| 御崎 濯 |
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舷側の丸い窓から、波の音が聞こえる。 船のこちら側が月に面しているらしく、白い光が細く床の上に流れて、のび縮みを繰り返していた。 狭い寝台に横たわっていたマテリアは、その音と光に背を向けて壁の方を睨んだまま、小さくため息をついた。試しに瞼を閉じてみるが眠れるわけもなく、またすぐに開いて、薄闇を見るともなく見つめる。 (…なによ) 胸の中で、小さく呟いてみる。もう一度瞳を閉じる。その闇の中に、見慣れた──見慣れすぎるほど見慣れた姿が、見慣れないひとと並んでいる光景が浮かび上がる。 例によって、ふいと家から姿を消してしまったドールを探して、彼女ははるばるこんな遠いところまでやってきたのだった。ベン・マルキストが途中まで道案内をしてはくれたが、それもまた例によっていきなり姿を消してしまい、その後は彼女一人で道をたどらなければならなかった。 ドールと一緒に冒険をしている時は、けがや体の不調はほとんど彼の魔法で治すことができる。それに慣れきっていた彼女にとって、久々の魔法に頼れない旅というのはかなり厳しいものだった。いくつものダンジョンを抜け、トラップをかわし、さんざん苦労をしたあげく、ようやくのことで彼に追いつくことができた。 そして、いつものように一緒に戦い──冒険が終わって一段落、という時になって、彼女はその冒険が「いつも」とは違うことに気づいたのだった。 (ドール──) 目を閉じたまま、二段ベッドの下の段で眠っているはずの彼の気配にじっと耳を澄ます。静かな呼吸音だけが規則正しく繰り返されているのが聞こえる。 「彼女は、ミルローズ」 ハワードの元から助け出したその少女を、ドールはそういってマテリアに紹介した。 「彼女も、魔法人形なんだ」 ドールの口調が、どこか嬉しそうな──そして、少し照れたような響きを帯びて聞こえたのは、マテリアの気のせいだったのだろうか。 「僕の他にも、魔法人形がいるとは思ってもみなかったよ」 「あたしは、ドールのこと知ってたよ。あのばか親父に一泡吹かせたすごいのがいるって」 ミルローズの声は、少女めいた軽やかな響きだ。マテリアよりは少し背が低い。ドールと並ぶと、肩のあたりに彼の頭がくる。長い髪をポニーテールにきりりと結い上げて、身軽に動き回るさまは、まるで気ままな小妖精のようだ。 「ばか親父はよかったな」 「ふん」 ミルローズが、笑いながら鼻を鳴らす。 「親父なんてのがどういうものか知ってるわけじゃないけどさ、とりあえずそう言ってた」 「まあ、人間の親っていうのとは違うよなあ」 ドールが、まるでもうずっと前からの知り合いのように、くつろいでミルローズと話しているのを、マテリアは複雑な思いで見ているしかなかった。 自分が「人形」であること──マテリアと話す時も話題には出すが、用心深く──彼女が気を使わないように、先回りして言葉を選んでいる気配がある。なのに、ミルローズと話す時はごく気楽に口にして、当たり前のように通り過ぎている雰囲気なのだ。 (私じゃだめってこと──?) (何年一緒にいても、どんなに一緒に冒険してても、私じゃだめってことなの?) (あの子となら、すぐに分かり合えるっていうの?時間なんか関係なく──?) マテリアは、つよく目をつぶった。 (私は魔法人形じゃないから、ドールのこと──ほんとには分からないってことなの?そんなの──) (そんなの、あんまりじゃない) 瞳を開いて、闇に目を凝らす。 「…ドール…──」 「ん──?」 我知らずぼんやりと漏らした微かな呟きに、思いがけず返事が返ってきた。 マテリアは、驚いて体をこわばらせる。 「……お、起きてたの?」 「ああ」 「ね、…寝てるかと思ってた」 「うん」 あまり要領を得ないドールの短い答えに、寝ぼけているのかしら、と、マテリアは少し首を傾げた。そおっと身体を起こして下の段を覗きこむ。 と、腕を頭の下に敷きこんで仰向けに寝ころんでいた彼と、まともに目が合った。 「……!」 慌てて頭を引っ込めると、マテリアは寝台の上に起き直った。鼓動が、少し早い気がする。彼女は、ちいさく咳払いをすると、言い訳をするかのように、口早に呟いた。 「…わ、私、ちょっと――甲板に出てくるわ…なんだか、眠れなくって」 言い終えるや否や、2段ベッドの上段からするりと滑り降りてドアにとりつく。 「…おい――」 ドールの声には構わずにノブを引き、外に出て後ろ手に扉を閉めると、彼女はひとつ息をついた。かすかにきしむ床板に気を使いながら、甲板への階段に向かって歩き出す。 甲板の上には、白々とした月明かりが降り注いでいた。少し横風が出てきたらしく、時折船体が大きく揺らぐ。マテリアは、三つ編みをほどいた髪が吹き散らされるのにも構わず、船縁にもたれかかって海面を見下ろした。我知らず、深いため息をつく。 (ほんとに、もう――) (心、狭いわよ、私ったら…――) せっかく、ドールがああして心を許せる仲間に出会えたのだから、素直に喜んであげればいいのに。 ドールがミルローズと話していると、何となく近づきにくい気がしてしまう。3人で一緒にいても、何の差し支えがあるわけでもないのに…。 「…あんまり下ばかりのぞき込んでて、落っこちても知らねーぞ」 微かに甲板を踏む音が近づいてきたと思うと、そんな声がした。ドールの気配が分からなかったわけではないが、それでもやはりふっと息をのんで、半分だけ振り返る。 彼は、夜着というほどではないが軽い普段着のシャツの上から、いつものマントを引っかけていた。何と言うこともなく目を合わせづらくて、また波立つ海面を見下ろす。 ドールは、ぶらぶらと彼女の隣へやってきた。彼の背では舷側まで届かないから、下をのぞき込むわけには行かない。ドールは壁に背を持たせかけるようにしてマストを見上げた。白い帆が風をはらんでふくらんでいる。 「…けっこう、風、あるんだなぁ…」 独り言のように、彼が呟く。 「かなりスピード出てるんだろうな。こんな何にもない海の上だと、よく分かんないけどさ」 マテリアは、ドールの言葉だけを聞きながらじっと水面をにらみつけていた。そう、かなりの速さで船は進んでいる──間もなく、彼が──そしてミルローズが目指している、マハルの国に着くのだろう。 「……よかったわね」 言葉は、勝手に唇から滑り出ていた。 「…?」 ドールがこちらを向く気配がする。 「…こんどの冒険は、ずいぶん──収穫あったじゃない」 何を言っているんだろう、といつもの自分がぼんやり自分を見つめているようだった。 「仲間の──女の子とも会えたし。…よかったじゃない、可愛い子で」 少し、間があった。 「…可愛い、かな。──ずいぶんきかん気みたいだけどな」 「でも、嬉しいでしょ、仲間に会えたんだもの。これで、一緒にマハルの国に行けたら、言うことなしよね」 (何言ってるの) 心の中で、叫ぶものがある。 (そんなこと思ってもないくせに) (あの子と一緒になんか、行って欲しくないくせに) こぼれ出てしまった言葉は、取り戻すわけにはいかない。マテリアは、ちいさく唇をかみしめた。 さっきよりも、長い間があった。こちらを見ていたドールが、ゆっくりと前を向き直る気配がする。 「……魔法人形の仲間を見つけるために、旅してたわけじゃないぜ」 いつもより、少し低い声で、いつもよりゆっくりと、彼が呟いた。マテリアは、ふと息を止めて、全身で彼の声を聞く。 「……わかって、ねーかな…なんで──」 ためらうかのように、短い沈黙が落ちる。 「──…どうして、僕が人間になりたい、なんて言うのか……」 ざあ、と波が舷側に砕ける。 マテリアは、そおっとドールの方を横目で伺った。しかし、彼の顔は陰になっていて表情は見えない。 (…どうして、って──) マテリアは、ふと息をのんだ。今まで、考えてみたことがなかったのだ──彼が、なぜ人間になりたいと望むのか。いや、ドールが自分でその望みを口にしたことさえ、これまでなかったような気がする。なんとなく、自分も、そして周りの人たちも、分かっているような気ではいたが、思い返してみれば彼がはっきり言葉にして誰かに伝えたことがあったわけではない。 「…そりゃあ、さ──ミルローズに会えたのは…嬉しかったけど。今まで、他にはいないと思ってたんだから、魔法人形なんて。だけど──」 少し低い声で話す彼の言葉を、マテリアは息をひそめて聞いていた。 「…それで、いいなら──仲間が欲しいだけなら、マハルの国なんか探しやしない」 マテリアは、少し息を詰めて、じっと波を見つめ続ける。 しばらく、ドールの言葉がとぎれた。 マテリアは、もう一度ちらりと彼の方を見た。ドールは、さっきからと同じ姿勢のまま、けれどもうマストを見上げているわけではなく、少しうつむいて甲板の上に視線を落としているようだった。 「…だけど」 沈黙に耐えきれなくなって、ついマテリアが口を開く。 「…仲、いいじゃない──あの子と」 また、口から滑り出てしまった言葉に、彼女はすぐに後悔した。 だが、ドールは何も言わない。黙って、船の揺れに身を任せているばかりだ。 答えの返らない不安に耐えきれず、マテリアは、彼の方を見ないままで、さらに言葉を重ねてしまう。 「…なんか、すごく気が置けない様子だし。お互いのこと、すぐに分かっちゃうみたいよね──会ってから、ほんの少ししか経ってないのに。やっぱり、ふたりっきりの仲間だと思うと、特別な──」 「──じゃあ、マテリアは」 言わなくてもいいことまで言ってしまいそうだった彼女の言葉を、不意に短くドールが遮った。 「マテリアは、同じ人間同士なら、誰でも好きになれるわけ」 「──え」 ふと息を飲み込んで、思わず彼の方を振り向く。ドールは、さっきまでと同じ姿勢のままだ。 「…人間でなきゃ───だめなわけ」 「え」 低い低い声だった。よく聞き取れなくて、マテリアが身を起こして彼の方に向き直ろうとした時──うち寄せた大波が、船を大きく揺すぶった。 「──きゃ…」 バランスを崩しかけてとっさに引いた右足が、舷側の支柱にひっかかる。目の前が、ぐらりと傾いた。さすがの彼女も、一瞬目をつぶる。が、次の瞬間強く腕を引かれて、どさりと倒れ込んだのは、堅い甲板の上ではなく、柔らかい手触りの上だった。 「──!」 弾かれたように開いた瞳に、ドールの青い髪が飛び込んでくる。マテリアは、彼の胸に倒れかかるように支えられているのだった。 いつもなら、真っ赤になって腕を振り払い、飛び退くだろう。ドールも、笑って皮肉を言いながら、すぐに離れてしまうだろう。けれど── 腕を支えてくれている彼の手を不意に強く意識しながら、マテリアはごく間近にあるドールの瞳を見あげていた。いつもは見下ろしている淡い緑色の瞳に、月の光が射し込んでいるのを、不思議なものでも見るように見つめる。 もたれかかっている胸から、彼の温もりが伝わってくる。 ふわりと、マテリアの鼓動が跳ね上がった。 幾度かためらってから、彼女は投げ出していた腕をそっと持ち上げて彼の手に触れた。黙ったままだったドールの瞳が、はっと揺れる。 「………どうして───なりたいの…?」 波の音は遠くに退いて、痛いほどの静寂があたりを満たしているかのようだった。 互いの瞳から、互いの瞳を離せないまま、近く近く相手の鼓動を感じながら見つめ合う。 「……僕は…」 見たことのないような不思議な色の瞳にためらいを浮かべて、小さな声でドールが囁く。 「………僕は、───」 「あー、やっぱりふるさとが近いかと思うと眠れねぇよなあ、マイキー」 「久しぶりだもんな、あんな離れ方したしさ」 にぎやかな話し声が聞こえてきたかと思うと、がたがたと階段を上る音に続いてばたんとドアが開く。赤毛の少年が、ひょいと甲板に姿を現した。 「…お、先客ありか」 続いて現れた金髪の少年が、ふいと前髪をかきあげる。 「お邪魔しちまったかな?」 「馬鹿ねぇ」 マテリアは、船縁からぎこちなく振り返って、なんとかにっこりと彼らに笑いかけてみせる。彼女の微笑に、トレノは照れたように笑ってから、床の上に座り込んでいるドールに視線を移した。 「なに、床にへたりこんでるんだよ、ドール」 「ほっとけよ」 ドールは、ばさりとマントをさばいて立ち上がる。 そのまま、扉の方へ歩き出す彼に、マイキーが声をかけた。 「何だ、もう戻るのか?」 「ああ」 短く答えると、彼は二人の横を通り過ぎて、振り返らないまま扉の向こうへ姿を消した。 すぐに後を追うのも気まずくて、結局マテリアは船縁に立ったまま、彼の後ろ姿を見送ったのだった。 マテリアは、しばらくの間、さして意味もないトレノとマイキーの雑談に付き合ってから、そろそろ寝るからと甲板を後にした。 微かにきしむ廊下を踏みしめて、船室の前に立つ。マテリアは、そっとノブを握ると、小さく息を吸ってからドアを押し開いた。 月の光が、誰もいない部屋の中を白々と照らし出していた。 ──そんな気はしてたわよ。 彼女は、短く息をつくと部屋に入って後ろ手にドアを閉めた。さっきまで、ドールが使っていた寝台に腰を下ろして、窓の外を見やる。 しばらくそうしてぼんやりと月の光を眺める。波の音が、規則正しく、ただ繰り返されているのを、聞くともなく聞きながら。 やがてゆっくりと立ち上がると、マテリアは丸い窓に歩み寄った。短くため息をついて、窓ガラスに額をこつんと当てる。彼が戻っていないことが、残念なのか、それともほっとしたのか、分からなかった。 聞きたいのかも知れないけれど──けれど、何を、だろう? それでも、きっと──ドールは、何も答えてはくれないだろう。いつもみたいにしれっとした顔で、何でもないと言い張るか、さっさと寝たふりを決め込んでしまうかどちらかに決まっている。 いつも、こんな風な気がする。 冒険の旅や、日常の会話からふと踏み込んで、何かに触れそうになると──ふいと、かわされているような──はぐらかされるような。 気のせいかもしれない──考えすぎかもしれない。それでも、やはり、そう思わずにはいられない。 瞳を向けた波の上には、月がその姿を映していた。揺れては砕け、またちらちらと寄り集まって、淡く眩しく光の輪郭を形作る。瞳をこらそうとしても、つかみどころなく形を変える幻の影。
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