パラリンピック応援歌を贈ろう

   1998年3月開催された「長野パラリンピック大会」その応援サポーターとして、 私たちリトルウェーブの会は発足しました。 主にパラリンピックへの関心を高める ことを目的に活動をしました。
 世界的な人気スター、ジャッキ−・チェンからの応援メッセージを大会の公式HP に掲載。
 IOC委員・猪谷千春氏や、前サッカー日本代表の岡田監督、さらにオリンピック メダリスト、長野パラリンピックの代表選手を招いての 応援チャリティー・イベント を開催。 その他、新聞でのメッセージ広告やバリアフリー・コンサートなど多くの 方々のご協力で実現しました。

  長野パラリンピック大会は、日本選手の活躍もあり大いにマスコミにも取り上げられ、 大成功を収めることが出来、微力ながらサポート活動をした私たちも大変嬉しく思い ました。
 障碍者の方がよく言う言葉は「不自由だけれど、不幸じゃない」です。 まさに、 アトスリートたちは、サポート器具を自分の体と一体化して各競技に挑戦しました。
 競技中の真剣な眼差し、終えた後の充実感あふれる笑顔が、その「メッセージ」を、 多くの人々に伝えるとともに熱い感動を与えました。

 長野大会から1年5ヶ月後の1999年8月20日   「日本パラリンピック委員会」が 設立され、日本の障碍者スポーツのリーダ的存在として、パラリンピック・アスリート たちへの支援体制が整いました。
 今回のシドニー・パラリンピック大会へは、アトランタ(1996年)の約2倍の150 人の選手を派遣する予定です。
 出場する選手やコーチへの支援は問題ないのですが、どうしても予算の関係でPR (宣伝・広報)が不足がちになります。 シドニーでも、パラ(もう一つ大切な)リンピ ックが開催されること、日本選手団が参加することなど、大いにPRすべきであり広く 関心を持っていただける様にしなければと思っています。
 私たちリトル・ウエーブの会は、自分たちに何が出来るかを論議しながら、一生懸命 考えました。 そして、達した結論は”日本代表選手へ応援歌を贈ろう!”でした。
 それはきっかけでした。ゼロからのスタートでした。 まず、私たちの大好きな日本 のbPアカペラグループ・VOJA(THE VOICE OF JAPAN)のリーダ 亀渕友香さんに お話をすることから始まりました。
私たちは熱意いっぱいに、この企画へ是非参加していただくことを亀渕さんにお話をし ました。
 しばらくして、内諾を得てからは、レコードプロデューサ、作曲家、作詞家と、その 輪が広がって、ついに私たちが念願していた「シドニーパラリンピック応援歌」が作成 されることになりました。(200年9月8日発売予定)
 でも、まだやらなければならないことがあります。 それは、同じ楽曲で、英語版を 作ることです。
 私たちが長野で実際に出会った”全世界から集まったパラリンピックアスリートたち” は、心優しく誇りに満ちたとても素晴らしい選手たちでした。
 昔々「オリンピックは参加することに意義がある」と言われていました。 でも今や オリンピックは、商業主義の大会になり、国と国のメダル争いに変わり、その精神は残 念ながら存在が薄くなってしまいました。
 しかし、ありました。 長野パラリンピック大会で私たちは「パラリンピックは参加 する事に意義がある」を強く感じることがありました。 観客の応援・拍手は、日本選手 にというのではなく、出場した全世界の選手におくられていました。選手たち一人ひと りも自分の最大限の力を出し、挑戦した清々しさがそこにはありました。 まさに参加 した自分を誇り、闘った相手を称え合う姿を見ることが出来ました。
今企画は、シドニーパラリンピック大会へ出場する日本選手団への応援歌であり、また、 全世界から参加するパラリンピック・アスリートへの応援歌になればと思っています。

 そして、21世紀のバリアフリー世紀に向けて、障碍を持ちながら、日々努力し、日々 挑戦するアスリートへの応援歌として、何年も何十年も、歌い継がれていくことが、私た ちの夢でもあります。

<<売上の一部は、永遠に障碍者スポーツ基金として、チャリティーされます。>>

小さな波動「リトルウェーブ」がいつまでも、どこまでも広がり「愛いっぱいの素敵な 「ウェーブ」になることを心から願っています。

リトル・ウェーブの会 会長 坪井 広