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そのころ,私は高校三年生。近所の友達が結成した「ピピ&コット」というフォークバンドの一員として,エレックレコードで活動していた。今でいうインディーズのはしりともいうべき伝説のエレックで、アーティストとしては吉田拓郎さんの次のデビューだった。
しかし、バンドはヒット曲というものもないままに解散。同時期にエレックレコードも倒産。二十歳そこそこの世間知らずは、音楽が好き、ギターを弾くのが好きなだけで、これという野心も持たぬままにレコード会社、事務所を移籍。「二人旅」「風」の二枚のシングルをリリース。
一九七〇年台も後半、アメリカではベトナム戦争も終わるころ、音楽もメッセージ性の強い歌から、多種多様のスタイルの流れが生まれていた。アメリカに行きたい。音楽も本も映画もファッションも全部アメリカが教えてくれた。1ドル330円のころのたった一人のアメリカ。自作の数曲のうたとギターと片言の英語しか持たぬ女の子は、身も心もボロボロになって一年後に帰国。それ以来20年間、歌うことをやめた。ギターも忘れた。歌わなかった時代の事を今、話すつもりはない。
3年前、旧知の高田渡氏から、「どうだい歌ってみないかい?」。歌える歓びとは裏腹に、私はあまりの緊張にステージで立ちすくんだ。渡さんごめんなさい、あの時は…。私はあらためて、その日からもう一度、歌うということを、その意味と自分自身を見つめ直し始めた。
70年代に活躍していたアーティストたちが、再び活動を始めている。私にはそれだけの実績もましてヒット曲もないけれど、「もし歌う役目があるなら歌いたい」と思うようになった。ギターは優しく正直につき合ってくれた。言葉は現在(いま)の私自身を、社会を、人間を表現したいと騒ぎ始めた。
小さなライブハウスで30〜40人の前で歌っている。かつて何千人という観客の前で歌ったこともあったような気がするが、今もそして多分昔も、私はいつもたった一人の人に向かって歌いかけているような気がする。彼であり彼女であり、あなたへなんだ。その思いがある間は私は歌わせてもらえると思っている。最近作った「あなたは焚き火に照らされて」という詩の最後に“失敗したところから、歌いだすから、どうか焚き火のそばにいて”のフレーズ。四半世紀という時間に感謝をして、今日もギターを抱きしめている。
メモ 佐藤公彦(ケメ)、丸山圭子を輩出した5人組フォーク“ピピ&コット”は、日本テレビ主催のコンテスト「歌のチャンピオン」で優勝し、デビュー。メッセージ性の強いフォークグループの中にあって、きれいなメロディーとハーモニーに特徴のあるグループだった。特によしだの声質が魅力である。
中日新聞より
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