陽のあたる永遠

御崎 濯     

 初秋の風が、雲を流してゆく。高く晴れ上がった空が、まるで永遠を思わせるかのような午後だった。
キール・セリアンは、街中でふと足を緩めた。賑わう王都の大通り、様々な店が彩りを競う一角である。
人混みに出ることをあまり好まない彼だったが、魔法に関する道具や本を探しに街に出てくることはたまにある。もっとも、そういうときはたいていメイが一緒だ。彼が出かける予定にしていると、いつの間にかメイはちゃんとそれをかぎつけて、ちゃっかりくっついてくる。おかげで、予定していたのとは全然違うコースまで回らされて、門限ぎりぎりになったりすることもしょっちゅうだ。
以前の彼なら、それとも他の人間が相手なら、迷惑だとしか思わないだろうそんな一日も、メイとなら悪くない。そんなふうに思えるようになってきた自分に一番驚いているのは、彼自身だったかも知れない。

けれど、今日は彼一人で街に出てきていた。メイはディアーナとの約束があるとかで、朝から王宮に出かけていたのだ。まあ久しぶりに一人もいいかなと思っていた彼だったが、ふと傍らを振り返るたびに、妙にぽかりと空いた場所があるようで、何となく落ち着かなかった。
(…まったく、だめだな)
そんな自分に苦笑しながら、用件をすませてそろそろ研究院に帰ろうかと思いはじめた頃だった。

はなやかなショウウインドウにふと目を留めて、彼は立ち止まる。女性向けの服が飾られたその窓は、装いを夏から秋に変えて、道行く人に呼びかけていた。
(…服、か)
もうすぐメイの誕生日だ。
去年の誕生日は、それどころではなかった。彼女を帰すための召還魔法の研究にかかりきりで、他のことは何もかも放り出した状態だった。心の底からそうすることを望んでいたわけではなかった。けれど、そうしないではいられなかった。混乱し、迷う自分を忘れるために、ただひたすら研究だけに打ち込んでいたのだ。
あれから1年。
キールは、恋人の栗色の髪を思い浮かべながら、眩しげにウインドウの服を眺めた。
服というのも、いいのかもしれない。
何を贈ればメイが一番喜ぶのか、彼にはどうも見当がつかないのだが、怒りはしないのではないかと思える。以前にも、服を買えとうるさく言っていたことがあるし。
(──だけどな…)
どれが彼女に似合うのだろう。いや、それとも彼女が気に入るもの、という基準で選んだ方がいいのだろうか。…けれど、似合うものを気にいるんだろうな、普通は。
少し首を傾げながら、ショウウインドウを覗き込んでいた彼は、窓越しに店の中でふわりと揺れた人影にふと顔を上げた。
その人は、すいと店の中を横切って、扉を中から引き開けた。通りの明るい陽射しの下へ、透けるように輝く金髪が光の軌跡を描いて現れる。
「こんにちは、キール」
軽く微笑をたたえて挨拶を投げてきたシルフィスに、キールは不意をつかれて一瞬立ち尽くした。
「……ああ、こんにちは」
幾分か口ごもりながら、やっとのことで挨拶を返す。
まずいところを見られたな、という感想がちらりと彼の頭の中をよぎった。きっと、聞かれるに違いない──
彼の予想に違わず、クライン王国騎士団にこの人ありと謳われる美貌の女騎士は、柔らかな微笑を浮かべて口を開いた。
「珍しいところで会いますね。…メイへの贈り物ですか?」
「…いや──」
思わず否定しかけて、思い直して曖昧に頷きながら視線を逸らす。
そうだと言い切るのはあまりにも照れくさいが、だからと言って、そうではないと言う方がおかしい。女物の服を見ていて、メイ以外へやるのだと言ったりしたら、笑われるだけだろう。それに万が一、真に受けられたりしたら、親友の彼女の口からメイに伝わるのは間違いなしだろうし、その方がもっとまずい。
そんな彼の内心の葛藤に気づいたのかどうか、シルフィスはにっこり笑って首を傾げた。
「もうすぐ、メイの誕生日ですからね。キールは、服を贈るつもりなんですか?」
「…ああ、…いや──まだ、決めた訳じゃない」
「でも、いい考えだと思いますよ」
嬉しそうに瞳を細めてそう言う彼女を見やって、キールは話題を逸らせようととりあえず口を開く。
「…お前は、ここで何してるんだ」
口にしてから、馬鹿なことを言ったと思う。
シルフィスは、少し目を見開いてから、くすりと笑った。
「服を買いに来たんです、もちろん」
当然だろう。女性であるシルフィスが、ここで服を買うのに何の不思議もない。
「今まで、あまり女物を持っていなかったので、少しずつ買っています」
そう言って、今年の春に分化した彼女はさらりと髪を揺らせた。
今日は、いつもの騎士姿ではなく、カジュアルな感じではあるがスカートを身にまとっている。以前は高く結わえていた髪を、下ろして背に流している彼女をちらりと見て、キールはふとメイとの会話を思い出した。
「やっぱ、好きな人ができると、それに合うように分化するもんなのかな」
「好きな?」
怪訝そうに聞き返す彼に、メイは大きな瞳をことさらに丸く見開いてみせた。
「あきれたー、キール、気がついてないの」
「…そんなに会う訳じゃないからな」
「だぁって見てりゃわかるじゃん。もー、キール鈍すぎ」
「悪かったな。…で、誰のことなんだ?」
「見て分かんないよーな朴念仁には教えてあげない」
「……別にいいけど」
結局メイには教えてもらえないままだった。
キールの方も、さほどの関心があったわけではないので、それきりになってしまっていたのだ。
「…でも、メイはここよりも、向かいの店の方が気に入っているみたいですよ」
シルフィスの声に、キールは我に返って彼女を見た。
「…店?」
思わず間の抜けた答えをしてしまって、胸の中で舌打ちをする。
「ええ、あの店の方が、デザインの好きなものが多いんだそうです」
「…違うものなのか、店によって」
「もちろんですよ」
シルフィスは困ったように首を傾げると、不機嫌そうに向かいの店のウインドウを眺めやっているキールを見た。それから、ふと何か思いついたように瞳を瞬かせると、少しためらいがちに口を開く。
「…あの、キール。メイに服を贈るとして、ですね――メイのサイズ、ご存知ですか?」
「―――」
不意をつかれて、キールはシルフィスを振り向いて瞬きをする。
(サイズ?)
それはそうだ。服を買うなら、サイズが分からなくてはいけない。
が――
(…小柄な方ではあるが)
具体的にどのサイズかということを知っているわけでは、もちろんない。
沈黙したキールを見て、少しおかしそうに、そして少し慌てたようにシルフィスは言葉を継いだ。
「…私より、ふたつくらい小さいサイズだと思いますよ。前にメイが私の部屋に泊まりに来たときに、着替えを貸したんですけど、ちょっと大きいと言ってましたし」
キールは、彼女の言葉にも眉を寄せたまま黙っているしかなかった。
(…そんなこと言ってもな)
大体、シルフィスのサイズを知らないのに、それより大きいだの小さいだの言われても意味がない。かといって、じゃあお前のサイズはいくつだ、と、天下の公道でずけずけ聞くのは失礼だろうくらいのことは、いくらキールでも分かる。
某筆頭宮廷魔導士くらいになれば、一瞥しただけで女性のサイズに見当がついたりするのかもしれないが、キールにはとうてい出来ない芸当だ。
「あの、お節介かもしれませんけど」
控えめに前置きをして、シルフィスが口を開く。
「よかったら、あの店に入ってみませんか?」
「え?」
キールは、眉を寄せて彼女を見る。シルフィスはにっこり微笑んで首を傾げてみせた。
「彼女の気に入ってた服や、サイズをお教えしますから」
「……俺はまだ、服を贈ると決めた訳じゃないが」
「ええ、わかってます」
無愛想な彼の返答にもめげず、シルフィスは微笑みを浮かべたまま続けた。
「でも、そういうことが分かっていれば、何を選ぶかっていう選択の幅が広がるんじゃないですか?」
論理的にもっともだと思われる彼女の言葉に、キールはまた一瞬沈黙する。
(…まあ、そうかもしれないな)
シルフィスは、むっとした表情のままで視線を向こうの店に向けるキールを眺めた。
いつか、メイがのろけ半分愚痴半分に言っていた言葉を思い出す。
「キールって、ほんと気がきかないやつなのよねー」
「そうなんですか?」
「そうよー。っていうか、女心が分かんないのよねー」
メイは、大げさにため息をついてみせた。
「ほら、ちょっとした記念日とか、覚えててほしいじゃん、こっちとしては」
「そうですね」
きまじめに相づちを打つシルフィスに、メイはぴんと人差し指を立ててみせる。
「こないだも、あたしが今日が何の日だか覚えてる?って聞いたら、いいや、って一言よ!もー、愛想ないんだから」
「何の日だったんですか?」
「あたしが、初めて魔法の試験で満点取った日」
「………」
それは、ちょっと難しいんじゃないか、とシルフィスは内心思ったりしたのだったが。
それにしても、キールは愛想がない、というメイの嘆きは、何となく分かるような気はする。
「別にね、しょっちゅう気にかけて、高いもの、プレゼントして欲しいなんて思ってるわけじゃないの」
頬を膨らませてメイはそう言う。
「でも、ほんのたまにでも、あたしのこと考えてくれてるんだなって思いたいもん。
…ほら、思いついて、花、買ってきてくれるとかー…」
そう言ってから、自分の言葉にウケて、メイはけらけら笑いだしたのだったが。
「まあ、そんなのキールの柄じゃないけど!」
去年のメイの誕生日には、シルフィスとディアーナでお祝いをした。他にも、贈り物をくれた人はいたらしいが、キールはそれどころではなくて、何もしていなかったと後で聞いた。
(今年は、何か贈ってあげてほしいな)
親友の笑顔を思い浮かべながら、シルフィスはそう願うのだった。
他の誰よりも、メイはキールに祝ってほしいと思っているはずだから。

「…行きましょう、キール?」 
シルフィスは、店の方へ歩き出すそぶりをしながら、キールを振り返ってみせる。
キールは不承不承と言った表情で頷くと、彼女に続いて歩き出した。
店の扉を押し開けて中に入ると、一斉に色の洪水が押し寄せてきた。キールは一瞬立ち止まって周囲を見回す。
華やかな色と、目のくらむような様々な形の展覧会。
この中から、メイが好きそうなただ一つを選び出すなどということは、到底不可能な気がして、彼は眉をひそめる。
シルフィスは、キールの先に立って布の波の間を軽やかに抜けてゆきながら、白い腕をさしのべていくつかの服を指し示して見せた。
「あのワンピースを、メイは一番気に入ってました。でも、欲しがってた色が先に売れてしまって、残念がってましたね」
「…欲しがってた色は、もうないのか」
「ええ、それが最後だったらしくて」
ふうん、とそちらを見るキールに、シルフィスは次の服を教える。
「あのニットスーツも好きみたいでしたよ。胸元のリボンが可愛いって言ってました。それから、このブラウスは──」
華やいだ表情であちこちの服を見せて回るシルフィスに反して、キールはだんだん困惑した表情を浮かべはじめた。
「…で、結局、あいつはどれが欲しいんだ?」
シルフィスは、振り向いて彼の表情を見ると、苦笑を浮かべた。
「どれも、ですけど」
「……」
視線をあたりに彷徨わせて、キールは前髪をかきあげる。
「あれこれ欲しくなるから、困るんですよね。…あの、でも」
キールが、眉を寄せてため息をつくのを見て、シルフィスは急いで言葉を継ぐ。彼に、やっぱり女への贈り物なんて面倒だ、と匙を投げられてしまっては、メイに申し訳がない。
「このワンピース、メイにとても似合うと思いませんか」
さっきから目に付いていた一枚を棚から取り出して、彼女はふわりと自分の肩に当てて見せた。淡い黄色の、緩やかに裾の広がったデザインのワンピースだ。袖口や襟元に栗色のリボンがモチーフにあしらわれていて、なかなか可愛らしい。
「あいつ、欲しがってたのか、これを」
「いえ、これは新作ですね、メイも、まだ見てないと思います。でも、きっと気にいるデザインですよ」
キールは、少し考え込むような目つきでその服を眺める。言葉を続けようとしたシルフィスの背中に、にこやかな声がかけられた。
「どうぞ、ご遠慮なくご試着なさってみてくださいませ」
振り向く二人に、店員が微笑みかけてきていた。
「お客さまには、こちらのサイズがよろしいですね?さ、どうぞ」
やや年配の店員は、シルフィスが手にしたデザインのワンピースのサイズ違いを棚からはずすと、にこやかに彼女の背中を押した。
「あ、いえ、違うんです、その」
「ご遠慮はいりません、さあどうぞ」
にこにこ微笑みながらも有無を言わせない強引さで、店員はシルフィスを試着室に押し込んでしまった。
「お連れ様は、少しお待ちくださいね」
キールを振り向いてやはりにこやかにそう言うと、店員はその場を離れて奥へ入っていった。
試着室のカーテンの隙間から顔だけ出して、シルフィスが困ったような表情を見せる。
「…あの、キール…」
「着てみろよ」
キールは短く肩をすくめて、あきらめたような口調で言う。
「そうしなきゃ、そこから出られそうにないからな」
「…はあ」
シルフィスは首を傾げると、気を取り直したように試着室の中に引っ込んだ。
それをちらりと見送ると、キールはまた辺りを見回した。
(これだけ色々ある中から、どうやって気に入ったものを見つけるんだか)
女は分からん、と内心でため息をつきながら、彼は天井を仰いだ。
ほどなく、さっきの店員が、奥から箱を抱えて戻ってきた。なにを持ってきたのかと訝しむキールに営業スマイルを向けると、店員は試着室のシルフィスに声をかけた。
「お客さま、いかがですか?」
「…あ、ええ」
カーテンがひょいと開いて、さっきのワンピースを着たシルフィスが出てくる。
彼女は、キールに困ったような笑顔を向けた。
「…私には、ちょっと向かない気がしますね」
けれど、屈みこんでさっき抱えてきた箱を開けていた店員には聞こえなかったらしい。
彼女は、シルフィスを仰ぎ見て、大げさとも言えるほどの笑顔を浮かべて見せた。
「まあ、よくお似合いですこと!…さあ、こちらの靴と合わせてご覧になりませんか?」
店員は箱から出した靴を彼女の足元に並べる。細いヒールの、華奢な作りの靴に、彼女はちょっと困ったように首を傾げた。が、さあどうぞどうぞと勧める店員に押されて、仕方なく足を入れる。おまけに店員はもう一つの箱から、鍔の広い白い帽子を取りだして勧めた。
すっかり傍観者に引いてしまったキールをちらりと見やってから、シルフィスは気を取り直すように頷いて、帽子を受け取ってかぶった。
一式の見本ができあがると、店員はキールの方を振り向いて微笑みかけた。
「本当によくお似合いですわ。…いかがですか?」
どうも店員は、キールがシルフィスに服を贈るものだと思いこんでいるらしい──まあ、当然かもしれないが──と気づいて、シルフィスは少し慌てた。けれど、そうじゃないんですとわざわざ説明するのも、いかにも変だ。困ってしまって、彼女はキールに目顔でそのあたりを伝えようとした。
が、彼はいっこうに気づかないらしい。店員の熱心な売り込みに、煩そうにしながら適当に相づちを打っている。シルフィスは、少しため息をついた。
キールは、ワンピースと靴と帽子をセットで身につけているシルフィスを、何となく眺めていた。
(これを、メイに、か──)
この格好をしたメイを想像してみる。そう、淡い黄色が、栗色の髪に映えて、似合うかもしれない。リボンの色も、髪と合っているし。親友のシルフィスが保証するのだから、メイもこういうデザインが気にいるのだろう──
(まあ、裾もそんなに短くないしな)
だいたい、メイのあの制服は、スカートが短すぎる。…自分が見る分にはいいが、他の男も同じ姿を見ているのだと思うと、気になって仕方ない。
キールは、自分の思考に照れたように短く咳払いをすると、しきりに話しかけてくる店員を遮ってシルフィスに尋ねた。
「…で、あいつのサイズだと、どれだ?」
「え、ああ」
どこか怒ったように見える彼の表情を見やりながら、シルフィスは2、3度瞳を瞬かせる。それが、彼の照れた顔だと分かるほどには、彼女はキールと親しくはなかった。
「…ええと、これよりも二つ下ですから──」
少し慌てたように、さっきの棚に歩み寄ろうとして身を返した途端──履き慣れないヒールの足元が、ぐらりと傾いた。
「あ」
とっさに伸ばした手を、キールが支える。
シルフィスは彼の肩につかまって、何とか転ぶ寸前で踏みとどまった。
「す、すみません」
彼女は、不安定な足元を立て直しながら、キールに謝る。
「騎士でも、こんな何にもないところで転ぶのか」
「…騎士は、こんなかかとのある靴は履きませんから」
皮肉っぽいキールの言葉に、半ば苦笑しながらそう答えて、顔を上げて──
シルフィスは、はっと目を見張った。
「……メイ!」
彼女の小さな声に、え、とキールが肩越しに振り返る。
ショウウインドウの向こうから、メイが中を覗き込んでいた。
その瞳が大きく見開かれて、店内の二人をじっと見つめている。
かと思うと、彼女は2、3度瞬きをして──くるりと身を翻した。
「メイ!」
今度は、少し大きな声で叫ぶシルフィスと、足早に立ち去ってゆくメイの背中を、キールは戸惑ったように見比べる。シルフィスは、くるりとキールを振り向くと、せき込むように言った。
「早く追いかけてください、キール!」
「…あ?」
眉を寄せて、怪訝そうに問い返す彼に、シルフィスはいらだたしげに髪を払って口早に続ける。
「誤解、されたんです、きっと!…早く!」
「…誤解?」
キールは、その単語を繰り返して、シルフィスの顔を見た。
(誤解───)
もう一度繰り返して、やっと彼女の言葉の意味が閃く。
「…私も、困ります!」
頬を染めて、シルフィスが押し殺したような声で囁く。キールは、弾かれたように身を返した。
扉を引き開けて、大股に出ていった彼の後ろ姿を見送りながら、シルフィスは小さく息をついた。まさか、メイがあの足で、シルフィス自身の恋人の所に駆け込んで泣きつくとは思えないけれど、誤解されたままではあまりに気まずい。
(キールが、ちゃんと説明してくれるといいけれど)
「…あの…?」
置き去りにされていた店員が、困ったようにシルフィスに声をかける。
彼女は、我に返ってそちらを見ると、申し訳なさそうに首を傾げた。
「すみません、これは遠慮します──でも、あの」
少し考えてから、付け加える。
「…もしかしたら、さっきの人が、これよりふたつ小さいサイズを、買いに来るかもしれませんから」

キールは、先をゆくメイの青い服を見つめながら足を急がせていた。
メイは、彼女にしては早足で歩いているが、まだ走ってはいない。彼は小さく息を吸うと、速度を上げて小走りに彼女を追った。
「──メイ!」
近づいてくる彼の足音に気づいているのだろう、どこか堅い線を見せている彼女の肩を掴んで引き寄せる。
メイは、むっとした表情で彼を振り仰いだ。
キールは、少し弾んだ息を抑えながら、言葉を探して一瞬口ごもる。
「…お前、王宮に行ってたんじゃなかったのか」
メイの瞳に、ぱっと火花のように怒りが散るのを見て、キールは、しまった、と自分の失言を悟った。
「…悪かったわね、こんなとこにいて!」
メイは、肩に置かれたキールの手を振り払った。
「あたしがここにいて、何かまずかったわけ!?残念でした、ディアーナに用事が入っちゃって、お茶会は中断よっ!」
メイはそう怒鳴ると、ぷいと身を返して歩き出す。キールは、急いで彼女に並んで歩き出した。
「何よ、なんか用!?」
険悪な口調で言う彼女を見下ろしながら、キールは困り果てて言葉を探す。
「…いや、俺も、もう帰るところだったから」
「あの店に、用があったんじゃないの」
メイは前方をきっと睨んだままで言い返した。
「いーわよ、ちゃんとシルフィスに付き合ってきてあげたら?!」
「………」
誤解してる、というシルフィスの言葉が胸の中に反響して、キールは返す言葉に困って黙り込む。
メイは、言い訳をしないキールの顔を、そっと横目で見上げた。
(何よ、あたしが言っても、ブティックに付き合ってくれたことなんかないくせに!)
胸の中でそうなじりながら、彼女はキールの言葉を待った。
キールは、メイの方を見ないままで、あれこれと台詞をひねり回していた。
事実をそのまま話してしまえばいいのかもしれないが──できれば、贈り物の話は、当日までメイには内緒にしておきたい。驚かせて、喜ばせてやりたい。
去年は何もしてやれなかったし、普段だって、格別恋人らしいことをしているわけではない。自分がそういうところでは不器用なのだろう、というくらいの自覚は、彼にもあった。
プレイボーイで名高いシオンが、まめに女性に花や香水や、そのほかにもちょっとした贈り物を、気安く贈っているのを見るにつけ、あきれ半分に、自分はああはなれないな、と思っていたりする。
でも、だからこそ、せめて年に一度の誕生日くらいは、という気持ちがあるのだ。
「…その、な」
結局どう話せばいいのか思いつかないまま、いつまでも黙っている訳にもいかなくて口を開く。メイが、唇をとがらせて彼の顔を見上げる。
「特に用があったわけじゃ、ないんだ」
まずい言い方だな、とちらりと思う。案の定、メイの目つきが険悪になった。
「用がないのに、女性向けの服屋さんに入るわけ」
「…だから、それは──」
キールは、眉を寄せて視線をちらりと上に向ける。
「…偶然、シルフィスに会ったから──」
これは、嘘ではない。
「ただ、彼女に、誘われて──」
これも、まるきり嘘だというわけではないが──まずかっただろうか?
メイは、ぴたりと足を止めると、くるりとキールの方に向き直った。
「シルフィスだったら、誘われたらはいはいってブティックに付き合うの?あたしがいくら言ったって、そんなの面倒だって、いっぺんだって一緒に入ってくれたこと、ないじゃない!」
「それは──」
まっすぐに自分を睨み上げるメイの茶色の瞳を見下ろして、キールは内心で大きくため息をついた。これは、お手上げだ。
自分では、この場を上手く言い抜けるような器用な言い訳は思いつかない。
仏頂面で無言を通すか、どうでもいいだろう、と怒鳴り返すか──メイとの普段のケンカなら、彼がとる態度はそんなところだ。けれど、この場面では、どうもそれは通用しそうにない。ますます彼女を、決定的に怒らせてしまいそうだ。
キールは、瞳を少し瞬かせると、前髪をかきあげた。
「…分かった、話す」
メイは、ふいに口調を変えたキールの顔を見上げる。視線をちょっと逸らせて、前髪をかき上げるその仕草は、照れた時、困った時の、彼の癖だ。
「仕方ない──だけど、怒るなよ」
キールは、メイの瞳に視線を戻した。
「…後で、やっぱり聞かなかった方がよかった、なんて怒っても、知らないからな」
(え)
メイは、瞳を瞬かせて、キールの困ったような緑色の瞳を見つめた。
どくん、と急に鼓動が早くなる。
(…なに…?)
ちょっと、いやかなりむっとはしたけど、本気で怒っていたわけではない。
少し引っかかりはするけど、キールが、シルフィスに付き合わされてしまった、と言うなら、そう思おうと思っていた。それを口実に、今度は、あたしにも付き合ってよね、と無理矢理にでも約束させられれば、それでいいかと思っていた。
けれど、彼はそれ以外に、何を話そうというのだろう──
さっき目にして、けれど無理矢理意識の外に押し出していた光景が、不意にくっきり浮かび上がる。
柔らかな色の新しいドレスを着たシルフィスが、キールの肩に顔を伏せて──それから、瞳を上げて、微笑んでなにかを囁きかわして───
「…あのな、実は、その──」
「………やだっ!」
少し口ごもりながら切り出したキールの胸を、メイは思いきり突き飛ばしていた。
意表をつかれて、思わずよろめく彼を振り返りもせずに、メイはくるりと身を返して全速力で走り出す。
(聞きたくない)
心臓が、滅茶苦茶なリズムで打っていた。
(まさか、まさか、まさか───)
何がまさかなのか、言葉にするのも怖い。
(キールが、まさか)
本当は優しいのに、無愛想で気のきかない恋人。
恋人、のはずのひと。
(シルフィスに)
とびきりきれいな、自慢の親友。
女の自分が見ても、うっとりするほどきれいな、金色の髪の彼女。
(でも、シルフィスには──)
シルフィスには、好きな人がいる。それは、キールじゃない。そのはずだ。
(だから、まさか)
なのに──なぜ、走り出してしまったのだろう。どうして、こんなに胸が苦しくて、心臓が破れそうに鳴っているのだろう。
あたりの何も見えなくて、ただ忍び寄る何かを振り切ろうとするかのように全速力で走り続けて。
「──メイ!」
名を呼ばれて、腕が掴まれた。
「やっ!」
足がもつれる。身体を引き寄せる強い腕から逃れようと、身をよじる。
「待てよ、どうしたんだ!」
「やだっ、離して!」
「おい、メイ!」
「やだ、いい、聞きたくないっ!」
掴まれた腕を引き寄せて、メイは耳をふさごうとする。
聞かなければ、知らずにいられる。
少なくとも、まだ今は。
「聞きたくないって、お前──」
「いいっ!」
「…なんか、誤解してるだろう!?」
耳をふさごうとした手が、ぐいと引き剥がされる。メイは、ふさげない耳の代わりに、せめて堅く目をつぶった。
「あれは、お前のだぞ!」
一瞬何を言われたのか分からなかった。身動きできなくて固まるメイの耳に、口早に囁くキールの声が流れ込んでくる。
「…あれは、お前に、と思ったんだ──その、もうすぐ、誕生日だろう」
(──誕生日?)
メイは、ちいさく息を飲み込んだ。すこし、瞼を緩めて、キールの次の言葉を待つ。
「…前に、欲しがってたから──服も、いいかなと思ったんだよ。それで、…店先を見てたら、シルフィスが店の中にいて、偶然会った──これは、本当だからな」
メイは、瞳を開いて、視線だけでキールの顔を見上げた。透きとおった緑色の瞳が、メイを困ったように見ている。
「…シルフィス、あの店はあんまり好みじゃないと思ったけど」
「ああ、会ったのはあの向かいの店だ」
ようやく押し出した言葉に、キールはそう答えた。
そう、シルフィスが一番気に入っているのは、あの向かいのブティックだ。
メイは、2、3度目を瞬かせた。
「…あいつが、お前の好みや、その──サイズを教えるから、なんて言うんで、つい、付き合ったんだが──店員につかまって」
メイは、視線は彼の顔に向けたまま、ゆっくり顔を上げた。少し落ち着いたらしい彼女の雰囲気を感じ取って、キールがメイの腕を掴んでいた手を緩める。
「試着とか何とか、ややこしいことになっちまったんだ──だけど」
キールは、何となく言葉を切ってまた前髪をかきあげた。こんな言い訳など、今までしたことがないのだ。後ろめたいことなど何もないはずなのに、背中に冷や汗が流れる気がする。
メイは、少しの間黙って、視線を地面に向けていたが、やがてまた瞳だけで彼の顔を見上げた。
「…仲、良さそうだった」
「……あ?」
意表をつかれて、キールは瞳を瞬かせる。
「なんか、くっついちゃって、──いい雰囲気だった」
「ば、ばか──」
キールは、一瞬絶句した。それこそ、言いがかりだ、と思うのだが──とっさに、言い返す言葉が出ない。
「…あいつが、転びかけたから支えただけだ──なに、変な誤解してるんだ、お前は」
「シルフィス、身が軽いのに」
「踵のある靴を履かされてたからだよ!」
なんだか、ひとつひとつ言い訳している自分が情けなくなってくる。
いい加減にしろよ、と言おうと、メイの顔を見下ろして──少し、泣きそうに潤んだ彼女の瞳に出会った。
………こんな時ほど、惚れた弱み、という言葉を実感することはない。
波立ちかけていた感情がすとんと消え失せて、代わりにメイの大きな瞳や、華奢な身体がふわりと意識を占める。
自分のどんな感情も、彼女が泣きそうだ、というそのことだけで、消し飛んでしまう。
「…うん、分かった──信じる」
微かに頭を頷かせるメイの髪を、何も言えずに彼はそっと撫でた。
こういうときに、何か気のきいた言葉をかけてやれればいいのだろうけれど──
(…ダメだな、ほんとうに)
せめて、こんな昼日中の街中でなければ、抱きしめてやれるのに。
メイが、ごしごし、と目をこすって顔を上げた。
「…ごめんね」
えへへ、と笑って、小さく舌を出す。キールは、黙ったまま、もう一度彼女の頭を軽く撫でた。
メイは、少し首を傾げてから、気を取り直したように顔を上げた。
「…でも、サイズ、って、あたしの服の?」
「ああ、そうだ」
「やだな、キール、知らない?」
「知らん」
メイは、くすりと笑ってキールの左腕を取った。
「あたしは、キールのサイズ、知ってるよ?」
いつもは、人前でそういうことをするのは嫌がるキールだったが、さすがに今はふりほどくのも気が引けて、大人しくされるがままに、彼女に腕を預けた。
二人並んで、ゆっくり歩き出す。
「あたしの服なんて、いつも見てるくせに」
「サイズなんか、見てないって」
キールは、悪戯っぽい表情で見上げてくるメイをちらりと見下ろして、微かに唇を緩める。
「…明るいところで、着せたことなんか、ないからな」
言葉の外にほのめかされた意味に思い当たって、メイはぱっと頬を染める。
「ばかっ──すけべ」
ぽかりと彼の肩をぶつメイの拳に、キールは照れたように視線を逸らす。
メイは、くすくすと嬉しそうに笑い声を立てて、キールの肩に額を押しつけた。
「…おい、──あんまり、くっつくな」
「やーだ」
歌うように言い返すと、メイはくるりと瞳を煌めかせてキールを見上げた。
「ね、キール、さっきのお店に行きたい」
「え?」
キールは、また意表をつかれてメイのきらきら輝く瞳を見下ろした。
「…何、言い出すんだ」
「だって、あたしの誕生日プレゼントなんでしょ?どんなのか、見たい」
キールは、一瞬黙ってから、前髪をかきあげる。
「…黙ってて、驚かすつもりだったんだよ」
「もう、分かっちゃったもん」
メイは、まっすぐな髪をさらさらと揺すって、軽やかに笑った。
「本人が着れば、サイズはばっちりじゃん!ね、いこ!」
腕を引っ張るメイに、キールは苦笑を零す。
「…仕方ないな」
(…誕生日のは、また別のを考えるか──あの服に合う、アクセサリか何かでも)
今月買おうと思っていた魔導書は、来月に回すとして。
そんなふうに考えて、ふと胸の中で苦笑を漏らす。
(…まったく、どうかしてるな、俺も)
魔法の研究を、女よりも後回しにするなんて。
(――まあ、いいか)

まだ陽は高く、どこまでも明るい空が続いているかのような午後。
軽やかな足取りで隣を歩く少女に腕を預けて、キールは来た道をゆっくりと戻ってゆくのだった。