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表紙目次>小・小説「窓女(マドンナ)part3−気まぐれな黒い魔女」

窓女(マドンナ)part3−気まぐれな黒い魔女 暗 夜彦
(くらがり やすひこ)

表通りに面した喫茶店の二階、大きく取った窓から午後の陽射しが豊かに店内にあふれている。ただ突き当たりの一画だけがデルタ状に陰になっていた。その突き当りの窓際の席にひとりの女が座っている。腰まで届く豊かな髪がシルエットのように身を包んでいる。すべての光を、輝きを飲み尽くしてしまうような黒髪。それは宇宙の暗黒そのものを身にまとっているよう。対照的なのは、今まさにブラックホールに飲み込まれてゆく星の最後の輝きか、あるいはあふれ出る鮮血かと思わせるシャツブラウスの赤であり、黒いタイトスカートから伸びて赤いパンプスにいたる異様に細くひきしまった脚の白さ。わざとであろうか、陰の部分に隠れるようにテーブルから少しずれた位置に腰を下ろし、その自慢の脚を見せびらかすように高く組んでいる。ひときわ鮮やかに人目を惹く。髪の間からのぞく細面の顔も蝋のように白い。飲み物を口に運ぶたびに開く、冷酷さを漂わせる薄い唇のその赤さは、血を舐る吸血鬼のそれのように鮮やかだ。ときおり窓の外にやる視線は鋭く、見る者の血を凍らせるような冷たさが秘められている。
 何かを待っているというわけでもなく、女は席にたたずんでいる。
 しばしの時がすぎてゆく。
 ウィークデーの午後の穏やかな時間が窓外をすぎて行く。幼児を自転車の後ろに乗せて買い物に行く若い母親。黒いバッグを手にしたスーツ姿の営業マンらしき男たち。カートを引いて歩く少し腰の曲がり始めた年配の婦人。客待ちの店員が店の前の歩道に出て、道ゆく人を見るともなく見つめている。
 店内では、あちらに二人こちらに三人の客。朗らかに笑いながら午後のお茶を楽しむご婦人方。なにかの打ち合わせらしいスーツ姿の男女。文庫本を手にときおり窓外に目をやりながら暇つぶししているらしい若者。閑散とした午後の喫茶店のたたずまいそのものであった。
 と、女の視線が止まる。窓外のある光景に。
 喫茶店の向かい側の歩道を一組の若いカップルが歩いている。淡い茶髪を長めのボブにして濃茶に黄色の横縞の手編み風のセーター、薄茶のチノパンに白いスニーカーの女性は、決して美人とはいえないがふっくらとした丸顔に量感のある厚めのくちびるがキュートな魅力となっている。男は短かめの立てた髪にジージャンとジーンズに黒いスニーカー、目鼻立ちの整ったすらりとした細面がクールな二枚目を連想させる。
 それとなくお互いの身体にまわされた腕と腕。ごく自然に歩を運ぶ男女。一陣の風が女の髪をもてあそぶ。頭を振って髪を直そうとする女の目が男のそれと出会い、一瞬見つめあう。
 (跳べ!)
 心の中で叫ぶ声。
 それまでカップルを見つめていた女の視線が、何気なくもてあそんでいた飲み物のストローに止まる。と同時に、小気味よい音を立ててそのストローを手折る。
 次の瞬間。
 首!
 生首が跳んでいた。髪をなびかせた人間の生首が、下端のちぎれた首筋から大量の鮮血を滴らせながら。
 ドン、という量感のある落下音。
 誰かの発した絶叫。
 街路を行きかうクルマの急ブレーキの音。
 喫茶店内では、ウェートレスが食器を取り落とし粉々に砕け散る音。
 客席の人々の声を呑む音。
 それらすべてが不思議に静かに流れてゆく。サイレント映画の中の一場面のように。
 今や世界の中心と化した歩道の上で全宇宙と対峙することを拒否しているように、ただひとり呆然と立ちすくむ男。顔面は血を浴びて真っ赤に染まりながらも、その胸には一瞬のうちに首という主を失くしてとまどう女の胴体がもたれかかっており、腕はまだあたたかいその身体に回されている。首の付け根から流れ落ちる血が、歩道に噴水のように飛び散った血と合流してくぼみに池を作ろうとしている。
 街角に起こった混乱の数々――どこから沸いて出たのか不思議なほどの人の群れ。
 救急車が、パトカーが駆けつけ、通りがかりの野次馬のクルマが行き交う中、周辺のあちこちの扉から多くの人が姿を現し、見物し、去って行く。人垣は大きくも小さくもならず、人がごった返す街路。
 まさに特等席ともいうべき位置で高みの見物を決めていた女が席を立ち、階段を下りる。外の様子が気になるらしく半ば上の空でお勘定をすますレジの女の子に、女は酷薄そうな笑みを見せ、マントでも羽織っているように長い髪を身にまとい、ドアを抜ける。店を出ると、事故の現場を取り囲む人垣に背を向けて、押し寄せる人ごみの前に立つ。
 (跳べ!)
 もう一度、心の中で叫ぶ。
 いつしか、まるで女王様を通すために絨緞が敷かれてゆくように、人ごみの中に一筋の道が開かれてゆく。その中を女は悠然と歩いてゆく。周りの人はさもそれが当然というように道を譲り、氷原に切り開かれた細い水路を行く砕氷船のように、女は何の障碍にも出くわすこともなく、自然に開かれた道を行く。
 人々は女の去った後も女が通り過ぎたことを意識していないように事故の現場へ少しでも近づこうと前へ前へと詰めて行く。

 その日の夕刊には、喫茶店の前の歩道で起きた今回の事件と、それに関連があると思われる過去に起こった数件の同様の“かまいたち”事件のことが詳しく報じられていた。
 しかし、これらの事件に共通する事柄として挙げられたいくつかの事実のうちには、あるひとつの事実のみが欠けていた。
 それは、これらの事件の発生した時に、常に事件の現場付近で髪の長い女の姿が見られたという事実である。

 ―終―
1988.2.2, 2003.11.15

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『モノ・マガジン』2009年2月2日号No.598(ワールドフォトプレス)
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※参照:2009.1.15記事
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