| HENNA様 |
乗り合い馬車を降りると、少し歩くのだとキールは言った。 王都の門を出発してしばらくは鬱蒼とした黒い森が続くが、それを過ぎると今度はなだらかな丘陵地帯となる。非常に見はるかしの良い街道筋の途中で二人は馬車を止め、降りると、丘の向こうにぽつんと見える赤い屋根を目指して歩き出した。 この辺り一帯が「セリアン家」の私有地であることを示す立て札が所々に立てられている。 王都に比べ人口密度が遥かに低いせいか、冬の寒気がより一層強く感じられる。 雪もこちらの方が積もっているようだ。前日の夜通し降り続いた雪で真っ白な道には踏み固められた跡があり、青年と少女はそれを辿った。周囲には、やはり柔らかな白い雪で覆われた平地が広がり、連れの少女は道を脱線して足跡をつけたがったが、心配性の青年はそれを許さなかった。夏の間は牧草地として羊達の楽園となるはずの場所である。雪に埋もれて今は見えない柵やら石垣やら吹き溜まりが危険なのだ、と説明する彼に少女は頬を膨らませた。 丘を登り、また下ると、目的の家のかなり近くまで来ることが出来た。 破風のあるその家は、王都にある貴族の屋敷に比べれば小さいが、個人の邸宅としては立派な造りに見えた。周囲の田園風景に溶け込んだ古く穏やかな佇まいである。 すぐ後ろを歩いていた少女が足を止めたのに気づいて、青年は立ち止まり振り向いた。 「メイ…?」 真っ赤なフード付きのコートを着て大きなバッグを持った少女は、やや歩調の速い青年に遅れず付いて来たためか軽く息を切らせていた。 「あれが、キールの家…だよね」 「ああ」 キールも双子の兄のアイシュも今は王都で生活しているが、本当の生家はこちらにある。 地方貴族でこの辺り一帯の代々の領主でもある青年の母親が、あの家に召し使いと一緒に一人で暮らしているという。 「お前、もしかして緊張してないか?」 「え?そんなことないけど…」 「そうか?」 キールは嵌めていた右の手袋をとると、寒さに赤く染まった少女の頬にあてがった。 「この辺、引きつってるじゃないか」 「そりゃー、こんなに寒いんだもん。顔が固まっちゃったよ。…あったかいね、キールの手」 目を細めて甘えたように言うと、メイは嬉しそうに青年に体ごとすり寄った。 「忘れてた。お前の心臓の強さは普通じゃないっけな」 「ひどーい!」 そう言って少女はコロコロと笑う。青年はため息をついて少女の体を引き寄せながら言った。 「お前、お袋の前ではあんまりベタベタするなよ。お前のこと、ただの研究院の後輩だって言ってあるんだから」 「はいはい。…ねぇ、キール?」 「何だ?」 メイはイタズラっぽく笑うと、青年の耳元で小さくささやいた。 「夜、離れて寝るのって久しぶりだよね。一人で大丈夫?」 「…言ってろ」 むっとしたように言って、青年はやや乱暴に少女の髪を手で掻き回した。 冷気を孕んだ絹糸のような髪が驚くほどしっとりと手に馴染む。 クラインでは、降誕祭のお祝いに家族や親戚が集まるという風習がある。 この時期、王宮の様々な催しの準備に奔走しているアイシュと、春夏秋冬無関係に私事より研究を優先するキールの二人に、実家から「今年こそは帰って来てパーティに出席するように」という厳しいお達しがあった。 面倒臭がって招待を無視しようとしたキールに、メイも誘って三人で行かないかと提案したのはアイシュだった。 「クリスマス…じゃない、降誕祭のパーティ?お泊まりで?行く行く!」 と大乗り気になったメイと、 「そろそろメイをかあさんに会わせておいた方がいいですよ〜、キール〜」 と(キールにしてみれば)お節介極まりない計画に夢中の兄とを、キールは何とか思いとどまらせようとしたが、結局押し切られてしまった。 思い切りよく丸二日休暇を取ったアイシュは一足先に出発して、とっくに着いているはずだ。 キールは(メイがうんざりしたことに)少女に午前中の講義を休まず受けさせた。 それから王都を出てきたため、二人は午後もだいぶ遅い時間になってから目的地に到着したのだった。 その館で彼らを出迎えたのは、干し草色の髪をアップに結った小柄な婦人だった。 「ようこそいらっしゃい。お待ちしてましたよ」 「こ、こんにちわ!お招きにあずかりまして!」 ぴょこんとお辞儀する少女に婦人は微笑んで言う。 「堅苦しいのは無しにしましょう。こちらこそ来て戴いてお礼を言わなくては。若い方に来てもらえると座が華やかになって楽しいものなのよ」 よく見ると、彼女は双子の兄弟と同じ濃い緑の瞳をしていた。やっぱり親子なんだ、ちょっと雰囲気も似てるよね、とメイは一人納得する。 キールに対しては遅れてきたこと、普段なんの連絡も寄越さないことについてひとしきり小言を言い、体の調子を尋ねるなど母親らしい気遣いを見せた後、セリアン夫人は二人に早く着替えて来るように言った。そろそろ他の訪問客も顔を出し始めているらしい。案内の途中通った調理場で、何やら懸命に腕を振るっていたアイシュも、もうここはいいからとその場を追い出され、彼らは一緒に二階のそれぞれの部屋に向かった。メイには客用の小部屋が用意されていた。 着替えて下に降りると、すでに居間には招待客が揃っていた。夫人の親戚筋の人々らしく、メイはキールとアイシュの友人として一人一人紹介された。夫人の姉妹たちとその配偶者、子供たち。 そして古くからの友人達。 この辺りでは魔導士は特別に尊敬すべき職業と見なされているらしかった。王都のことや研究院のことを質問されてつかえながら答えたり、出身地を聞かれて冷や汗をかいたりしている所へ、夫人の声がかかった。 「皆様、遠い所ようこそおいでくださいました」 一見平凡で気の良さそうな中年の婦人であるのに、黒いドレスに身を包み、両脇に二人の息子を従えた彼女は、何か不思議な威厳のようなものを感じさせた。 「今年ももうすぐ終わり。一年ぶりに再会できたことに感謝して、今宵は楽しく過ごしましょう」 暖かい食事と酒が振る舞われた。ホスト役であるセリアン夫人は話し上手で、皆がテーブルを囲む間、笑い声と話し声で一時も静かになるということがなかった。 食事が終わると子供たちはケーキに思いを馳せてはしゃぎ回った。食器が下げられ、お茶の準備と共に恭しく供された焼菓子は一目でアイシュの力作とわかる。 「時間がなくてあまり凝ったものじゃないんですよ〜」 言い訳しながらアイシュはそれを切り、子供たちの皿には上に乗った砂糖細工の人だの馬だの雪だるまだのを取り分けてやる。賑やかに自分の取り分を主張する子。幸せのあまり瞳を輝かせたまま物も言えずぼーっとする子。メイも星の形の細工を特別に分けてもらった。 食べてみるとそれは甘く、ほろほろと口の中で崩れた。 食後は、男達は自分のグラスを持ってサロンに移動し政治情勢やら物価やらについて語り合い、女達はお茶を飲みながら子供のことや昔仲間の噂話に花を咲かせた。 メイは子供たちとすぐに仲良くなって一緒に駆け回ったり、小さい子をおぶってやったりした。 彼らはメイを同じ子供の一人と認識したようだった。 子供たちを遊ばせながらふと気がつくと、アイシュは叔父の一人と熱心に難しそうな話をしていた。 そしてキールは…あれ、どこだろう。目で探すと、彼は暖炉のそばに座り込んで一人炎を見詰めていた。時々手に持った鉄の棒で火を掻き起こしたり薪を足したりしている。 ――もう、こんな時でもクラいんだから。誰かと話したりすればいいのに…。そうだ。 メイはつつっと青年の傍らに寄ると、彼の耳元で二言、三言囁いた。青年は煩そうに言い返したが少女が重ねて何かいい、それから手を合わせて拝むような仕草をすると、ため息をついて立ち上がった。 「ねえねえ、みんな!見においでよ!」 メイが子供たちを呼び寄せる。何だろうとやって来た彼らに、メイは暖炉を指差した。 「うわー!」 「すごいや!」 子供たちは一様に歓声をあげた。大人達も話を中断して暖炉の回りに集まって来た。 燃える炎が最初は青、そして緑、黄と次々に色を変える。ほおっという感嘆の声が周囲で上がった。 魔法だ。暖炉の傍らでは眼鏡の青年が面白くもなさそうな顔つきで呪文を唱えて火の精霊に命令を与えていた。その言葉は誰の耳にも聞き取ることは出来なかったが、人々は周囲の空気に古い魔法の韻律が満ちるのを感じ取ることが出来た。 炎は次に人の姿に形を変えた。小さな赤い小人はゆらゆら揺らめきながらも歩き回ったり、その場で飛び上がって宙返りしたりした。それから火は大きな翼を広げた鳥に、長い耳のウサギに、気味の悪い魔女に、古い城にとどんどん形を変えて行き、そのたびに子供達はきゃあきゃあと大喜びした。 最後に炎はまた小人の形となり、一歩前に進み出ると丁寧に観客におじぎをした。そして、くるりと踵を返して炎の中に歩み去った。小人を飲み込んだ炎はパチパチとはぜ、花火のような色とりどりの光が炎の中に舞った。それはだんだん静まりやがてすっかり止んだ。 「このくらいでいいか?」 ぼそり、と呟く青年の方に、メイは慌てて振り向いた。彼女自身も彼の魔法にすっかり夢中になっていたのだ。 一瞬シンと静まりかえった後、見ていた人々の間から大喝采が起こった。 「うん。ありがと、キール」 「これっきりだぞ。魔法は見世物じゃない」 「今日くらい良いじゃない…結構、あんたってセンスいいんだ。見直しちゃった」 「…」 青年は肩をそびやかして少女を見たが、やがて処置なし、という風に背を向けて暖炉の脇に座りこんだ。 やがて子供たちがむずがりだし、母親に連れられて寝室へ退場した。それから年配の女性達がそろそろ寝ると言い出し、それに合わせるように女主人もお先にと断って自室に引き上げた。 メイも夫人について一緒に二階に上がった。彼女はずっと機嫌良さそうに一人でニコニコしていたが、メイにお休みの挨拶をした後こう言った。 「キールをよろしくね、メイさん」 「え、ええーっと、よろしく…ですか」 「隠さなくてもね。ちゃんとわかりますよ。付き合ってるんでしょう?」 「はあ…その…」 メイはなんと答えて良いかわからず、赤くなって俯いた。 「キールが降誕祭に女の子を連れてきたなんて快挙よ。最初にアイシュに聞いたときは耳を疑ったけどねえ。…どうか、また二人でここを訪ねて来てね。もっと暖かくなったらで良いから。春も夏も秋も、それぞれに美しいところよ、ここは。ね?」 夫人はそう言って微笑んだ。メイは胸に熱いものを感じてコクリ、と肯きかえした。 そんなことがあって何となく眠気が飛んでしまったので、寝間着に着替えた後、部屋に用意されていたガウンを羽織ってメイは階下に降りた。居間は既に明かりが落ちていたが、暖炉にはまだ火が点っていた。そして。 「キール」 「…お前、寝たんじゃなかったのか」 暖炉の前には先程と同じようにキールが陣取っていた。 「なにしてんの?」 そう言いながら、メイは彼の隣に座った。 「寝る前にここの火を消すのは俺の役目なんだ」 短く説明する彼に、じゃあさっさと消して寝ればいいのに、と言いかけて止めた。なんとなく、ここに来れば彼に会えるような気がしていたし、彼も自分を待っていたのではないか、という気がしたので。まさかね?少女は思い直してくすくす笑った。 「なにがおかしい?」 「ううん、なんでも。…ねえ、火って不思議だよね。子供のころ、ストーブの火を見るの、好きだったな〜。火遊びは駄目ってよくかーさんに怒られたっけ」 「そんなに顔を近づけるなよ。焦がすぞ」 「だいじょーぶ。ふふっ…さっきのキールの魔法、思い出しちゃうなあ」 メイはうっとりとして、暖炉の火のゆらめく様を見詰めた。 そんな少女の、炎に赤く照らされた横顔から視線を引き剥がしながら、ぶっきらぼうな口調でキールが言った。 「お前、本当はここに来るの嫌じゃなかったか?」 「え?ここって、キールの家のこと?そんなことないけど…どうして?」 「色々…思い出すんじゃないか?家族のこととか」 言い辛そうにぼそぼそとしゃべるキールの顔を、少女はじっと覗き込んだ。 「心配してくれたんだ」 「…そういうわけじゃないが」 「えへ。ありがと、キール」 にこっと笑ってみせる少女に手を伸ばして、キールはその肩をそっと抱いた。 最初は笑顔を見て満足していた。そのうち、無性にこの手で触れたくなった。 熱く柔らかい少女の感触も甘いにおいも、五感が享受できる彼女の全てを手に入れた今になっても、その飢えたような心の渇きは止むことがない。 少女は安心したように体を預けると、彼の肩に頭をもたせかけた。 「本当言うとね、ちょっとだけ思い出した。でもそんなに辛いってことはなかったよ」 「俺は…本当は来たくなかった。駄目なんだ…降誕祭だけじゃない、その手の記念日は。 一年経ったときに、去年の今日はああだったとか思い出すだろう。その時…昔が幸せなら幸せなだけ、今が苦しくなるじゃないか」 メイは暖炉の上のマントルピースに目を向けた。飾られているのは、キールとアイシュが子供の頃に書いた絵。二人の母親の若いころらしい女性の肖像画。それだけだ。 今日のパーティを思い返しても、この家族に絶対的に欠落しているものがすぐにわかる。 二人の父親だった人の痕跡は、この家のどこにも残っていない。確かにその人はここにいたはずなのに。 母親と二人の息子が今みたいに笑って降誕祭を迎えられるようになるまでに、どれだけの年月が必要だったのか、少女には見当もつかなかった。 「あたし、キールのおかーさんに来年またおいでって言われちゃった」 「!」 「また一緒にここに来てもいい?春になったら、でもいいし。夏来るのも楽しそうだな〜」 「メイ…」 「それから、来年の降誕祭もここに来よう?今日が楽しかったなら、来年の今日もうんと楽しく過ごせばいいよ。…あたしはいなくならないから。そう約束したじゃん。 来年もさ来年もキールと一緒にいる。キールがいいって言うなら、だけど」 「馬鹿。悪いわけないだろ」 「…良かった」 本気でほっとしたようなメイの声にキールは微笑み、顔を寄せて少女の唇に口付けた。 しばらくして青年が囁いた。 「明日の朝帰るから、早く起きないとな。もう寝に行けよ」 また少しして、少女が答えた。 「キール…言ってることとしてること、違う…」 一つに溶け合った二人の影が床に長く伸び、暖炉の火はその後しばらく消されることはなかった。 次の日はよく晴れた。訪問客達は軽く腹ごしらえをした後、三々五々と屋敷を辞去して行った。 運良く、キール、メイ、アイシュの三人は、王都までの街道を行くという家族の馬車に便乗させてもらうことに決まった。 母親の見送りに手を振って、三人は馬車に乗り込んだ。やがて走り出した馬車に揺られ、しばらく三人は無言のまま次第に遠くなる屋敷を見守った。 「なんだか、お袋、老けたよな」 「そうですね〜…母はあれで、若いころはすごい美人だったんですよ〜」 キールが漏らした一言に、アイシュは相づちを打つと、そうメイに説明した。 「今だって奇麗なおかーさんじゃない。すごくいい人だし、あたしファンになっちゃったよ」 「母もメイのこと、気に入ってたみたいですよ」 アイシュはそう言ってにっこりした。 「やっぱり、似た者同士、気が合うかもしれませんね〜」 「似た者…同士?」 怪訝な顔で聞き返すメイに、アイシュは慌てて口を押さえた。キールがアイシュを睨む。 「兄貴」 「ははは〜。いやその…すみません〜」 「あのな、メイ。隠しとくのはマズいと思うから言うけどな、うちのお袋は…」 「ちょっと豪快なところがありましてね〜。なんでも大雑把っていうのか。気も短い方ですし〜」 「昔は魔法研究院の講師をしてたんだが。生徒には恐れられてたみたいだな。あれで武術魔法の才能があったら恐かった、と当時は語り種だったらしい」 「昨日のあれ、ものすご〜く猫をかぶってたんですよ〜。すみませぇ〜ん」 口々に、なぜだか非常に熱心に説明する兄弟に、メイは呆れて黙った。 ――もしかして、タイヘンなのはこれから、なのかな〜? …とりあえず、帰ったらお礼の手紙、書こう。 そこまで考えて、はたと思い当たってメイは大声をあげた。 「ちょっとー!なんでそれが『似た者同士』になるのよ〜〜〜?」 賑やかな若者達の声を乗せて、はずむように馬車は一路王都へと走って行く。 //END 【御崎より】 …ああ、もううっとりです…(*^^*)。大ファンのHENNAさんの創作をいただけるなんて、本当にキリ番を踏んでよかった(笑)。 キールとメイの距離感が、とっても素敵です(*^^*)。この後、似たもの同士(笑)で意気投合した母と妻に振り回されて苦労するキール、なんて微笑ましい光景を想像して幸せになってしまいます(笑)。 HENNAさん、ほんとうにありがとうございました! |
