影のなか、わたしは弟を引きずっている。夕暮れ、枯れた芝生。茜色に輝く芝生の上、廃墟が巨大な影を落としている。鋭角三角形の影のなか、わたしは弟を引きずる。襟をつかみ、渾身の力を込める。だらりと手足を伸ばしたまま、弟は眠るように瞼を閉じている。
この辺りでいいだろう。襟をつかんでいた手が軽く痺れている。目を近付けても、夕暮れに染まった手の平がどんな色かはわからなかった。わたしは弟を残し、廃墟に向かう。十二階建てのビルが逆光に黒い影となって屹立している。風に額を撫でられ、視線を下げると、芝生の上に赤黒い痕があった。弟が落ちた場所から足下まで、血の痕が長々と蛇行している。
わたしたちは双子、二卵性の姉弟。同じ日に生まれ、同じ水を飲み、同じリズムで呼吸してきた。けれど、わたしは柘榴をついばみ、弟は青葡萄をちぎった。ある晩、二人は夢をみた。町外れの廃墟、十二階建てのビルから落ちる夢。
芝生の上に立っていた、と弟は言った。夢のなか、ぼくは枯れた芝生をみつめていた。巨大な影の先端が動き、振り仰ぐと姉さんがいた。屋上に姉さんが立っていた。逆光に翳っているけれど、微笑んでいるようだった。手を振っている。さようならをするようにゆっくりと、大きく右へ、そして左へ。
急に、腕の動きがとまった。なにかに驚いたのか、影の中で顔つきがゆっくりと変っていくのがわかった。そのとき、気付いた。手すりが途切れている。屋上の手すりが、錆び朽ちて途切れてる。目眩がしたみたいに顔を手の平で覆って、姉さんは肩を捻らせた。ひらり、白紙みたいに宙を揺らいだ。
わたしは暗い階段を上がっていく。煤けた窓硝子から射し込む夕陽が、溶鉱炉のように赤い。急がなければ、日没を迎えてしまう。わたしは暗い階段を上がりながら弟の夢を思い出す。手の平についた弟の血が乾き始めている。
姉と弟、二卵性の双子だけれど、わたしたちはよく似ている。あの廃墟に行ってみよう、と弟は言った。夢の中で、姉さんがなにに驚いたか確かめてみよう。微笑みながら弟は、わたしの手をひいた。大丈夫、ぼくが姉さんの代わりに屋上へ行くから。
二人はいつも二人きりだった。閉ざされた家の中で二人きりだった。ある晩、わたしは夢をみた。わずかな瓦礫しかないコンクリートの平面が、柿色に照り輝いている。世界の境界を示す鉄の手すりが一部分だけ朽ち錆びて途切れていて、わたしはそこへ歩み寄る。
地上に枯れた芝生が広がっている。ここは屋上だ、十二階建てのビルの屋上だ。遠く小さな人影が振り返る。わたしはゆっくりと手を振る。大きく右へ、そして左へ。暗い影の中、たたずむ人影は見分けがたい。
目を凝らす。そこにいるのは、わたしだった。わたしが芝生の上にいた。夢の中、わたしはわたしではなく、弟だった。弟になってビルの屋上から廃墟の影を見下ろしていた。信じられないほど遠く、信じられないほど細長い影が左右に手を振っている。それは不意に動きをとめた。
屋上に立つ。既に西の空は夜の色に染まっていた。日没がやってくる。急がなければならない。わたしは手すりの途切れているほうへ向かって歩いていく。早く、早く。日が沈んでしまえば影は消える。影が消えれば、わたしは飛び降りることができない。
そう言って姉は虚ろな目をした。ぼくの顔を虚ろな目でみつめたまま黙り込んだ。ぼくは微笑みながら言った。行こう、あの廃墟に行こう。大丈夫、ぼくが姉さんの代わりに屋上へ行くから。
姉は柘榴をついばみ、ぼくは青葡萄をちぎった。ぼくは屋上の縁にたたずむ背中をみつめる。なにもない芝生を見下ろし動揺している姉をみつめる。腕を伸ばし、空隙を埋める。残照に染まった血のように赤い背中を抱いて、二人は十二階建てのビルから落下する。陽が沈み、影の中の二人は誰にも見えない。