平穏な或る日のお話 〜薬害篇〜

N星人様     



 話の始まりは、実にシンプルだ。

「うぎゃっ!?あっつーーーッ!!!」
「メイっ!?」

@. クライン王都の一角に
A. 魔法の実験をしていた青年と少女がいて
B. 成功に喜んだ少女が『バンザイ♪』と手を挙げようとした拍子に
C. 棚の上にあった危険薬物の瓶をひっくり返した。

 こうして、怪我人が約1名発生する。


「いい加減、お前のその粗忽さはどーにかならんのか」
「・・・・・・」
 右手を包帯でぐるぐる巻きにされながら、少女は説教の雨を甘んじて受けていた。
彼女に尻尾があったなら、しゅんと垂れ下がっていることだろう。
「どうしてそう、周りを良く見て行動しないんだ。痛い目に遇ってからじゃ遅いんだってことを、俺は何度も言ったと思うが」
「・・・はひ」
「今回はこれくらいで済んだが、もっと大きな災厄にだってなりかねなかったんだぞ。元気が取り柄のお前が重傷人だなんて、洒落にもならん」
「・・・・・・はう」
「少しはこっちの身にもなってみろ。お前が騒動を起こす度に、俺の寿命は確実に縮んでるぞ。安楽な老後を迎える前に、俺を心労死させる気か」
「・・・・・・・・・はにゃ・・・」
 てきぱきと治療を続けながら、青年の口からは素晴らしく豊富な種類の小言が沸いて出る。少しノートに書き留めておいて、口喧嘩が下手な者に教えてやりたいほどだ。
「とにかく、もっと注意力を身に付けろ」
「はぁい・・・」

 出来の悪い生徒と厳格な教師といった趣の、この2人。実はれっきとした夫婦(しかも新婚)であるところの彼ら、キール=セリアンとその妻メイは、クライン王都の一角に先月ラボラトリーを開いたばかりだった。
 異世界からの来訪者である花嫁と、彼女を召喚してしまった花婿。出会いの春から約1年半後、彼らが慎ましやかな式を挙げた時、運命の不思議さについて考えない列席者はいなかった。
 愛を育んだ細かい経過については、まあ、とても1日では語り尽くせない悲喜交々だったとだけ言っておこう。めでたく(無事に、とはいかなかったが)入籍できたのだから、この際過去の話は抜きにして。
 何はともあれ、蜜月である。さすがの割れ鍋閉じ蓋カップルも、初々しくも甘い日常を―――といかないところが、人生の妙だった。

「わ、わざとじゃないのよ、ほんとに」
「当たり前だ。意図的にやられてたまるか」
 ぶすくれた顔のまま、包帯を巻きつづけるキール。と、ここで変だなと思ったアナタは鋭い。
 キール=セリアンは腕の良い魔導士である。何せ10代の若さで魔導士の最高位・緋色の肩掛けを受領した身だ。そして治癒魔法という便利な代物があるこの世界で、彼にかかって治せない傷というのは、そう多くなかった。
 にもかかわらず、包帯ぐるぐる。その原因は、彼の新妻がひっくり返した薬にあった。
「よりによって、研究中の試薬を溢してくれるとはな」
「むう、ごめんなさいってば〜!機嫌直してよ〜〜」
「・・・・・・」
 メイは貴重な薬品を台無しにされた為に彼が怒っていると思い込んでいるのだが、実は違う。彼は自らを叱責していた。とんでもない薬を彼女に浴びせてしまったことに対する、管理責任の甘さを。
(・・・よりによって・・・ただの毒より性質が悪いな)
 彼女が右手に受けてしまった薬は、固形化強液剤―――かけた物体の硬質度を上げ、より硬く衝撃に強い物体に変えてしまうというものである。簡単に言うと、液化溶剤の逆バージョンだ。
 しかもキールが研究と分析を委託されていたその薬は、調合の過程で魔法を加えたせいか、ちょっとぞっとしない効果を持っていたりした。

 曰く。『薬をかけた物体を石に変えてしまう』

「・・・俺が中和剤を考案してなかったら、お前の手は今ごろ大理石だ」
「あ・・・あはは〜〜〜・・・究極の石像ってか?」
「・・・・・・・・・」
 下手なシャレを黙殺し、キールはピッ、と包帯の端を止める。
 薬害に治癒魔法は効かない。解毒の魔法もあるにはあるが、毒の種類によっては魔法が効くよりも毒の回りが速かったりするため、あまり実用化されていないのが現状だ。ゆえに今回のように特殊な薬物・毒物を取り扱う場合には、万一に備えて効力を無くす薬・中和剤が必要になるのだった。
 幸いにして―――本当に幸いとしか言いようがないのだが、魔法研究院の若き俊英と謳われた夫は、薬物解析と中和剤作成の依頼を迅速にこなしていたため、妻の華奢な手を石に変えずに済んだのである。
 それでも、事無きとまではいかなかった。慌てて先日作ったばかりの中和剤をぶっかけたものの、量が絶対的に足りなかった。
「うー。な、なんか、手が重いかも・・・」
 真っ白になった肘から下を軽く振りながら、メイは少し心配そうに言った。灼熱感はすでに引いているが、代わりに異常なまでの重力を右手に感じる。指先も全く動かず、冗談ではなく『石のよう』な感触だ。
「薬、効いてるんだよね?」
「効いてる。だからそれくらいの被害で済んでるんだ」
 中和剤の出来には自信がある。だが、ほんの小瓶程度の量しか精製していなかったせいで、効果が十分ではない。本来なら、石化を100%打ち消してしまえるほどだったのに。
 ―――こうなると知っていれば、バケツ1杯でも作っておくんだった。
 詮無いことを思いながら、キールは小さな溜め息を吐いた。
「石化の進行自体は止まってる、心配するな。
手が重くて動かないのは、中和剤の分量が身体に降りかかった薬の分量に対して適当じゃないからだ。その不均等を是正すればいい」
 すぐに追加を作る、と言う夫。薬箱を戸棚に仕舞うと、彼はさっそく必要な材料と器具を脳裏に書き出し始める。
「今から作れば、明日の朝には出来上がる。それまで不自由だが、我慢しろよ」
「・・・・・・」
 まだ少女の域を出ていない新妻は、上目遣いで彼を見た。先程の不安とはまた別の何かが、大きな枯葉色の瞳の中を泳ぎまわっている。
「何だ?」
「・・・ごめんなさい」
「もういい」
 ぽんぽんと茶色の頭を撫でてやって、キールは苦笑した。普段は勝ち気で喧嘩腰な態度も度々とるくせに、この少女は本当に自分が悪かったのだと悟るや、たちまち叱られた仔犬のように項垂れてしまうのだ。こんな風に。
「怒ってない?」
 頼りなく見つめる瞳。この愛くるしい眼差しの前では、怒りなど保てるはずもないのに。それに気づかない少女は一心に視線を向ける。
 愛情の大半を傾ける、唯ひとりの夫へ。
「もういい、って言っただろう」
 心持ち目を細め、若き緋色の魔導士はぶっきらぼうに言い放つ。それが照れ隠しであることは、さり気に隠した口元の笑みが物語っていた。
「事故だ、気にするな」
「でも、研究院から預かった大事な薬だったんでしょ?怒られないかなあ」
「いいさ、その時は謝れば済む」
 まだ何か言いたげな妻に先んじて、それより、とキールは言葉を足す。
「・・・すぐに治してやるから」
 右手を優しく持ち上げると、そこには無機物の冷たさと重さがあるだけだった。
いつもの、芯から暖まるような彼女の体温と柔らかさが無い。
 形だけは、昨日と全く変わらないのに。薬のせいで青黒く変色した肌を見て、どれだけ胸が痛んだことか。
「明日の朝まで、我慢してくれ」
「うん」
 我が事のように痛ましげな顔をしている夫に、メイは少し笑ってみせる。これくらいなんでもないよと、例の調子で言ってのけた。
「でも、手で助かったよねえ。顔にかかってたら大変だったかも」
「『かも』じゃなくて、はっきり大変だ」
「・・・オヨメに嫁けない顔になってた?」
「かもな。
だが、その心配は要らないだろ?お前はもう・・・」

『俺が嫁に貰ったし』

「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・やだ、きーるったら・・・」
「・・・・・・すまん・・・」
 若く初々しい2人は、赤面したまま立ち尽くす。
 幸せ色の淡い空気が、一連の騒ぎに散乱した研究室をほんわかと包んでいた。


 ―――前言撤回。
 やはり彼らは、蜜月の甘い日常を謳歌しているようである。


                 (つづく)