられてきました。この言葉だけを例外として放置する必要はありません。

私はこの言葉を使うなというのではありません。過渡期においては併用し、この言葉を使う人一人一人が注意書きを添えて言いかえを促進していただきたいと考えるのです。

ひでゆきさんは<「社会が変われば言葉はあとからついてくる」という考え方を私も信じています。>と書いておられます。

しかし「言葉から始まる」ということもあります。

ひでゆきさんにももう一度考えていただければ、うれしいのですが…。

いえ、もちろん、ひでゆきさんだけではありません。

何も考えていない人が大勢おられます。

というより、問題であることをご存じない人、気付いておられなかった方と言うべきでしょうか。

皆様にももう一度この機会に、この問題を頭の片隅で結構ですから、気にかけていただければうれしく思います。


言い換え表現について

1 善悪正邪あるいは正誤といった内容を伴わない、中立な言葉

2 失敗したのは努力が足りなかったせいだ、といった気持ちにさせない言葉

3 感情を刺激しない言葉

4 日常使うような平凡な言葉

5 子供にもわかるような平易な言葉

といった点に注意すればいいのではないでしょうか。

私は、

右手を使ってみる

右手使いを試みる

右手使いを試行する

ぐらいでよいのではと考えています。

「練習」はセーフかもしれませんが、「訓練」はやめたほうがよいように思います。

亜希子先生に歌って欲しい―
♪よ〜くかんがえよ〜 ことばは だいじだよ〜

「レフティやすおのお茶でっせ」2004/4/7記事より
「レフティやすおのお茶でっせ」における左利きの右手使いに関する最新記事
2004.11.26 「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
2004.12.8 左利きを右手使いに変えさせる理由
その他の「利き手判定/判別」に関する「レフティやすおのお茶でっせ」の記事
2004.5.13 子供の利き手を見極めよう
2004.5.17 「左利き矯正」成功者は利き手誤認?

(2004.10.16)
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